114話 静かな夜【6】

 晩秋のこの時期は北からの風が強くなっている。

 そのため、北東の山々を越えて風がこの東南まで達する。

 そして双方からの風がぶつかり合った場所で低気圧が発生して、雨となり地上へと降り注ぐ。


 しかし、南からの暖かい空気が強かった場合。

 北からの風が一時的に弱くなり、山を越えることなく途中で消滅してしまい、イシス言う現象が現れる。

 自然現象は季節によりある程度常ではあっても絶対ではない。


『どうせ告げたとしても、浬の時と同じだろう……。めんどうくさい』


 故にイシスは彼等に理解して貰うことを止めたのだ。

 そこまでする必要もないことだし。

 そんな降着した状態を打破するつもりで、油を振りかけたのは御老体のクロフォード公爵だった。


「ふぅ……。話になりませんね」


「クロフォード公爵?」


「そのような根拠のない言葉を信じて、これだけ多くの兵士を動かすなど、大将のすることではありませんぞ。陛下。彼等がああして整列し、正々堂々と勝負を仕掛けてきているのですから、こちらも受けてたつのが礼儀というものでしょう」


 クロフォード侯爵のこの言葉に、イシスの眉間に縦皺が寄った。

 彼女が提案した作戦は卑怯であると言ったも同然であるから。


 という理論を主張するならば、彼の意見は正しいと言える。

 しかし、という理論や観点から考えるならば、必ずしも正論とは言い難しであった。


 敵の弱点を攻める。

 若しくは裏をかく。

 意表を突くというのは、立派なであり定石である。


 わざわざ罠の仕掛けてある場所や、強固な部分から攻める者はいないだろう。

 出来るだけ安全でもろい部分を探して崩そうとするはずだ。

 余程の戦略がある場合を除き、前者がいるとすれば、それバカとしかいいようがない。


 更にということは勿論。

 自軍の人間や物資への被害を最小限に抑えようと考える。

 ならば当然のことだが敵の意表をついたがよいに決まっていた。

 また、敵が正面から仕掛けてきたからといって、必ずしもこちらが同じように応じる必要はないのだ。


 そして、これだけは常だと言える事がある。

 歴史の中において、勝者は正義。

 敗者は悪としか位置づけられない。

 戦争の理由も勝者中心に全てが運ばれ、史実すらも改竄かいざんされるのだ。


 ならば卑怯とはどういうことなのだろうか?

 それは敵の戦略に対応しきれず、敗れ去った敗者の台詞である。


 人質をとられましたという場面になったとしよう。

 ならばどうしてそれを想定して、先に手を打っておかなかったのか?

 答えは簡単である。

 将の配慮が足りなかった。

 若しくはそこまで考えるだけの知恵がなかったからであろう。


 これは戦に限ったことではない。

 日常でも一つの事柄に対し、どれだけの場面を想定し対応できるか。

 或いは対策しておくかは個々による。

 より多くの事が出来た者は生き残り。

 出来なかった者は朽ち果てる。

 単純な自然の摂理である。


「罠が仕掛けてあると、分かっているのに……ですか?」


 ジーグフェルドが引きつりながらクロフォード公爵に尋ねた。

 彼もイシスと同じことを思っていたからである。


「それとて確かな情報ではないのでしょう⁉ 鷲が教えてくれたなど……。どうして信じられましょうか?」


「それは、ですね……」


 この戦に当初より参加している兵士達から、神の娘だと崇拝されるまでになっているイシス。

 本人を目の前にしてここまで言うとは、流石クロフォード公爵と言うべきかもしれない。

 だが、ジーグフェルド達からしてみれば暴言としか表現しようがない。


『翼も持たず空を飛びます。何もない空間から炎を熾します。動物たちと意志の疎通があります。本当に不思議な女性なのです! とは言えない……』


 言えない以上。

 そこの部分を突かれるとどうしても上手に説明し、納得させることが出来なくなるジーグフェルドだった。


 もし彼が一言でもそう喋ったなら。

 周囲からイシスがどう扱われるか分からない。

 国王軍自体が分解しかねない。


『ジーク達の心遣いはとてもありがたい。が……』


 クロフォード公爵の物言いに、イシスはかなりカチンときていた。


『ジークにとって大叔父にあたる方とあっては、何かと気を使うだろう。幸いなことに語学も修得できたし……な』


 そう判断したイシスは自分で処理することにした。

 しかも敢えて徴発する形で。


「ふぅ……。頭の固いバカは死んでいなくなった方が、軍全体のためかも、な」


「‼」


「何だと⁉ 小娘!」


「イ、イシス⁉」


「イシス殿……⁉」


 周囲の空気が一瞬で凍り付いた。

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