112話 静かな夜【4】

「イシス?」


「イシス殿……?」


「…………」


 自分達の軍へと戻ろうとした全員が奇異の視線をイシスへと向けた。

 当然であろう。

 ここまで負け知らずの全勝で戦ってきている。

 連合軍の士気も十二分に高まっていた。


 相手の北東域連合軍も確かに強い。

 だが、数でも勢いでもこちらが勝っているのだ。

 おまけに地形も平地続きで障害物はなく見通しがいい。


 この条件下での最高の戦略。

 ジーグフェルドを先頭に中央突破をかけ、敵を二分しながら撃破する。

 そして士気を削いで行くのが最適であると誰しもが判断する。

 そこへ待ったをかけたのだから疑問を持つのは致し方なかろう。


『まったく……。戦術を知らない異国の女性が……』


 侮蔑の視線を向ける者もかなりあった。


「イシス? それは何故なのかな?」


 そんな中でも、やはりジーグフェルドは冷静である。

 何度もその力と助言に助けられてきたのだから。


「彼等がいる場所から少し後方に下がった場所。つまりこちら側からは完全に死角になっている位置に、かなり大きな窪地がある。そこに敵兵が数多く潜んでいるそうだ」


「‼」


「なにっ⁉」


「!」


 彼女の言葉に全員が衝撃を受ける。

 この近隣に領地を構えるテュービンゲン伯爵やブロッケン伯爵は特にだ。

 先にこの近辺の地理状況をジーグフェルドへの報告していた。


「お、お待ちを!」


「そうです。周囲は平地のみであり、人が隠れるような場所はございません」


 そんな彼らを一瞥して更にイシスは進言する。


「奥の木々が点在している場所。山裾付近かな……? 地面ではなく、少し高い位置の枝枝に、弓矢を番えた兵が配置されているし。森にも多くの兵が残っている」


「…………」


 ここまでくるともう言葉がなく、皆が黙ってしまうのだった。

 ジーグフェルドがひとりごとのように呟きだす。


「イシスのもたらした情報が正しいならば敵の戦略は……。全体の半分程度に当る兵士を、さも全軍の様に見せかけ正面に配置する。これまでの戦いから気をよくしている我々は、当然勢いに乗って中央突破を仕掛ける。まあ、そうするともりだったしな……」


「敵は二分され後方へと敗走する姿勢をとり、窪地に潜んでいる兵達の正面へと誘い出し矢を射る。そうすれば、ここである程度の兵を潰すことができます」


 アフレック伯爵プラスタンスが続ける。


「だが、そこまでだ。やはり兵士の数はこちらが圧倒的に勝っているので、陣形を立て直したら攻めてくるはず」


 再びジーグフェルドが話し。

 シュレーダー伯爵ラルヴァが締めくくった。


「そこで二つ目の作戦を仕掛ける。彼等にとって慣れている森林や山岳に誘導し、大きな集団ではなく少人数になったところを個別に潰す……」


 自軍にとってはありがたくないが、よく考えてある。


「うーん……」


 考えていた中央突破の作戦が出来なくなる。

 どうしたものかと馬上で考え込むジーグフェルドであった。

 そんな彼に見守るような視線を送り、プラスタンスがイシスに問う。


「何故、そう断言できるのかな? 理由をお聞かせ願えるか?」


 周辺一同を代表するかのような彼女の質問は尤もであった。

 斥候が北東域連合軍の偵察に走り回っている間、イシスはずっとジーグフェルドの側にいた。

 そんな彼女が敵の布陣に詳しいなど不思議の一言である。


『しかし今まで共に戦い。その様子を間近で見てきた。実際のところ何をやっているのか全く謎のままではあるが、確かに功績はある。結果が伴っているのだから』


 プラスタンスのイシスに対する言葉遣いは、ジーグフェルドに匹敵するほど丁寧なものに変わっている。

 敬意をはらうに能うと判断したのだ。

 イシスという存在を認めたということである。

 だが、まだジーグフェルドのように完全に信用しているわけでもない。


『全面的に信用するには本当に不思議が多すぎる……』


 注意深く観察している最中。

 そう言ったが一番正しい表現であろう。

 そして更に、ジーグフェルドの気持ちも大問題であった。


『陛下から直接聞いたわけではないが、態度を見ていれば陛下の心の中でイシス殿がどれほどの位置を占めているか分かる。無論。陛下とて愚かではないから、大多数に分かってしまう程、表には出していない』


 だが、幼い頃より自分の子供同様に見守ってきた彼だ。

 プラスタンスには分かってしまうのである。


『色恋沙汰にうとく、本来ならばファンデール侯爵家の跡取りとして既に結婚し、子供がいてもおかしくはない年齢だ。なのにいまだ独身であることを随分心配したものだ』


 そんな彼が好きになれる女性を見つけたのは大変喜ばしいことである。

 しかし、それがどこの国の者とも分からない異国の女性で、不思議が多すぎるとあっては胸中穏やかではない。


『このことに関して、アーレス殿が落ち着き払っているのも大いに気になる……』


 戦局同様こちらも気に病んでいるプラスタンスであった。

 周囲の者達が注目する中、イシスはケロリと答える。


「彼が教えてくれた」


 そう言いながら彼女は、自分が乗っている翼の鞍の前部分に留まっている鷲の浬を指さす。

 確か朝からずっと上空を飛んでいた。

 先ほど斥候が戻ってくるのと同じくらいに、イシスの元へとやってきていた。


「それ、が……?」


「そうだよ」


 顔を引きつらせながら訪ねるプラスタンスに、イシスは無邪気な笑顔でもって答える。


「彼の目は、何よりも正確だからな」


 あまりにも突飛な返答。

 この先何をどう質問すればよいのか一同が沈黙した。

 そのなかジーグフェルドがイシスへと声をかける。

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