109話 静かな夜【1】

「あっ!」


 ランフォード公爵城近くの草原。

 北東軍と対峙したプラスタンスが馬上で小さな声を上げた。


「どうした?」


 横にいた夫のジオが心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 プラスタンスを挟んでジオの反対側。

 ジュリアとエアフルトも何事かと母親の方へ視線を向けた。


「…………いや、なに……きにするな……」


 いつもらしくなく歯切れの悪さにジオの眉間に皺が寄る。


「何だ? らしくないぞ」


「そうですわ。何か不備でもありましたか?」


 いつも小気味よく相手を凹ます。

 情け容赦なく言葉をぶつけるプラスタンスが説明を渋っている。

 かつてないことだっただけに周囲にいる者には不気味であった。

 一体何事なのだろうと、逆に心配してしまう。


「…………」


 そんな己の性格を今回は少し恨めしく思う。

 向けられる六つの視線に絶えかねて、プラスタンスがイヤイヤその重い口を開く。

 しかし、その視線はあらぬ方向へと泳いでいた。


「あー、なに……その、むかしちょっと……。みしったおとこが、めのまえに……」


 彼女の言葉を受け、三名が目の前に立ちはだかる軍勢へと同時に顔を向ける。

 今や大所帯となったこの国王軍大将であるジーグフェルドが中央。

 その右翼に布陣するプラスタンス率いるアフレック伯爵軍のほぼ真正面の一団だった。


「何か……。視線が恐ろしく痛いですわね……」


「本当……ですね……。特にあの中央の……」


 エアフルトが指す一団の中央にいる彼の視線。

 大将たるジーグフェルドではなく、どうもこちらに向いているように感じられる。

 しかも、恨みたっぷりに。


「そ、そうか……? きのせいであろう」


 子供達の言葉にプラスタンスの答えは益々妖しくなる。

 必死に逸らそうとしているようだが、とてもぎこちない。


「そう……でしょうか?」


「母上とは、どういうお知り合いなのですか?」


「宮廷では一度もお見かけしたことのない方のようですけど……」


「…………」


 それは相手側からすれば至極尤もなことだった。

 プラスタンスは自分からは絶対に子供達へ教えたくない過去の出来事である。

 対面の彼等が上げている旗をジオは見た。


『ああ、なるほど……』


 そして子供達が察知している空気が、間違いでないことに気が付く。

 戦とは無縁に育ってきたジュリアとエアフルト。

 特に息子の方は誰に似たのか気質も穏やかだ。

 ジュリアとは二歳しか違わないのに、常に彼女の影にいる存在であった。

 そんな彼が、ここ数ヶ月の間に随分と精神が成長し逞しくなったと感じる。

 父親としては至極喜ばしいことであった。


 納まりそうにない子供達の好奇心。

 ジオがヤレヤレといった感じで介入する。

 出来ることなら母親と同じことをして欲しくないとの思いからでもあった。

 特にジュリア。


「そりゃ~。まあ……当然だろうよ。十分どころか十二分に、プラスタンスが悪いと……思うぞ」


「ジ……オ?」


 プラスタンスが驚いた表情で夫を凝視する。

 その顔には「何故お前が知っているのだ?」と、書かれていた。


「父上?」


「何かご存じなのですか?」


「それはだな」


「ジオ‼」


 大抵の者を震え上がらせるプラスタンスの怒鳴り声も、夫のジオには無効である。

 子守歌のようにサラリと聞き流された。

 更に脅迫めいた眩しい程の笑顔でもって見つめられ、たじろぐ彼女であった。


「子供達が……。特にジュリアが、この先お前のようなことをしてもいいのか?」


「うっ!」


 という部分を強調するあたりは、頭脳的かつ知能犯的でもあり始末が悪い。


『なんて奴だ! 私とてあれは流石にやり過ぎで不味かったと後悔したのだ……』


「如何なものかと思うだろう? 母親として、思うよなぁ~?」


「そ、の…………」


「それとも自分の口から言いたいのかぁ~?」


「…………」


 どうあっても彼女に勝ち目はない。

 完全に沈黙してしまった哀れなプラスタンスだった。

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