107話 光の灯す記憶【24】

 会議が終わると直ぐにイシスはファンデール侯爵アーレスの部屋を訪れた。


「お加減は如何ですか? アーレス殿」


「おお! イシス殿。よくいらして下さった」


 笑顔で近寄る彼女に、アーレスは満面の笑みを向け歓迎する。

 彼も丁度朝食を取り終わったところだった。

 ベッドの上に上半身を起こした状態である。


「貴女のおかげで、よい状態ですよ」


 彼はそう言ったが、イシスの表情は微妙に曇った。


『上半身はかなり健康を取り戻しつつある。だが、掛け布団に隠されている部分はとてもそうは言えないはずだ……』


 殆ど肉はなく、露出している骨を包帯が被っているだけのはずである。

 この容態を診たファンデール侯爵家の医師は、今後一生自分の足で歩くことは出来ないと断言したのだった。

 それでも彼は微笑むことが出来る。


『心の強い人なんだ』


 イシスは思った。


「そうですか。それはよかった。よい薬が手に入りましたので、今から治療しようと思うのですが、お時間宜しいですか?」


「え⁉ 薬ですか⁉」


「はい。そうです」


「そうですか……。ではお願いします」


 彼女の申し出にアーレスは少々戸惑いながらも承諾する。


『治療薬などあるのだろうか?』


 するとイシスは部屋の外に待たせておいた侍従達を呼んだ。

 暖をとるため火が入っている暖炉側に大きな鍋を用意させる。

 そして、いつどこから持ってきたのか黒いポリエステル製でジッパーの着いた大きなバッグをテーブルの上に乗せた。


 その中から色々な種類の薬品が入った瓶を取り出す。

 側に設置した更に別のテーブルの上に並べていく。

 本と睨めっこしながら電卓をたたき、粉末状のそれらの薬品を重りのないデジタル計りに乗せる。

 そして鍋の中へ次々と投入するのだった。


 お湯を加えながら大量に練り上げられていく薬品。

 最終的に深緑色に変化し、何とも不気味な臭いを部屋中に漂わせる。

 決して悪臭や腐敗臭ではないのだが、表現するのはとても難しい。


 控えていた医師は気分が悪くなり、窓を開けてテラスへと逃げ出す。

 侍女達も意識がどこかへ飛んでしまったほどだった。

 調合した当のイシス自身もあまりの臭いに、眉間に皺を寄せ一人愚痴ている。


「うわっ! 凄い臭い……。分量間違えて……。ないよ、ね?」


 かなり不安のようだ。

 その様子にもっと不安な表情を見せているのはアーレスである。


『これから一体何をされるのだろう?』


 彼の額に汗が一滴煌めく。

 しかし、哀れなことに色々な意味で彼に退路はない。

 完成した調合薬を前にして、イシスはアーレスに向き直り神妙な面持ちで告げる。


「これから足の治療を行います」


「足の⁉ ですか……?」


 彼は驚いた。

 もう少し体力がついたら、付け根から切断するよう医師達と相談していたからである。

 再生できない部分を取り払わなければ、肉は腐り病原菌の巣と化す。

 それらが発する菌が血液を通って全身に回ると死に至るためだ。


 助け出してから今までの間そうしなかったのは体力がないためである。

 切断時の出血によってショック死を起こしてしまう危険性があったからだ。

 今は寒さが幸いし病原菌の活動が押さえられている。

 その間体力の回復を待っている状態であった。


 ドーチェスター城からこのランフォード公爵城までの道中。

 あれほど見事な治療を行ったイシスが、それを知らないはずはないであろう。

 しかし、敢えて足の治療と彼女は言った。


「この臭いは致し方ないので……。申し訳ないが我慢して下さい」


「分かりました。お願い致します」


 疑問は多々あるアーレスだった。

 だが、追求せずイシスの言葉に微笑んで丁寧に言葉を返す。

 そんな彼の顔を真剣な表情で見つめ、イシスが問いかける。


「私がこれから何をするか不安ではありませんか?」


「今、貴女が仰ったとおり、キズの治療をして下さるのでしょう?」


「信じて下さる……と?」


「無論です。貴女は今までにも色々な奇跡を見せて下さった。今度は何なのか、とても楽しみですよ!」


 アーレスの言う奇跡とは、彼女の不思議な能力だけではない。

 ジーグフェルドの心を射止めたことも含んでいる。

 だが、今のイシスにそれが分かるはずはなかった。


 優しく微笑みながら真っ直ぐに彼女を見つめ返すアーレスの目。

 それは限りなく穏やかであった。

 彼の信頼の深さを感じたイシスが一瞬泣きそうな表情をする。

 そのままアーレスの首に両腕を巻き付かせ、ゆっくりと抱きついた。


「イ、イシス……殿?」


 突然の抱擁にアーレスは驚き慌てる。


「ありがとう……」


 彼の耳元でイシスは小さくそう呟いた。

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