103話 光の灯す記憶【20】
その日の夜。
ジーグフェルドはファンデール侯爵アーレスの部屋を訪れていた。
「父上。少し宜しいでしょう……、あっ!」
先日この呼び方を指摘されたばかりである。
父の身体にも障るから注意しようと思っていたのに、長年の癖はそう簡単には修正できないようだ。
また、変えたくないと心の底で思っているから尚更である。
気が緩んだ時や意識が集中していないと、直ぐにそう呼んでしまう。
再び小言を言われるかと反射的に身構えた。
だが、今日のアーレスは違っていた。
きっと昨夜からのイシスの一件を聞いていたのであろう寛大である。
尤も、あれだけの不思議な出来事で騒ぎになったのだ。
城中に話は行き渡っていた。
「はい。宜しいですよ。どうぞ」
そう言ってジーグフェルドの失態をあっさり聞き流し、手で指して側の椅子を勧めてくれる。
少々気まずさを感じながら彼は椅子へと腰を下ろす。
それと同時に部屋でアーレスに付き添っていた者達が、気を利かせてか退室してくれた。
室内は二人だけになった。
ジーグフェルドは少し間をおいたのち、俯き加減でゆっくりと話を切り出す。
内容が恥ずかしくてとても正視した状態では、言えそうにないからである。
だが、それでも彼に聞いて欲しかったのだ。
「父上……。私はあの不思議な娘に、心惹かれております」
『‼』
彼の突然の告白である。
アーレスは驚いたが目を閉じた状態で静かに聞いた。
「ずっとこのまま自分の側にいて欲しいと切に願っています。こんなにもひとりの人間を、いや……。女性を独占したいと思ったのは初めてで……。こんな時なのに、あの……そんな自分に驚いてもいますし、この気持ちを制御するのに、とても苦労しています」
自分の心の中にある思いを一気に喋ってしまう。
そして、ジーグフェルドは救いを求めるかのように顔を上げ、アーレスを見つめるのだった。
『どうか何か言って下さい……』
その気持ちが通じたのかアーレスはゆっくりと目を開け、ジーグフェルドを見つめ返した。
優しく穏やかな目である。
彼はジーグフェルドがこの部屋に入ってきた時から気が付いていたのだった。
今までにない問題を抱えたような空気を発していたからである。
そこはやはり約十九年間息子として育て見守ってきた父親だ。
更には、ドーチェスター城からこのランフォード公爵城までの道中。
カレルからこっそりと彼の恋心のことを聞いていたせいもあった。
『陛下は今まで女性や物に対して、特にこれといって執着を示さなかった……』
だからどれほど嬉しかったことか。
今だけは国王としてではなく息子として接している。
「その気持ちを、イシス殿に伝えられましたか?」
「いえ……まだです。自分自身がこのような状態では、とても伝えられません。それに……」
「それに?」
「彼女の変化が気になります」
ジーグフェルドは今朝からのことを思い出していた。
イシスが地下室を出たあとのことである。
男の遺体を調べるよう命じた兵士が、消えてしまっていると慌てて報告にきた。
『しかもシュレーダー伯爵家から貰った彼女の馬。翼は馬屋に残ったままだ。城の出入り口を監視している兵は、イシスが城外へ出てはいないと言う……』
なのにその姿は、この城から忽然と消えている。
『今朝、二日ほど時間を貰いたいと言っていた。だから馬で往復してその程度の距離なのだと思っていたから。一体どこへ行ってしまったのだろう?』
余計不安になっているのである。
「言葉もたった一晩で一気に喋れるようになり。身体に異常は無さそうなので、それはよかったのですが……。ほんの少しの間だけでしたが眼孔は以前より鋭く、そしてなにより瞳に落ちた影が気になって……。もしかすると……」
漠然と感じている事柄だったので言葉を濁したジーグフェルドだった。
彼の変わりにアーレスがその心うちを続けたのだった。
「記憶が戻ったのでは……と?」
「そ、う……です……」
『父上に心を隠しても無駄なようだ……。自分の心など全て見透かされてしまっている』
「聞かないのですか?」
「……怖くて、聞けないのです……」
言いながら、何て臆病なのだろうとジーグフェルドは思った。
「聞いてしまって……。思い出したから、もうここにいる必要はない。自分のいるべき場所に帰るね、と言われたら……。オレは、一体何と彼女に言うのか?」
その先の言葉が今のジーグフェルドには分からない。
そんな彼をアーレスは切なげな表情で見つめた。
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