102話 光の灯す記憶【19】

「ここだ」


 ジーグフェルドの案内で蝋燭を灯しながら降りて行った別棟の地下。

 イシスは遺体に掛けられている白い布を無造作に剥いだ。


「…………」


 昨夜の男は台の上に仰向けに横たわっている。

 皮膚は土気色に変色し、生命の輝きを既に失っていた。

 服の至る所に着いている赤黒い塊も乾いてしまっている。

 だが、素材は確かにイシスが最初に身につけていた服と同じであった。

 あとは真っ黒な石の首飾りをしている。


 男が持っていた剣はどこにもない。

 それに関してはジーグフェルドが説明してくれた。


「男が死んだ時。イシスの持っていた剣が消えたように、男の剣も跡形なく部屋からなくなっていた。どこを探しても見つからなかった」


「そうか……」


 彼女は複雑な表情を浮かべ、しばし無言で男を見下ろしていた。

 その後ろ姿をジーグフェルドとカレルが心配そうに見つめる。


《間違いない。我が一族であるすめらぎの者。それも陰の国の者……》


 布を持つイシスの手が小さく震えだす。

 特に男に外見的な特徴があるわけではない。

 イシスと同じくこの周辺の国々では見たこともない肌の色と服装をしていることぐらいだ。

 そんなことは彼女にとって大きな問題ではない。

 この世界の人間ではないのだから当然のことだ。

 それでも自分と同じすめらぎ一族であると断定できる。

 首飾りの石と剣であった。


《一体どういうことなの? どうして陰のすめらぎが、私たち陽のすめらぎを襲うの⁉ 我々は陰と陽。ふたつの国を合わせてひとつのはずなのに……。陰陽の国同士で争いを起こしたとでもいうの⁉》


 イシスは首を横に大きくふった。


《バカな‼ そんなこと絶対にありえない‼》


 彼女はとても動揺していた。

 すめらぎは彼女がいる表の陽の国。

 もうひとつ分家ともいえる裏の陰の国。

 この二つが常に力を合わせて世界の緑を守ってきていたのだから。


《でも……。この状況をなんととらえたらいいのか?》


 昨夜のことを思い出す。


《精神体になってなお称号を渡すため。異世界にいる私のところに来たしのぐ。そしてその精神体を追ってきた陰の国の男……。》


 光の男性は確かにイシスの二番目の兄だった。


しのぐはあの男に殺されたの? ……信じたくないけど、そう考えるしかない。同じ場所にいなければ、死を迎えて身体から抜け出した精神体を追えるはずがないもの……。そしてそれは私が理解不能な衝撃を受けたあの瞬間》


 彼女は昨夜の嫌な感覚と、心臓に受けた激痛を思い出す。

 しのぐが受けた衝撃が、時空を越えて自分に伝わったのだと思える。


《昨夜。この男は確かに言った。私で最後だと……。その意味は……?》


 イシスはそれ以上考えるのが恐ろしかった。

 何故なら陽の国の者で今生きているのは、自分ひとりだけということになるから。


「…………」


 もの凄い恐怖が彼女の体の中を駆け抜けて行く。

 それを振り払うかのように大きく頭を左右に振った。


《ここで色々考えても無駄だ。とにかく戻ろう。私の世界に》


 イシスは男の遺体にかけられていた布を元に戻そうとしたその手を止める。

 ジーグフェルド達の方へと振り向いた。


「すまないが。少しの間、部屋の外へ出ていてくれないか?」


「? 何でだ?」


 カレルが不思議そうに問いかける。

 その彼の肩をジーグフェルドが軽く叩いて遮り、そのまま二人して部屋から出て行った。

 扉が閉まる音が背後でする。

 持ってきた燭台の五本の灯りが部屋の中でユラユラと揺れた。

 その側でイシスは小さく言葉を紡いだ。


〈我は願う。全てのもの。己のあるべき元の姿へとおかえりなさい〉


 その途端。

 男の身体も身につけていた全ての物も、一瞬にして小さな塵へと変化した。

 人体の約八割を占めている水分は、彼女の紡いだ言葉と同時に蒸発してしまう。

 残りは炭素・石灰・リン・塩分・硝石・イオウ・フッ素・鉄・ケイ素・十五の元素少量である。

 それらが塵のように遺体が寝かされていた部分に積ったのだ。

 男の身体を構成していた物質を、イシスは一瞬にして原子レベルにまで分解したのである。


《この世界の土となることさえ許さい……》


 彼女の心には怒りが込み上がっていた。

 男の遺体が土に埋められることすらも拒む程に。


 部屋から出てきた時。

 イシスの放つオーラに気押されてジーグフェルドとカレルは声をかけることが出来なかった。

 暗い地下の空間。

 彼女の瞳が鈍く光っているのを見て、ジーグフェルドはゾッとする寒気を感じる。


 あのように泣いているのを見たのも昨夜が初めてであった。

 これほどまでに鬼気迫る雰囲気を放つ彼女も初めてである。

 それはカレルも同じように感じているようだ。

 表情が強張っている。


『イシス……』


 ジーグフェルドは唾をゴクリと飲み込んだ。


 その後。

 三人は地下室から地上へ上がり、幾つも点在している中庭のひとつを進む。

 そこでイシスは足を止めジーグフェルド達の方へと振り返った。


「じゃあ、行ってくる」


 その彼女はいつもの状態に戻っている。

 先ほど感じた鬼気迫る空気は全く無い。

 ジーグフェルドはホッとした。


「ああ。気を付けて行っておいで」


「うん」


 イシスは少し切ない笑顔で片手を振り、二人の側から離れて行った。

 ジーグフェルドとカレルは無言で彼女の背中を見送る。


「……行かせて、よかったのか……? ただ事じゃない雰囲気だったが……」


 暫くしてカレルが心配そうに聞いた。


「戻ってきてくれると言った。信じるさ」


「ジーク自身はそれで」


 ジーグフェルドのイシスへの思いを知っているだけに、納得できない表情のカレルだった。

 しかし、ジーグフェルドがそれ以上を言わせなかった。


「ああ。いいんだよ。今のオレに出来ることは、信じて待つことだけだ」


「ジーク……」


 不安を打ち消すよう。

 また、自分に言い聞かせるような彼の言葉だった。

 カレルはそれ以上何も言わずに小さく溜息を吐いた。




 ジーグフェルドとカレルの両名と別れたイシスは、食堂兼会議室にきていた。

 昨夜現れた二つの人物の痕跡を追って行くことにしたのである。


《新たに自分で道を造ることは究極に難しい……。だけど一度開かれた道を探すのは、それほど苦ではないはず。もう既に出来上がっているのだから》


 イシスは目を閉じて精神を統一をする。

 目には決して見えることのないしのぐが開いた道を探す。

 己の感覚だけが頼りであった。

 すると暗闇の中。

 一本の細い光の筋を見つける。


《あった! これだわ!》


 広い暗黒の中。

 無数の小さな小さな粒が集まって出来ている光の筋があった。

 川の流れに身を任せるような感覚で、イシスは己の意識を同調させていく。

 光の洪水に意識が飲み込まれたその瞬間。

 彼女の姿は会議室から忽然と消える。


 そしてイシスがフェイドアウトした先。

 それは、かつて青き水の惑星と呼ばれた地球だった。

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