89話 光の灯す記憶【6】

 そんな頃、ドーチェスター城ではひとつの嵐が湧き起ころうとしていた。

 ニグリータの元に、興味深い手紙が舞い込んできたからである。


「あら……。これは面白いわね」


 読み終わったのち、彼女はそう呟くとクスリと笑ったのだった。





 それから約一時間後。

 ペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵が顔を真っ赤にし、娘ファシリアの部屋の扉を殴るように開け放った。

 暖炉の側でフカフカの毛皮のラグに座っていたファシリアと、周囲で彼女の相手をしていた侍女達が驚いて音の方へと視線を向ける。

 そして皆凍り付いた。


 ランフォード公爵の右手には剣が握られていたからだ。


「あ!」


 ファシリアは小さく声を上げた。

 この事態の意味が瞬時に分かったのだ。


「ファシリア! これは一体どういうことなのだ⁉」


 彼は怒鳴りながら大股で近付いてきて、床に座っている彼女を上から威圧的に見下ろした。

 反対側の左手に握られている数枚の紙が、腕の振動に合わせ小刻みに揺れている。


 直ぐ近くで発せられている父親の声を、何故か遙か遠くで聞いてるような気がした。

 ファシリアは先のない自分の未来を感じとる。


『レオニス……』


 サルディスが部屋へと飛び込んできた。


「何の騒ぎだ⁉」


 ランフォード公爵がここに来るまでの廊下でも騒々しかったため、離れた部屋にいた彼も騒ぎに気が付き駆けつけたのである。

 二人に駆け寄った。


「ち、父上⁉ 一体どうされたのですか?」


 そんな彼にランフォード公爵は左手の紙を乱暴に渡すのだった。


「どうしただとっ⁉ ファシリアは我が娘でありながら、この私を裏切ったのだ‼」


「なっ! まさか⁉」


 サルディスは驚き、受け取った紙を震える手で読んだ。

 それは手紙で二通ある。

 一方はファンデール侯爵夫人レリアを預けているデュイス子爵宛。

 もう一方はランフォード公爵城にいるジーグフェルドへ宛てたものであった。


 ジーグフェルドへは父親の企みを告げる文章が書いてある。

 デュイス子爵へは父の命に従わないようにと認められてあった。

 どちらも間違いなくファシリアの筆跡である。


 この時点では、この場にいる誰ひとりまだデュイス子爵の離反を知らない。

 ランフォード公爵城攻略の際に、の子爵は兵の招集が間に合わなかった。

 そのため目印となる旗も確認されてはいない。

 また肝心のレリアの死も知らないのだ。


 そのためファシリアは何とかしたい一心でこっそりと使者を出したのだ。

 しかし、なにぶんこのようなことはレオニスに続いて二度目である。

 しかもよく知らない王宮の最深部だ。

 ファシリア本人も使いに出た者も戸惑うばかりであった。


 幾重にも不運が重なる。

 ニグリータが周囲に張り巡らしている監視の網にかかってしまったのだ。


「姉上……。一体何ということを……」


 サルディスが青ざめた顔でファシリアを見つめた。

 だが、彼女は毅然として父親であるランフォード公爵を見上げる。


「お父様は間違っていらっしゃいます!」


「何だとっ⁉」


「いいえ、初めからこのようなこと、成すべきではなかったのです」


 ファシリアの声も手も小さく震えていた。


「ジーグフェルド陛下に仇なすなど。神の示される人の道から外れた行為であるから、神はお父様をお許しにならず、今日のような事態になっているのではありませんか?」


 それは全ての戦に敗れていること。

 ランフォード公爵城を落とされたこと。

 更に多くの貴族達がジーグフェルドの陣に加わったことを指していた。

 捉え方はどうあれ、全て否定しようのない事実である。


「おのれ!」


 ファシリアの言葉に怒り狂ったランフォード公爵は、振り上げた右手の剣を躊躇とまどうことなく振り下ろした。


『さようなら。レオニス!』


 室内に侍女達の悲鳴が響く。

 そして、美しい緑色の絨毯に真っ赤な鮮血が飛び散ったのだった。

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