85話 光の灯す記憶【2】

 ランフォード公爵に城陥落の知らせが届いた頃である。

 ニグリータの部屋にも使者が来ていた。


「……全く……。使えない男ね……」


 形のよい眉をゆがめ、口元を扇で隠しながら彼女は小さく呟く。

 整った顔立ちに、長く美しい金髪。

 子供を産んでなおスレンダーな肢体をしている。

 まさに深窓の令嬢といった感じであった。


 ニグリータは長椅子の上に肢体を長々と横たえている。

 報告の内容とは裏腹に、かなりくつろいでいる様子だ。

 彼女にとってはどうでもいいことなのかもしれない。


「ご心痛の程。お察し致します」


 侍女のネーリがお茶を差し出し彼女を慰める。

 ダッフォディル国から連れてきている女性であった。


「人選を間違えたかしら……?」


 そう口にして直ぐ、ニグリータは首を横に振る。


『いいえ! あんな朴念仁、論外だわ! 私の誘いを無碍むげにしてきたのですもの!』


 ジーグフェルドの顔が頭の中に浮かび、彼女の気分は悪くなった。

 眉間に皺を寄せ溜息を吐く。


「ま、どうでもいいわ。どうせ結末は同じなのだから。ネーリ、紙とペンを。お父様に手紙を書くわ」


「承知致しました。直ぐに」


 ネーリが仕度のため退室しようとした時である。

 廊下が急に騒がしくなり、数名の侍女達の声が室内にまで聞こえてきた。

 その直後。

 部屋の扉が開けられ、その先にランフォード公爵が数名の臣を連れて立っていたのである。


「ご機嫌よう、ニグリータ。緊急に用がある」


 その途端、彼女の顔に嫌悪が浮かぶ。


「無礼ですね。先触れくらい使わされては如何ですか? 私はその辺の貴族達とは違うのですよ」


 彼女の言葉は尤もであった。


 上級の貴族は、実の親子同士であっても面会するために先触れを出し、伺いをたててから会うのが普通である。

 ましてや王家ともなれば、その手順と段階も何通りとふまなければならない。

 それを一気に無視してやってきたのだから快く迎えられるはずがなかった。


「だから緊急だと申したではないか! ファンデール侯爵はどうしておる? ここへ連れてきて欲しいのだ。そなたに任せたよな」


 ランフォード公爵城が陥落したことを先ほど聞いた。

 更に何といっても今現在玉座に就いている男なのだから、ニグリータはどうにか機嫌を直す。


「ああ、それでしたら【花の郭】西の対におりますわ」


「なんと‼ そんな所に隠しておったのか!?」


「安全でしょう? 誰も入れないのですもの」


 彼女はクスクスと笑った。


「確かに! 流石だな。では早急にサロンへ頼む」


「承知致しましたわ。ネーリ!」


「はい、かしこまりました。世話を任せていた者に、迎えに行かせます」


 そう告げて彼女は退室する。


「では陛下。私達はサロンへと参りましょう」


「そうだな」


 ニグリータに促され二人はサロンでくつろぐ。

 しかし、かなりな時間待っても目当てのファンデール侯爵は連れて来られない。


「一体どうしたのだ?」


 痺れをきらしランフォード公爵がソファーから立ち上がった。

 それとほぼ同時に、ネーリが息を切らし真っ青になって部屋へと飛び込んでくる。


「ニグリータ様! ファンデール侯爵が屋敷からいなくなっております!」


「なんですって⁉」


「なんだと⁉」


 叫んだのは二人同時であった。


「そんなはずがあるか⁉ 奴が自分で動けるわけない!」


 ファンデール侯爵の足の腱を切ったのは彼なのだから。

 その他の身体中に残る拷問跡もそうである。

 何としても彼の口から、ジーグフェルドの出生が嘘であったと言わせたかったのだ。

 さんざん傷を負わせた後、逃げられないようにと奪われないよう、どこかに生かしたまま隠せとニグリータに渡したのである。


「ですが。屋敷内も植木の隙間も探させましたが、どこにも姿が見当たらないのです!」


 ネーリの叫びに、ペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵とニグリータは愕然とした。

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