82話 悲しい再会【19】
「‼」
カレルは驚いた。
イシスは自分の両手でワインを暖めていたのだ。
バーリントン伯爵城やここまでの道中野宿した際に、道具を何も使わず火を熾した場面は見てきたが、こんなことまで出来るなんて驚きであった。
「空も飛べるし。火も熾す。何でも出来るんだな! 凄いぜ!」
再び見せられたイシスの不思議な能力に心底感心し、カレルは嬉々として瞳を輝かせる。
しかし、褒められたのに彼女の表情は芳しいものではなかった。
寧ろ暗くなったといってよい。
「うん…。でも…。覚えているの、これくらい……。他、何も、分からない……」
イシスのこの言葉にカレルはハッとした。
彼女の事情を十分に把握していたはずなのに、目先の華やかな技に見とれてつい軽く言葉を発してしまった。
『記憶がなく。言葉もまだまだ不自由で誰一人知らない場所にいる。しかも容赦なく自分達の戦に巻き込んでしまって……。強靱な精神力を持つ男性でも泣き叫んでいるような状況だ。それなのに不平不満も言わず快く協力してくれている……』
自分の横にいる女性はそういう人間なのである。
彼は己の無神経さを恥じた。
「すまん…。悪かった……」
「? ……何で、謝る?」
彼の心境が分からない彼女はカレルを見上げてキョトンとしている。
「いや……。いいんだ。作業を続けてくれ」
「ああ。分かった」
その口調に苦笑した。
『本当にジークそっくりで…。二人いるみたいだ……』
そしてワインが人肌に温もったので、イシスはアーレスを寝かせている馬車の中へと上がってきた。
あのワインの中に彼を入れるつもりなのである。
「アーレス。服、取るよ」
そう言ってイシスはカレルに手伝って貰いながら彼の服を脱がせていった。
「‼」
その瞬間。
二人同時に言葉を失う。
やせ衰えた身体は全身が骨と皮だけの状態である。
そして、その身体中に鞭の後が残っており、両足は腱を切られ、膝から下は骨が見えるくらいに肉を裂かれていた。
死なれては困るせいか一応それを治療する形で焼いた痕がある。
しかし、
『これではもう自分の足で大地に立つなんて、一生不可能だろう……』
【花の郭】で包帯状態の足を見せられ、ある程度は想像していたが、ここまでひどいとは思っていなかった。
「…………」
イシスは生唾を飲み込み拳をきつく握った。
そしてモクモクと作業に入る。
アーレスをそっと抱き上げワイン樽の中に下ろす。
何よりもまずキズの消毒である。
その際、相当な痛みがあるはずだが、彼は呻き声を上げることもなくじっと耐えた。
アーレスの体積によって樽の口ギリギリまでワインが上がってきているので、身体だけでなく髪や顔の汚れも丁寧に洗ってあげる。
瞬く間にワインは濁り、身体に付着していた汚れがプカプカと浮いてきた。
使用した白ワインには殺菌効果もあるので正解だったようだ。
「ふう……」
ひとまずの成功にイシスは安堵の溜息を吐いた。
そして途中からその作業をカレルに任せると、イシスは馬車の上に置いているもう一方のワイン樽に手を入れこちらも温める。
「イシス、綺麗になったぞ」
カレルが汚れを落としたアーレスを馬車の端に敷いたタオルの上に横たえ、別のタオルできれいに水分を拭きあげていく。
その側にイシスは座り、拭き上がった部分のふやけた傷口にそっと手を当て、跡をなぞっていくのだった。
「!」
彼女の指が通過した場所は微妙なくらいに焼かれている。
どうやら手から発生させる火を微妙に調整しているようだ。
そして傷口に煎じた薬草を置き、包帯でグルグルに巻いていく。
その作業を根気強く全ての箇所に行うのだった。
「次はどうするんだ?」
「また、ワインの中」
全身包帯だらけになったアーレスを、イシスは馬車の中の新しいワイン樽に入れる。
外気中にいるよりも水中の方が体力は消耗する。
しかし、浮力がある分身体にとっては楽だからだ。
『なるほど。幼児が母親の胎内で成長する過程のようなものだな』
移動するために大きな街道を通るが、綺麗に整備されているわけではない。
外の道など石は転がっているし
おまけに、全て木製の馬車には当然スプリングはないため、道の凹凸によって発生する衝撃をそのまま伝える。
藁を敷いてはいても下になる背中部分は常に擦れてしまうので、衰弱しきっている身体に決していいとはいえない。
衝撃を吸収させる柔らかい素材がないし、これがこの世界では普通のようなのでイシスが知恵を振るったのであった。
そして、樽を四方からロープで絡め動かないように固定する。
更に、体内に寄生虫が入り込んでいたら大変なので、食事に薬を混ぜてアーレスに食べさせた。
イシスとカレルも簡単に食事を済ませ早々に馬車を発進させる。
「いくぞ!」
「ああ」
いつ追っ手がかかるか分からないし、出来るだけドーチェスター城から遠くに行きたい為であった。
カレルが手綱を取り、イシスはアーレスの側で彼の身体を支え、樽にぶつからないようにやワインが冷めないようにと注意を払う。
イシスの医師顔負けの作業と手際の良さにカレルは感心する。
『一体どこでこんな知識を?』
改めて何者なのかと、そして一緒にいるのが彼女でよかったと思うのだった。
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