80話 悲しい再会【17】

 彼女はその手に何か持っている。

 白い布がかけてあるため中身がなんなのか二人には分からない。


 イシスとカレルはジッと息を潜めて、その女性の行動を見つめた。

 彼女は三叉路で迷うことなく左端の屋敷へと向かい、そのまま中へと入っていく。


『鍵がかかっていない?』


 暫くすると彼女は手に空の食器をトレーに乗せて出てきて、再びやってきた門の方へと足早に去って行った。


『来るとき手に持っていたのが食べ物だとすると、あそこに誰かいるのだと考えてよさそうだ』


 そしてそれは非常に高い確率でファンデール侯爵であると推察できる。


『盲点だな…。しかしかもな』


 暫くすると上空の浬が一声鳴いた。

 動いても大丈夫との合図である。


 上から見る限り幸いなことに屋敷に見張りはいない。

 最も、無人のこんな場所に侵入者など通常は考えられないであろうから、配置していないのかもしれない。


 二人はゆっくりと【花の郭】へと降りて、左端屋敷の扉の前へと立った。


『周囲に人の気配はないな……』


 建物の窓はカーテンがかけられているため中の様子は全く分からない。

 二人は剣を抜き壁側に身を寄せ、カレルが腕だけ伸ばしてドアノブを押すと簡単に開いた。


 そのままゆっくり扉を押し開け中に入る。

 中はシンと静まりかえっており何の気配も感じられない。


「誰か…いますか?」


 思い切って小さくかけたカレルの声に反応する音はない。

 そのまま慎重にひとつひとつ部屋を調べていく。

 一階の三つ目の部屋の扉を開けた時だった。


「カ…レル!」


「‼」


 ベッドの上で上半身を起こして食事をしているファンデール侯爵アーレスがいた。


「アーレス殿!!」


 カレルはファンデール侯爵アーレスに駆け寄る。

 イシスは扉の入り口に立ち周囲を警戒した。


「よかった…。ご無事だったのですね」


「カレル。本当にカレルなのかね?」


「そうですよ。救出に参りました」


「一体どうやってここまで……」


「それはのちほど。急いでここを出ましょう」


 カレルの言葉にファンデール侯爵アーレスはゆっくりと首を横に振った。


「アーレス殿?」


「無理なんだよ。カレル」


「どうしてです?」


「歩けないのだ」


「えっ⁉」


 アーレスは下半身にかけてある布団をめくった。


「‼」


 背中に氷を放り込まれたような旋律がカレルの身体を駆け抜けて行った。


 彼の太ももから足先にかけて包帯がグルグルとまかれ、異常なまでに細くなっている。

 肉がほとんどついてないのだ。

 明らかな拷問の跡である。


 足がこんな状態なのだから、きっと服で隠れている上半身にも傷が多数あるのだろと容易に推察できた。

 再開できた喜びが大きくて気付かなかったが、顔や手にも傷があり身体全体が汚れてやせ細っている。


 目の当たりにした衝撃に心と身体がついてこれず、カレルはベッドの端に両手をつき無言でアーレスを見つめることしか出来なかった。

 目には涙がたちまち溢れ、雨のようにポツポツと布団を濡らしていく。

 そんなカレルをアーレスはジッと見つめる。


 そして、そんな二人を扉の場所からイシスが見つめていた。

 カレル同様かなり衝撃を受けているようだ。

 顔色がひどく悪い。


 イシスは唇を噛みしめ拳を強く握った。

 そのままカレルの側へと歩み寄り肩を大きく揺する。


「カレル! カレル! しっかり、しろ! 時間、ない!」


「!」


 イシスの言葉にカレルが正気に戻った。

 事態は緊迫している。

 食事を与えられていただけましではあるが、アーレスは急いで医者の手当を受けなければ危険な状態であった。


『しかし…。城下町でのんびり治療して貰っている暇などない。次に食事が運ばれてくるまでの間に、出来るだけ遠くへ離れなければ……』


 カレルは焦った。

 どうするのが最良なのか必死に考える。


 それはイシスも同様であった。

 しかし、答えを出したのは彼女の方が早かった。


「カレル、城の、外へ運ぶから、荷物、取ってきて。それと、買い物」


「何かいい方法があるのか?」


「ああ! 急ごう」


「分かった」


 イシスにどんな考えがあるのかも、医学的な知識があるのかも分からない。

 だが、カレルは彼女の言葉を信じ任せることにした。


「アーレス殿。少し待っていて下さい。必ずジークの元へお連れ致します」


 ジーグフェルドの名を聞いた彼の瞳は一瞬大きく見開かれ、続いて両の頬を涙が伝った。

 生きていると分かっての嬉し涙である。


「陛下はご無事で……?」


「無事です! そしてアーレス殿との再開を強く願っております。ですからどうかお心を強く……」


 カレルは切に願いながら、ファンデール侯爵婦人レリアのことを思い出し言葉が途切れる。


『自分の母アイラ以上に慕っていた。いつ伺いに行っても、優しく微笑んで迎えてくれる美しくも儚い女性。美人ではあるが厳しく恐ろしいほど強い母とは大違いで、ジーグフェルドが羨ましいと子供の頃いつも思っていた』


 しかし、成長するにつれ、その脆く儚い命を守るためアーレスとジーグフェルドの涙ぐましい努力も知った。


『だが二人は苦にすることもなく、レリア様を中心に笑っていた。そんな眩しいほどの輝きに満ちていたファンデール侯爵家の光を、あんな形で奪われてしまった。アーレス殿までも失いたくない。ジーグフェルドのあんな悲しむ姿も二度と見たくない!』


 己に言い聞かせながら、カレルはアーレスに告げる。


「我々は一旦引きます。直ぐにまた彼女が迎えに参ります」


「彼女は?」


「名前はイシス。ジークの赤い月です」


「陛下の赤い月?」


「そうです」


「カレル、行くぞ」


「ああ!」


 ふたりは部屋を出て行った。

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