65話 悲しい再会【2】
ファシリアたちの父であるペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵は短慮な男であった。
王家に生まれながらも第二子であった。
そのため王座に就けなかったことを、酒の席でいまだに愚痴る。
国王のように愛妾を何人も側に侍らせ、それを楽しむ男であった。
ファシリアとサルディスは、国内の伯爵家より娶った本妻テフェニとの子供。
一方のレオニスは、その美貌を見初められて強引に城へと連れられ愛妾にされてしまった平民ミナーレ=メルキュールとの子供であった。
レオニスはサルディスより三ヶ月早く生まれた最初の男子であった。
ランフォード公爵家の嫡男として戸籍が登記されたのは非常に幸いなことだった。
しかし、それが悲劇の幕開けともなったのである。
レオニスが八歳の時、母ミナーレが不義を働いているとの噂が公爵城内に流れた。
激怒したペレニアルは必死に疑いを晴らそうと弁明する彼女を、彼の目の前で斬ったのだった。
悲鳴を上げる侍女達の声。
何度も母に向けて振り下ろされる剣。
「……殿……下………で……ん………」
涙を流し最後まで父を呼び続け血の海に沈む母の姿を、彼は決して忘れることは出来ない。
「……母……上……」
全てが悪夢であった。
そして、動かなくなった母の次にペレニアルが怒りの矛先を向けたのは、息子であるはずのレオニスであった。
「これは我が息子に
そう言って彼はレオニスにまで剣を振り下ろそうとしたのだった。
「お止め下さい! 父上‼」
この騒ぎを聞きつけ部屋に飛び込んできたのは姉のファシリアであった。
叫びながら彼を抱きしめ、父の刃からその身でもって必死に庇ってくれた。
「そこを退け! ファシリア!」
「いいえ! 退きません‼ 父上がその剣を納めて下さるまでは決して‼」
父を睨み付けている姉の手は、そして身体は小刻みに震えていた。
それははっきりとレオニスに伝わってくる。
「儂の子供ではないのだぞっ!」
「何故そう言い切れます⁉」
「そう告げた者がおる!」
「それだけでお信じになるのですか⁉
「そなたの母付きの侍女が申したのだ! これらの文と一緒に!」
ペレニアルが左手に握りしめていた何通にも及ぶ手紙を、床へと叩き付けるように放った。
「‼」
ファシリアの顔色が一瞬にして真っ青になる。
彼女はその文字に見覚えがあったからだ。
だからといって、それがミナーレの手によるものでないのは明白である。
平民出身の彼女は、文字の読み書きが出来なかったのだから。
それは母テフェニ付きの次女の筆跡だった。
「お母……様……」
瞬時に全てを理解した彼女は、暗闇に飲み込まれそうになる意識を必死に守る。
ファシリアは自分の母であるテフェニがあまり好きではなかった。
寧ろレオニスの母ミナーレが好きで、よく彼女の部屋へと遊びに行っていた。
原因は愛妾にペレニアルの寵愛をすっかり奪われ、常に機嫌が悪くイライラしていたからだ。
更に、愛妾が平民というのも気に入らない要素のひとつであったようである。
貴族の彼女が平民の女に劣っているようにも感じられ、プライドが許さなかったのであろう。
言ってしまえばよくある嫉妬の話だが悲劇には違いない。
謀などには全く疎いミナーレは、見事にテフェニの策略にその身を絡め取られてしまったのだ。
『ミナーレは不義など働くような女性ではないわ。母が陥れたのよ!』
ファシリアはレオニスだけは助けようと必死に父のペレニアルに懇願する。
彼の側を決して離れなかったのだ。
彼女の激しい抵抗に、やがてペレニアルはレオニスをその場で殺すことを諦め、ランフォード公爵家の戸籍から抹消し城から追い出した。
幼い子供だ。
放っておいても先に待っているのは死であるから。
そんなレオニスにファシリアが更に救いの手を差し伸べる。
「レオニス。私の臣となり、そばにいておくれ」
無論ペレニアルは怒ったが彼女はあの手この手でのらりくらりと逃げ、今日に至っているのだった。
「私は信じています。そなたが真実私の弟であると……」
「……姉上……」
そして、レオニスからすると、今自分が生きていられるのはファシリアがそうやって必死に身を呈して守ってくれたからだと思っている。
母という後ろ盾を失ったその後の自分に、愛情を与えてくれたのは彼女だけであった。
その時から、レオニスにとってファシリアがこの世の全てとなっていた。
ファシリアを見つめ返すレオニスの表情は暗かった。
彼には分かっていたから。
『今更ジーグフェルド陛下の元へ行き、どんなに自分達が父の行いを詫びたとしても、到底許されるはずがないだろう……。陛下を筆頭に編成されている北西域連合軍は、破竹の勢いで北東域の城を制圧しているという。あの難攻不落といわれたバーリントン伯爵城を、たった一晩で落としたことは奇跡とまで謳われている。最初はことの成り行きを見守っていた貴族達も、陛下の元に続々と集結し始めているとも聞く。このまま行けば、首都ドーチェスター城へ到着するのも、陥落するのも時間の問題であろう。そうなれば、謀反の首謀者であるペレニアルは勿論のこと、このランフォード公爵家の使用人に至るまで、全て葬られると考えるのが妥当……』
国王に反旗を翻すということは、そういうことなのだ。
『しかし! 自分はともかく、この姉だけはどうしても助けたい。自分の命などたかがしれているが、それでもその命と引き替えに姉上を助けて欲しいと、ジーグフェルド陛下に願い出よう』
「かしこまりました。その任、必ず成し遂げて参ります」
「ありがとう。レオニス」
安堵したファシリアの顔に笑みが戻った。
そんな彼女に、レオニスは優しく微笑み返す。
その日の深夜。
レオニスは三人の従者を連れ、ファシリアが教えてくれた城外への抜け道を使って外へと出た。
濃い霧に包まれたランフォード公爵城が、その輪郭のみをボンヤリと現している。
『もうここへ戻ることはないであろう……。あの優しく愛しい姉上に会うことも……』
最後に見た大好きな彼女の笑顔を胸に刻み、レオニスは馬の手綱を強く握りしめた。
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