64話 悲しい再会【1】

「何ですって!?」


 メレアグリス国東域の中央。

 ランフォード公爵城の家族用居間。

 ファシリア=ロウ=ザ=ランフォードが信じられないといった表情で、執事のガレリ=ファルックを見つめた。


 彼女の声は少しハスキーなメゾソプラノ。

 陶磁器のような透ける白い肌に、淡い緑色の大きな瞳がとても印象的な小柄で華奢な女性である。


 王家のゆかりであることを示す黒髪を今はおろしてゆったりとなびかせ、毛先には軽くクルクルとウエーブをつけていた。

 ペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵の第一子である。


 年齢は二十歳になるのだが、その容姿はもっと若くみえる。

 どことなく儚い雰囲気を全身からかもし出しているせいかもしれない。

 この公爵家で何不自由なく大切に育てられてきた正に深窓の令嬢である。


 彼女が腰掛けているソファーの直ぐ後ろには、同じ黒髪の男性がひとり立っている。

 更に向かい側にはもうひとり黒髪の男性が座っていた。

 前者は彼女を守る従者のように付き従い。

 後者は足を組み片手に飲み物を持ちくつろいでいる。

 年齢はどちらも十八歳なのだが、実に対照的な二人であった。


「ガレリ。もう一度……、言って頂けます……?」


「はい。ペレニアル陛下からの伝言で御座います」


 ファシリアの美しい眉が、微妙に動いた。

 彼が父のことをと言ったからである。


『それは国王にのみ許される敬称であって、お父様が使ってよいものではないわ。以前は殿であったのに……』


 この数か月会わないうちに、どうやら変化させたようだ。

 彼女は無言で執事ガレリを睨む。

 そんな彼女の様子には全く気付かず、彼は淡々と手に持っている書状を再度読み上げる。


「ファンデール侯爵婦人レリア殿の御名を使い、現在王宮へと進軍しております反逆者共をこの城へと誘い込み、殲滅せんめつを謀りますので、皆様は速やかに王宮へと移動下さいますように、との仰せです」


「お父様が、そう仰ったのですか?」


「左様で御座います」


 無感情な執事ガレリの返答に彼女は少し俯いて考えこんだ。


「ですが……。肝心のレリア様は、今こちらにはいらっしゃいませんわ。私達がここを出立したのち、お招きするのですか?」


「いえ、そうでは御座いません。あくまでもここにいると、噂を流すだけです」


「ほう……。この城自体を囮に使おうというのか!?」


 そんな二人の会話に、今まで黙っていた正面席の黒髪男性が笑顔で加わってきた。


「流石は父上。なさることの規模が大きい!」


 彼の名はサルディス=ロウ=ザ=ランフォード。

 ペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵の第二子にあたり嫡男でもあった。


 大きなウエーヴの黒髪を肩胛骨の辺りまで伸ばし、それを首の部分でひとつに纏めている。

 瞳の色も母親譲りでファシリアと同じ淡い緑色なのだが、こちらはかなり印象が違い冷たい感じを受けるのだった。

 身長は平均的である。

 しかし、父親の体質を受け継いでいるのか、それとも単なる贅沢の産物か、かなり横に肉付きがよい。


「そんな! 騙すのですか?」


「これも戦略のひとつです」


 そんな風に言われてしまうと、彼女に反論の余地はない。

 戦のことなど全く何も知らないのだから。


「………でも…。そんな、卑怯だわ………」


「姉上、何を仰います!? 素晴らしい作戦ではありませんか⁉ 必ず成功するでしょう。何せ彼等は必死にファンデール侯爵婦人の行方を捜しているそうですら」


「左様です。ペレニアル陛下のためにも、反逆者共は排除しなければなりません。特に首謀者は」


「ここが連中の墓場となり、また我が国に平和が訪れるわけです。喜ばしいことだ。あんな赤毛が玉座に座っていいはずがない」


「しかし、ジーグフェルド様は、皆に認められた後継者なのに……」


 勢いづく二人に、少し離れた場所から声がする。


 ファシリアの後ろに立っていたレオニス=メルキュールであった。

 女性と見間違えるような端正な顔立ちに、少し暗めの淡い緑色の瞳。

 肩にかからない程度に切りそろえられた黒髪は、緩やかなウェーブが幾重にも流れており、まだ少年の面影を色濃く残している細身の青年であった。


「お前が口出しすることではない‼」


「サルディス! 失礼ですよ!」


 サルディスがレオニスに向かって怒鳴りつけると、瞬時にファシリアがそれをたしなめる。

 しかし、姉の言葉にサルディスは全く動じず逆に嘲笑を浮かべた。


「失礼⁉ こんな、姉上のお情けで生かして貰っている者にですか⁉」


「サルディス‼」


 弟のあまりの言葉にソファーから立ち上がり、再びファシリアが叱りつける。

 その表情はかなり険しいものとなっていた。


「ファシリア様。どうか、もう……」


 そんな彼女の横へとまわりレオニスが足下へと跪く。


「レオニス……」


「サルディス様……。申し訳ありませんでした…」


「分かればいいんだよ」


 姉の怒りに気押されしたが、レオニスの謝罪に気をよくしたのか彼は満足そうにウンウンと頷く。

 何度言っても態度を改めない彼に、ファシリアはきつい眼差しを向けたままであった。

 流石にそれに絶えかねたのかサルディスは矛先を別の方へと向ける。


「ガレリ。では、レリア殿は、今一体どちらに?」


「デュイス子爵城にお連れしてあります」


 デュイス子爵城はこのランフォード公爵城よりほぼ真北に位置し、リェージュ街道沿いにある森林に囲まれた地だ。

 マーレーン男爵城を出発した馬車は、いかにもランフォード公爵城へと向かったように見せかけて今現在ジーグフェルド達がいる場所より東へ向かっていたのだった。


 このことをマーレーン男爵は知らされていなかったのであろう。

 気の毒にも死の寸前まで、ランフォード公爵城へ向かったのだと信じていた。


 しかし、だからこそジーグフェルドにそう思わせることが出来たのだとも言える。

 彼は母レリアがランフォード公爵城にいるのだと信じてしまったのだから。


「そうか。まあ、囮がどこにいようと、あまり我らには関係はないか……。さあ、やっと王宮に呼んで頂けるのだ。急いで支度をしなければ」


 サルディスは椅子から立ち上がりイソイソと部屋を出て行った。

 その彼に続いて執事のガレリ=ファルックも、起立したままのファシリアに一礼すると退室する。


 部屋にはファシリアとレオニスの二人だけとなった。

 彼女はソファーに力無く座り、両手を顔の前で組んで項垂れ、深い溜息を吐いた。


 両手が小さく震えている。

 ファシリアが座ったためレオニスはその顔を近くに見ることが出来た。


『顔色がひどく悪い…』


「ジーグフェルド陛下を王宮から追い出したばかりか、更にこのような謀をして……。神がお許しになるはずがありません……」


「ファシリア様……」


 呟いた彼女の言葉は嘆きだった。

 レオニスは少し動いて更に彼女の側により、震えているその手にそっと自分の両手を重ねる。


 ゆっくりとファシリアが彼の方へと顔を向けた。

 その表情は何かを決意した様に、しっかりとした瞳の輝きを放っている。


「レオニス。ガレリが言ったことを、どうかそなたがジーグフェルド陛下に知らせてあげて」


「‼」


 彼は驚いて言葉を失った。

 何という決断であろうか。

 彼女は実の父親を裏切ろうとしているのだった。


 もし発覚すれば、実の娘であろうと容赦はされないであろう。

 よくて生涯牢獄生活、最悪はその場で殺される。

 そして、それは使いに出たレオニスも同様であろう。


 しかし、彼女は面識のあるジーグフェルドに一縷いちるの望みをかけていた。

 真実を知らせたことで恩赦をかけて貰い、レオニスの命を助けて欲しいと思ったのだ。

 出来ることなら彼の側で、守って欲しいとも。


「お許し頂けるか分かりませんが、そなただけでも陛下のお側にお行きなさい。そしてお父様の行いを、お詫び申し上げて」


「姉…上……」


 レオニスは十年ぶりにこの言葉を口にした。

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