63話 揺れる心【13】
「これは凄い……」
ジーグフェルドから指示のあった場所へと到着した司令官バインは、その光景に溜息をひとつ吐いていた。
周辺の部下達からは驚愕の声があがっている。
どんな剛腕の持ち主でも矢が届くか否かという程の距離に、ロープが綺麗に四本架けてあるのだから驚くのも当然であろう。
しかも、この場合は、矢が対岸に届けばいいというものではなく、木にしっかりと刺さっていなければならない。
そうでなくては最初のひとりが向こう側に渡れないからだ。
『川を渡る場所だけでなく、その先の木々にもロープが続いているな。全てはイシスがいてくれて初めて可能となることばかりだ……』
それ故、何も知らずただ命令されるままここへきた兵士達が、驚いたり不思議に思うのは仕方のないことだった。
「一体どんな弓の名手が?」
「いつの間にやったんだ?」
「出来ることなら、その場に立ち会いたかった」
「是非とも見たかったよ」
などなどである。
『頼むから。オレに聞かないでくれ………』
背後から聞こえてくる声に、直接聞かれたらどうしようかと司令官バインは内心ドキドキしていた。
それは西側へ行った司令官シルベリーの方も同じなのだろうが、彼の場合は質問しても返事がまともに返ってくるかは甚だ疑問である。
吊り橋は、足場部分の作業が進むと、イシスとジーグフェルドが夜中にこっそり、その先のロープを架けていく形で山の麓へと繋いで行き、全てが完成した。
「東側にローバスタ砦の兵士と、アフレック伯爵家の兵士、バーリントン伯爵城で味方に引き入れた兵士の半分を移動させて下さい」
「かしこまりました」
「同じく西側には、モンセラ砦の兵士と、シュレーダー伯爵家の兵士、更にコータデリア子爵家の兵士と、バーリントン伯爵城の残り半分を配置して下さい」
「承知致しました」
これだけの兵士が移動したので、今いる山中ではかなりのスペースが出来たことになる。
「残ったファンデール侯爵家の兵士を、平地へと移動させ陣形を組ませよ」
「はっ! 承知致しました」
ランフォード公爵軍に気付かれないよう、真っ暗な中、松明も持たず月明かりのみで動いたので、かなりの時間を要してしまった。
しかも、陣を組む平地は大小様々な岩や木々が散乱しているので大変である。
ようやく陣形が整ったのは、明け方近くであった。
「戦闘開始の合図を頼む」
そう言ったジーグフェルドの側で、ファンデール侯爵家の兵士が狼煙をあげた。
「おおおおお!!」
合図を確認した東西両陣営の兵士達が一斉に声を挙げ、ランフォード公爵軍へと襲いかかる。
丁度夜明け前の炊き出しを行っているところであった。
まだ殆どの兵士達は寝ている。
「敵襲だ!! 起きろ!!」
飛び起きたランフォード公爵軍を、山に囲まれ岩と流木が散乱する平地へと追い込むように囲っていった。
これまでの北西域連合軍の動きを察知出来なかったところから、あの渓谷を渡って対岸の山に兵を動かすなど、ランフォード公爵軍は誰も予想すらしなかったのであろう。
どこを守ったらいいのか、いや、どこへ逃げればいいのか分からずに慌てふためく。
そして何もこない方へと移動したら、ファンデール侯爵家の兵士達が待ちかまえている平地なのだった。
逃げたと思ったのも束の間、正面から朝日と共に鬨の声が勇ましくあがる。
「かかれ!!」
「おおおおお!!」
これでは僅かに残っていたなけなしの戦意も、完全に崩壊してしまう。
降伏する兵士が続出する。
そんな中で、ジーグフェルドはマーレーン男爵の姿を見つけた。
山中に逃げ込もうとしている。
彼は、先の水攻めの際に流されはしたが、運良く下流で増援に向かっていたアペルドーン伯爵に助けられたのだった。
ジーグフェルドは愛馬アスターを走らせ、マーレーン男爵の前を遮り、顔面に剣の切っ先を向ける。
「よく生きていてくれたよ」
「ひっ…!」
怒りに震えるジーグフェルドのオーラに、彼は小さく悲鳴を上げて腰を抜かし地面に座り込んだ。
「城でオレに教えた、母の件は誠のことか!?」
「そ…そうです。あれは本当です! 一切嘘はついておりません……」
「そうか。それが聞けてよかったよ」
ジーグフェルドは剣を薙ぎ払った。
マーレーン男爵の首が、弧を描いて宙を舞い、ゴトリと音を立てて地面へと落ちる。
その様子を側でイシスがジッと見守っていた。
そしてそれと同時に、戦闘は終結したといってよかった。
アペルドーン伯爵以下の首脳陣は、ことごとく首を落とされ、生き残っている兵士達は全員大人しく投降した。
敵の被害は甚大であるが、今回も北西域連合軍の被害は少ない。
コータデリア子爵が造った道は所々壊れてしまってはいるが急いで修復し、山中に残している馬や荷車を移動させ、一行はやっと南へと進むことが出来た。
昨夜からの移動や戦闘で疲れているはずなのに、みんな笑顔である。
その光景を見つめるジーグフェルドも、自然と笑顔になっていた。
「イシス、ありがとう。全てそなたのおかげだ。本当に感謝するよ」
全ての首脳陣達と合流した場で、ジーグフェルドはイシスの手を取って甲にキスをした。
「えっ!? あ、あの……」
ジーグフェルドからこんなことをされたのは初めてだったので、彼女は驚いて顔を真っ赤にしてしまい、どうしていいのか分からず狼狽えてる。
こんなところは本当に可愛いと、ジーグフェルドは思った。
そして何がイシスのおかげなのか全く分からないプラスタンス達の頭上には、更に深い霧が立ち込めるのであった。
「う~む………」
ラルヴァは白い口髭を何度も撫でながら唸っている。
少々気の毒に思いつつも、彼等に背を向けクツクツと笑ってしまう、カレルとジュリアと司令官バインの三名であった。
「不甲斐ない連中め!」
王宮ドーチェスター城最深部で、今回の知らせを聞いたペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵は、手に持っていたグラスを床に叩き付けた。
「………………」
その横でニグリータが美しい形の眉を歪ませる。
『バーリントン伯爵城だけではなく、地の利という圧倒的に優位な条件で迎えた戦だったもかかわらず、二度も大敗するとは………。しかも、先のファンデール侯爵家から数えて、五連敗ではないか……』
知らせを受ける度、ニグリータの溜息が増え、機嫌は悪くなる。
ランフォード公爵は顔を真っ赤にして、部屋から出て行ってしまった。
『なんとかしなければ……』
彼女は焦り始めていた。
そこへニグリータ宛に文が届けられる。
「そう……。なんとかね。ふふふ」
手紙を読んだ彼女は笑い出した。
喜ばしいはずの勝利が、ジーグフェルド達に暗い影を運ぶことになろうとは、この時まだ誰も知るはずがなかった。
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