62話 揺れる心【12】

 翌朝、朝食の席にイシスは姿を現さなかった。


 心配したジュリアが、彼女の天幕へと呼びに行こうとしたのを、ジーグフェルドやんわりと止める。


「いいのだ。そっと寝かせておいてやってくれ」


「陛下…?」


 そう言った彼もかなり眠そうだ。


 さっきからあくびを頻繁に繰り返している。


 もしかして追求してはいけないことなのかと、ジュリアの顔が赤くなる。


 食事がすむと直ぐ、ジーグフェルドはその場にいた司令官バインと司令官シルベリーを側へと呼んだ。


 周囲に首脳陣達以外、人がいないのを確認してから、彼は地図を広げて今後の作戦を告げる。


「今度は左右の山に兵を振り分けて移動させ、山を越えた麓の敵から見えない場所で陣形を整え、まず両脇から囲んで南の平地方面への退路を断ちます。そして正面からこの山に残した兵力で、中央突破に近い形で攻めて、敵を殲滅させようと思います」


「……それは、この状況において、理想的な戦術ではありますが……」


「作戦の段階で、既に無理があるように思えます……。兵を移動させるための吊り橋を架けることができませんし、迂回させる道も御座いませんから……」


 彼の説明に当然であるが、ラルヴァとプラスタンスからやんわりと反論があがる。


「そうです。ここの山と山の間の渓谷は非常に深く、切り立った絶壁が上流までずっと続いています。おまけに幅が広いため、対岸に吊り橋を架けたくとも、最初の矢が届きません」


「左様。降りるだけならば、ロープを使ってできますが、あの絶壁を登ることなど不可能です。何人死者を出すか計り知れない………」


 前回堰を造るのに、相当苦労したから、この二人にはそう言えるのだ。


 他の者達もそれが分かっているので、難しい表情をしている。


「いえ、ご心配には及びませんよ」


 そんな彼等に、ジーグフェルドがニッコリと笑う。


「陛下…?」


「それは、一体どういう…?」


「そのためのロープは、もう対岸に架けてありますから」


「!!」


 その場にいたほぼ全員が驚く中、カレルとジュリア、そして司令官バインが微妙に顔を歪ませた。


 イシスがこの場におらず、ジーグフェルドがひどく眠たげな理由が分かったからである。


 二人は皆が寝静まった夜中、こっそりと天幕を抜け出し、イシスに空を飛んで貰って、吊り橋を架けるのに必要な作業を行っていたのだった。


 合流して早々やってくれる。


 それも行動はこっそりと、内容は派手に。


 三人は自然と苦笑していた。


「いつの間に…!?」


「どうやって…!?」


 納得できない者達の口から、驚きの言葉が漏れる。


「我々には赤い月の戦女神がいるではありませんか」


 ジーグフェルドはいつものように、涼しい顔をしている。


「バイン司令官は東側を、シルベリー司令官は西側を担当して下さい」


「かしこまりました」


 指名を受けた二人は、深く頭を垂れ命令を受け取る。


 そこへ声がかかった。


「お待ち下さい! 陛下!」


「そうです。今度も私たちに!」


 ラルヴァとプラスタンスだ。


 当然今回も自分達が任に就きたいと願うからである。


 二人とも必死の形相をしていた。


「いえ、今回はこちらにお願いします」


「しかし!」


「お二人は先の件で、十分すぎる程働いて下さった。今回は休んで頂きたい」


「陛下……」


 一部にだけ集中して命令を出すのは、上官として好ましいことではない。


 できるだけ分散してやらないと、過剰負担と嫉妬の対象となってしまうからだ。


 それに他にも考えもある。


「何、こういった作業は、砦の方が上手なのですよ。適材適所! そういうことです」


「そうそう、たまには我らにも、まともな仕事を回して下さいよ。でないと身体が鈍ってしまいます」


 ジーグフェルドの言葉に、司令官バインが賛同する。


 そこへ意外な人物からポツリと声があがった。


 モンセラ砦の司令官シルベリーである。


「そうですね。兵士達に仕事させないと……」


「…いや……。貴殿も動け・よ……」


 普段滅多に喋らず、寡黙にモクモクと作業をこなす優秀な男なのだが、たまに口を開けば何とも不思議というか的はずれというか、テンションを下げるようなことを言う。


『ここまで天然な男だったかな………?』


 こめかみを押さえながら、一応彼と一番親しい司令官バインが突っ込みを入れた。


 会議の場でも食事の場でも顔を合わせてきたのに、今まで一度も喋ったのを聞いたことがなかったジュリアは司令官シルベリーの顔を見つめたまま固まってしまう。


 プラスタンスとラルヴァに至っては、先日のこともあってか、目眩を憶えながら明後日の方向へと視線を向けてしまった。


 カレルも呆れている。


 この場で動じていないのは、ジーグフェルドくらいなのもであった。


 が、彼の場合、司令官シルベリーと通じる部分があるので、別に変だと気付いていないといった方がよいかもしれない。


 周辺の反応に不思議な表情をしつつ、説明を続けた。


「双方渓谷沿いに上流へと行って下さい。 川がカーブを描いた先くらいにロープを張っていますから、あとは敵に気付かれないよう、慎重にお願いします」


「お任せ下さい!」


「かしこまりました」


 そうして二人の司令官が立ち去ると、早々にジーグフェルドも立ち上がった。


「陛下?」


「天幕にいます。何かあったら起こして下さい。一睡もしていないので、今から寝ます」


 それだけ言うと、今回もそそくさと逃げるように、その場をあとにする。


「あ…。あの……!」


 バーリントン伯爵城に続き、またしても不思議の理由を聞かせては貰えないプラスタンス達であった。

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