61話 揺れる心【11】
ジーグフェルドは彼女たちに再会でき、ジュリアからの手紙が途絶えたわけも理解できた。
たった二人でここまで移動してきたのだ、手紙など出せるはずがない。
「ジュリア。イシスの介護をありがとう。ここまでの道中も無事でよかった」
「恐れ入ります。彼女と一緒だったので、楽しかったですわ」
ジュリアの言葉に、ジーグフェルドはニッコリと笑った。
『彼女もカレル同様、バーリントン伯爵城での一件以降イシスを信頼し、以前よりも更に親しくなったようだな。イシスをジュリアに預けてよかった』
「お礼がしたいけど、何か希望はあるか? 無論、今すぐでは大したことは出来ないが……」
「お気持ちありがたく。ですが、特には何も。お役に立てて嬉しゅう御座います」
「そうか…?」
ジュリアは本当に何もいらなかった。
自宅のアフレック伯爵家で再会してからずっと、難しい表情ばかりしていたジーグフェルドが、本当に嬉しそうにしている。
それだけで満足できたのだった。
「イシスは? 何かして欲しいことはあるか?」
いきなり振られ驚いて、少し考えたのち、イシスはそっと彼に耳打ちをした。
「お風呂、入りたい」
「!」
ジーグフェルドは思わず苦笑する。
「何だ、そんなことでいいのか?」
「うん!」
本当に無欲な女性達である。
「分かった。直ぐに用意させよう」
彼はファンデール侯爵家の兵に早々に命じた。
風呂の用意をして貰っている間、イシスとジュリアは皆と一緒に夕食をとり、ジーグフェルド達は、これまでのイシスの容態経過などを聞いた。
「なんの毒なのか特定できず、ずっと治療は難航しておりました。そして七日程前、ようやくパーロット男爵の薬師が突き止め、治療薬を調合出来たのです。それからイシスの様態は急速に良くなりました。それはもうお医者様も驚かれるほどに」
「そうか…」
イシスは若いし体力も十分あったので、急速な回復が可能だったのだろう。
だが、それだけではない。
全く分からない毒を分析し、短時間で治療薬を調合した薬師も十分賞賛に値する。
「パーロット男爵は、よい薬師をお持ちだな」
「まことに」
「とにかくよかった」
「本当にな」
皆が本当に嬉しそうにしている。
「それでお医者様から、もう大丈夫とお許し頂きましたので、四日前マーレーン男爵城を出発致しました」
「パーロット男爵に、お礼の書状を出しておこう」
「喜ばれますでしょう」
そこへファンデール侯爵家の兵士がひとりやってきた。
「陛下。お支度の方、整いました」
彼は恭しく跪き、ジーグフェルドに風呂の用意が出来たことを告げる。
「そうか、ご苦労だった。イシス用意が出来たそうだ。行っておいで」
「はーい」
彼女は嬉しそうに立ち上がると、兵士に導かれ河川の近くへ降りて行った。
それは、丸太の中をくり抜き浴槽にし、その中に川の水を汲み、火で熱した石をいくつも中に入れてお湯にした風呂であった。
夕食を作った直後だったので、熱した石は沢山あるから丁度よかったのである。
その丸太を置いた周囲の木々に布を巻き付け、即席で仕切りを作り、そのままでは真っ暗なので、四方に蝋燭を灯してくれていた。
簡易式な露天風呂の完成である。
〈へぇ…。こんな方法があるんだ。初めて知った。面白い〉
イシスは驚きながらも、喜んで湯船に浸かった。
お湯加減も丁度よく、上を見上げれば背の高い木々の間から星々の瞬きが見え、とても気持ちよかった。
こんな戦場で風呂に入れるなど、最高の贅沢であった。
そこへ足音が聞こえ、布の向こうにぼんやりと大きな人影と蝋燭の明かりが見える。
この世界で一番慣れている気配であった。
「気分はどうだ?」
ジーグフェルドである。
「ああ! 最高、気持ち、いいよ」
「そうか。良かったよ」
彼はホッとして、側の切り株に腰を下ろす。
女性が風呂に入っているのにやって来るなど、あまり感心できる行為ではないが、別に覗くつもりなど毛頭ないし、二人で行動していた時はこんな感じだったので、双方特に気にしてはいなかった。
「ジークも、入れば?」
「えっ……!?」
イシスからかけられた言葉に、小さく声を発したきり、黙ってしまったジーグフェルドであった。
どう解釈していいのか悩んでいるのだ。
バーリントン伯爵城の泉で、腹に蹴りを入れられた記憶が蘇る。
そんな彼の心理を読みとってか、イシスの眉間に皺が寄る。
「一緒、じゃ、ないぞ……」
「あ! 何だ…よかった……」
ホッとして、息をはき出すジーグフェルドに、彼女の眉間の皺は更に深くなった。
「今の、どういう、こと…だ……?」
「あ! いや。なに。その……。いいではないか!」
なんとかごまかす。
布の向こうから響く楽しげな水音を聞きながら、ジーグフェルドはポツリと彼女に話しかけた。
「なあ、イシス」
「ん? なに?」
「男のオレでは、その…、色々気付いてやれない部分も沢山あるが、できればそなたの体調のことなど、最初に教えてはくれないか?」
「ジーク……?」
「そなたにとってはあまり気分のいいことではないだろうが、オレは…、二度とあんな思いはしたくないのだ…。あんな………」
彼はイシスが死んでしまうのではないかと感じたあの時の恐怖を思い出していた。
張られている布の向こうで座っている、大きいはずのジーグフェルドの影が、妙に小さく感じられる。
途中から小さくなった声の声が、とても苦しく切なそうに聞こえた。
イシスはふわりとお湯の中から身体を浮かすと、布の上から顔だけを外に出して、こちらに背を向けて座っているジーグフェルドを見下ろした。
マーレーン男爵城でジュリアに看病して貰っていた時、彼が自分の体調のことを知らなくて、告げられた際にどれだけショックを受けたかを聞かされていたのだ。
今、彼に告げられたこと全てを理解できたわけではないが、何となく言わんとしていることは分かる。
そんな風にしょぼくれて言われると尚更だ。
「分かった」
横からではなく頭上から降ってきた声に、ジーグフェルドが驚き、振り向いて顔を上げる。
そこにはいつもの強い輝きを放つ瞳があった。
その顔は、「しょうがないなぁ、もう……」という感じで微笑んでいる。
それだけ言うと、彼女はスルリと湯船へと戻っていった。
「ありがとう、イシス」
彼女の態度に安堵し、俯いて小さく呟いたジーグフェルドの言葉に返事はなかったが、再び楽しげに水音をたてる様子に彼は微笑した。
そしてその夜、ジーグフェルドはもうひとつ彼女に頼み事をしたのだった。
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