60話 揺れる心【10】

「山へ逃げ込み、そこから出てこれぬとは、猿のような戦術だな!」


 ランフォード公爵家の旗の下、総指揮を任されたアペルドーン伯爵が大声で笑う。


「誠に」


「流石にもう打つ手がないのでしょう」


「所詮は北西の猿共」


 側に控えていた首脳陣達も嘲笑する。






「はっくしょん……」


 焚き火を囲み、夕食を取っていたジーグフェルドがくしゃみをした。


「どうされました?」


 首脳陣が全員集まって食事をしていたので、側にいたプラスタンスが心配そうに彼の顔を覗き込む。


「あ、いや……、悪口を言われたような気配が……」


「どうせ、南の方からでしょうな」


「あ奴らに決まっておる…」


 バイン司令官とラルヴァが忌々しそうに、南方を睨んだ。


「申し訳ない……。私がもっと早く、道を造ることが出来ていたら……」


 コータデリア子爵が無念そうに項垂れる。


 彼はこの中で一番の年長者である。


 そしてその領地内には河川が多く、橋を架けたりする土木作業に、特に秀でていた。


 だからこそ、ジーグフェルドは彼に指揮を頼んだのである。


「何を仰います。貴殿のせいでは御座いませんよ」


「そうです。あれ以上の速度で道を完成させるなど、到底他の者には務まらなかったはずです」


「しかし……」


 折角造っても、使用出来ないのでは意味がない。


 最前を尽くしたつもりでも、もっとどうにかならなかったのかと悩んでしまうのだろう。


 彼の表情は一向に晴れることはない。


「そうですよ、コータデリア子爵。貴殿だからこそ完成させることが出来たのです。私の期待以上の働きでした。感謝しております。ですからそんな表情かおをなさらないで下さい」


「陛下……」


「せっかく造って貰ったのですから、何としても使えるようにしないといけませんね」


「お言葉、勿体ない………」


 遂に彼は涙ぐんでしまった。


『何としてもコータデリア子爵の労に報いたい。しかし、その打開策が、一向に浮かばない……』


 ジーグフェルド達は心底お手上げ状態であった。


「何か…、山から出たり入ったりで、俺達猿みたいだな……」


 そうふてくされ気味に呟いたカレルの背後から、不意に聞き慣れた声が降ってきた。


「あら、それならここに本物が一匹。黄色いですけど」


 驚いた一同が一斉に声の方を向く。


「ジュ・ジュリア!」


 少し意地悪い笑みを浮かべ、右手を腰に軽く当てたジュリアがそこに立っていた。


「イシス!!」


 彼女の背後にイシスの姿を見つけ、ジーグフェルドが再度驚いて立ち上がる。


「ジュリア……。イシス…。一体これは……!?」


 狼狽える彼に、ジュリアがニッコリと微笑み、イシスを両手で押し出すようにして差し出した。


「お待たせ致しました、陛下。大切なお届け物を、お持ちしました」


 押されてジーグフェルドの直ぐ側まできたイシスの顔色はとてもよかった。


 すっかり元気になっているようだ。


「えっと…。あの……」


 何と言ってよいのか分からずにイシスの口がもたつくが、そんなことはお構いなしに、彼の身体は無意識のうちに動いていた。


 彼女の身体はアッという間に、ジーグフェルドの腕の中である。


「よかった……。元気になったのだな……」


 消え入るような小さな声だった。


 しかし、イシスの耳には、はっきりと聞こえた。


 小さかったが故に、どれほど心配してくれていたかが切に伝わる。


 触れ合っている場所からお互いの体温が伝わり、生きている喜びも感じられた。


 そんな微笑ましい光景の側で、ジュリアとカレルの視線が合ってしまう。


「茶色いお嬢さん。もしかしてさっきの黄色い猿って、オレのことですかねぇ…?」


「まあ! 自覚がないなんて。神への冒涜ぼうとくだわ!」


 掴みかかってどうにかしてやりたい気分であるが、側で目を光らせている大魔王が恐ろしい。


 この陣中で最大にして最強の御仁である。


 報復も反論も出来ずにふて腐れているカレルに、父であるラルヴァがぼそっと呟く。


「情けない奴め」


「父上があの猛獣を制御できたら、試してみないこともないですが」


「無理!」


「即答ですか…!?」


 プラスタンスと同列に位置する父にとっても、彼女は怖い存在らしい。


 ならば自分が彼女にもその娘にも敵うはずはないと、カレルは思うのだった。


 イシスが嫌がらずにジッとしているので、ジーグフェルドはこの間ずっと彼女を抱きしめていた。


 が、あまりにも周囲の目を憚らず、その抱擁が長すぎたので、気が付いたカレルが牽制する。


 ここには首脳陣が一同に介しているのだから。


「おい、ジーク。そろそろ離してやらないと、窒息するぞ……」


「えっ!? あ、そうか…!?」


 ジーグフェルドがユルユルと、名残惜しそうにイシスの身体を離す。


 その彼女の頭に軽くポンと手を置き、カレルが笑顔を見せる。


「よかったな。元気になって!」


「うん。心配、かけたな」


「全くだ!」


 バーリントン伯爵城での出来事以降、すっかりうち解け合っていた。


 カレルが彼女のことを、ジーグフェルドのおまけではなく、重要な人材だと認めた証である。


「本当によかったですよ」


 笑顔でバイン司令官も近寄ってくる。


「心配、ありがとう」


 再会を喜び合っている側で、ジュリアがプラスタンスへ挨拶する。


「お母様、只今戻りました」


 プラスタンスも突然のことだったので、かなり驚いていた。


「そなた達……まさか。たった二人で、ここまできたのか!?」


「ええ、お母様」


「…………」


 ニッコリ無邪気に笑う娘に、彼女は言葉を失う。


 あまりにも危険かつ無謀な行動だったからだ。


 ここは東の領域で、周囲の者は殆どが敵だと考えてよい。


 しかもそれだけではなく、山間部なのだから当然山賊の類にも気を付けなくてなならないのだ。


「パーロット男爵は、供の者を付けては下さらなかったのか?」


「お気遣い頂きましたけれど、お断り致しましたの」


「どうして…?」


「イシスがおりますから」


「…………」


 プラスタンスには娘が言っている意味が分からなかった。


 彼女はイシスの不思議な力のことを、一切知らないのだから無理もない。


「と……とにかく。何事もなく無事でよかった……」


 主を亡くしたマーレーン男爵城の管理を任されているパーロット男爵も同様で、出発する際かなり心配された。


 しかしジュリアは、自分達と合流するまでジーグフェルドが、彼女とたった二人で移動してきて無事だったことや、バーリントン伯爵城でのことで、大丈夫だと判断したのだった。


 イシスに自分と二人で行くと告げた時、何も不安そうな表情を見せなかったので特にである。


 それにジュリアは好奇心もあって、彼女と二人で行きたかったのだ。


 女性たった二人だけの移動。


 きっと今しか経験できないことだろうから。


 ジュリアもイシスに絶対的な信頼をおくようになったひとりであった。

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