58話 揺れる心【8】
「こちらの方が、面白そうだったので……」
カシャーンと陶器の割れる音がした。
ラルヴァの隣に座っていたプラスタンスが、手に持っていた皿を落としたのである。
姿勢はそのままで動かないから、どうやら石化してしまったようだ。
彼の隣に座っている司令官バインは、頭だけをぎこちなく動かし、司令官シルベリーの方を向いた。
錆び付いた鉄を動かした時に、ギギギギギと軋む嫌な音が聞こえたような気がする。
その後ろに直立不動で立っている司令官補佐ダーウィンズは、あごが落ちるのではないかというくらい、口を大きく開けていた。
皆が予想していた模範解答とは、あまりにも大きく異なるものであったから。
「それだけ…なのですかな……?」
ラルヴァは顔を引きつらせながらも、気を取り直して聞いてみた。
「はあ…まあ……」
「…………」
会話が噛み合わないばかりか、続かない。
そして、ラルヴァは思い出す。
カレルが司令官シルベリーのことを真昼の蝋燭と称していたのを。
昼間は周辺が明るいので、蝋燭が灯っているのか否か見えにくいということから、その存在が薄い・分かりづらいことを意味しているのである。
『たしかに良しにつけ悪しきにつけ、全く噂を聞かない人物だ…。しかし、無能な者が砦の司令官に指名されるはずがないし……』
あの場所は至極特殊かつ重要な位置にあるのだから。
ラルヴァが頭の中でグルグルと考えを巡らせていると、隣で石化していたプラスタンスがスックと立ち上がった。
司令官シルベリーを覗いた全員がギョッとする。
休憩中とはいっても戦時下にその身を置いているのだから、当然剣を常に持っている。
彼女の気性をよく知る彼等は、プラスタンスが怒って剣を抜くのではないかと思ったのだ。
いつもの怒鳴り声と共に。
しかし、その心配は見事に外れる。
「……天幕に…戻ります……」
そう言って、
後ろ姿にかなりの疲労感を漂わせている。
司令官シルベリーから受けた不意の精神攻撃が見事にきいているようだ。
いくら疲れているからとはいえ、あのプラスタンスに一言も発せさせず、退却させてしまうとは恐るべし。
『もしかすると、とんでもない大物なのかもしれん……』
ラルヴァは密かにそう思った。
同時に、兵士達が近くにいなくてよかったとも。
だがこの後、皆がどう話してよいのか困惑し、会話が続かなかったのは言うまでもない。
月の明るい真夜中、皆がシンと寝静まっているこの時分、北西域連合軍が潜んでいる山中の河川に沿って、松明の明かりが次々に灯っていった。
その明かりが上流へと到達すると同時に、作戦が開始される。
左右の山に分かれて配置していた、現地指揮官カレルとエアフルトの手に持たれている松明が、ゆっくりと大きく弧を描く。
それを合図とし、築かれていた堰に最後の楔が打ち込まれる。
水圧とのバランスを辛うじて保っていた堰が、音を立てて崩壊し、堰き止められていた水が一斉に下流へと流れていく。
轟音と、大小様々な石塊や木片と共に。
「おおおおお!!」
疲労がピークに達していた兵士達の間から一斉に歓声が上がる。
腰に括り付けていたロープを引き上げ、堰に最後の楔を打ち込んだ兵士達を回収したカレルとエアフルトは、お互いに離れた場所でではあるが、同じ笑顔を浮かべた。
解き放たれた水は止まることを知らず、下流に設けられた堰を次々と飲み込み、巨大な水竜へと姿を変え速度を増していった。
左右の河川が合流する地点にいたジーグフェルドの耳に、その水竜が近付く轟音が聞こえてくる。
同時に大地も揺れた。
「来たか!」
巨塊を動かし、周辺の岸壁を削り飲み込み、幾重にも襞のように重なった波打つ濁った水面。
それが左右から同時にやってくるのだから、まさに水竜のごとき勢いであった。
月明かりに照らされたその姿と、迫りくる迫力に彼は圧倒される。
予め水位がかなり上がることを想定して、ある程度高い場所に移動していたジーグフェルド達の眼前で、高々と水柱を発生させ左右の濁流がぶつかり合う。
その激しい衝撃に散った飛沫が彼等を襲った。
そして巨大化したその水竜が次に狙うのは更に下流。
即ち北東域連合軍の陣である。
「行けっ!!」
ジーグフェルド達がいる山よりも、左右にある山が平地の方へと突き出ているため、その線に沿って扇状地を舐めるように水は流れて行き、アッという間に北東域連合軍の陣を飲み込んでいった。
水が起こす地響きを察知した者達が警鐘を鳴らしたが、山に阻まれ直前まで何が起こっているのか全く理解できなかったので、対応は著しく遅れた。
そのため、うねりを挙げる水竜を発見した時には、なす統べなく見上げるしかなかったのである。
川を堰き止めても水を枯らすことなく、常に一定の水位を保たせていたので、敵に気付かれることがなかったのだ。
ラルヴァとプラスタンスの見事な知恵の賜である。
この様子を北西域連合軍の誰もが無言で見つめていた。
いや、あまりの迫力に、声を挙げることすら出来なかったのだ。
そんな中、突然ジーグフェルドが声を発した。
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