56話 揺れる心【6】
進軍している道中、ジーグフェルドはずっと元気がなかった。
夜に、明日の進軍予定の会議が終わり、就寝までの間することがなく、手持ちぶさたの日々が続く。
イシスに文字を教えていた時間が、見事に空白となってしまったせいである。
気を利かせて毎日ジュリアが手紙を届けてくれるが、彼女の容態については、同じようなことしか書かれていない。
回復してはいるが、本当に少しずつでしかないのだろう。
手紙を受け取った時には喜び、読んでしまうと溜息を漏らすジーグフェルドであった。
「はぁ……」
そんな彼を気遣い、カレルが頻繁に天幕へと足を運ぶのだが、溜息の数は増えるいっぽうだった。
イシスの事件後捜索させた結果、マーレーン男爵一家はランフォード公爵家のある南東の方へ逃げたとの情報がもたらされた。
今現在兵を進めている方角である。
『まぁ…。山岳地帯を進んでいるのだから、造られている道は少ないし。同じ道を辿るのは当然だが…』
マーレーン男爵家を出発し、再び進軍を開始してから数日が過ぎている。
険しい道が続き、大人数での移動だったため、かなりの時間がかかってしまった。
その山岳地帯をやっと抜けるというところで、ジーグフェルド達北西域連合軍は足を止めた。
偵察に出していた斥候からの報告を受けたからである。
今現在彼等がいる山は、切り立った絶壁の山に両側を挟まれていた。
「この先、正面の扇状地には、広大でなだらかな傾斜の平野が広がっております。しかし、山から出た直ぐ目の前で、双方の山の間から流れてきた川が合流し、大きな河川となって平野を二分するように中心を通っております」
斥候の兵士は更に報告を続ける。
「合流後の川幅は約五十メートル。手前でも三十メートル程度あります。その河川に向かって右側の平地に、北東域連合軍が陣を張っております。その数約一万五千」
「!」
その旗の中に、マーレーン男爵家のものを見つけたジーグフェルドの瞳が鈍く光った。
自軍はバーリントン伯爵城で味方に取り込むことが出来た約五千を加え、数だけを比較すると優位にあると言ってよい。
『問題は兵の配置だな…』
ジーグフェルドは頭を抱える。
山道を下ってきたので、当然全てのものが道なりに縦長の配置状態だ。
戦闘が出来る状態にするには、まず横長に幾つもの隊を何重にも編成しなくてはならない。
しかし、そうしたくても、山中では傾斜がきつすぎて不可能なのだ。
『並ぶよりも先に下へ転がってしまうぞ……』
一旦山から外に出て隊列を整えようとすると、足場が川の中になる。
『水深は膝くらいなので、歩くにはさして問題ないが、道にいる順番に少人数ずつ押し出していったら、出た先で囲まれて速攻であの世行だろう……。オレならそうする』
更にこの山を迂回する道などありはしない。
色々考えをめぐらすジーグフェルドの後ろで、シュレーダー伯爵ラルヴァ、アフレック伯爵プラスタンス、そしてバイン司令官が渋い表情をしている。
「まあ、あの城から南へ行くには、この道しかないからな。当然と言えば当然だが……」
「嫌な場所に陣取っているな……」
何事においても先手をとれている敵の方が断然有利だ。
地の利を生かし、実によい場所に陣を張っていた。
彼等は平地に陣を張っているので、横に隊列を組み、しかもその層を厚く配置している。
条件のよい平地に陣を構えているのだから、彼等がこの森林に入ってくるはずがない。
「こちらも地の利を生かして、あれをどかさないといかんな…」
ジーグフェルドがポツリと呟いた。
自分の天幕へと戻った彼は、ラルヴァとプラスタンスを呼んだ。
そこで考えた今回の作戦を二人に伝える。
「シュレーダー伯爵は西側を、アフレック伯爵は東側の川を担当して下さい。呉々も敵に気付かれることのないように。それから期間は…、そうですね。七日程で頼みます」
「はっ! かしこまりました!」
双方同時に返事をし、ジーグフェルドの天幕を早々に出て行った。
彼から伝えられたのはかなりの難題である。
それぞれの天幕に戻るまでの間、二人はかなり難しい表情をしていた。
しかし、天幕の中へと入った途端、唇の端を小さく吊り上げ、喉の奥でクククと不敵に笑いだしたのだ。
ジーグフェルドに呼ばれた親を待っていたカレルとエアフルトは、その笑い方にギョッとする。
「は…母上…?」
「ち…父上…?」
怯え半分に驚く子供達を余所に、遂に二人は声を出して笑い出す。
「この作戦、面白い! 完璧なものを造り上げてみせよう!」
そう言った二人の眼孔には、鋭い光が宿っている。
双方の側にいたカレルとエアフルトは、親の発するオーラに寒気を覚えた。
与えられた作業が難しければ難しいほど燃えるし、その難題を実行するのに、自分が選ばれたことも喜ばしいことである。
それはジーグフェルドが如何に信頼を寄せているかという証だし、また実行できるだけの力量があると言われていることに他ならないからである。
こんな状況でお試しはない。
出来ないと判断された者に、声はかけられないし、現状打破の突破口を開く作戦を命令されたのだから、こんな名誉なことはない。
ましてやその競う相手が、同列の伯爵家であれば、がぜん対抗意識にも火がつく。
「出るぞ! 一緒についてこい!」
二人は子供達にそう言うと、嬉々として天幕を出て、山岳上流へと複数の兵士達を連れ向かったのだった。
それから暫くして山に木を切る音が小さく木霊する。
それは本当に小さな音であった。
「山から出ることができんとは、腰抜けばかりだな!」
「木こりにでも職替えしたんじゃないか!?」
直ぐそこまで進軍してきているというのに、山から出てこない北西域連合軍を敵軍の大将はあざ笑う。
彼等には聞こえない小さな音が、恐怖への前奏曲であるとも気付かずに。
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