54話 揺れる心【4】
夕食後の作戦会議までは同席していた城の城主マーレーン男爵は、いつの間にか
その一家と周囲に配置されていた兵士達も同様である。
何も知らされてはいなかった使用人達のみが、呆然と屋敷内に立ちつくすのだった。
「一命は取り留めましたが、依然として重体です。高熱にうなされ、意識の混濁状態が続いております」
北西域連合軍に同行している医師達が総出で看護にあたっているが、マーレーン男爵が使用した毒に対する薬は手持ちにないため治療は難航している。
「決して死なせることはまかりならん!」
ジーグフェルドは医師達に厳命し、その一方で姿を消したマーレーン男爵一家の捜査を行わせる。
胸中で怒りの暴風雨が吹き荒れているのは言うまでもないことだった。
「ラルヴァ殿。捜索隊の指揮をお願いする」
「かしこまりました!」
夜中ではあったが、シュレーダー伯爵によって捜査隊が方々に散らされる。
ここまで行ってようやく一段落ついたジーグフェルドの口から、今回の真相を知らされた一同は怒りをあらわにし、場内の飲食物や部屋の徹底検査を行う。
イシス達の給仕にあたった者は、毒のことに関して何も知らなかったのだが、国王暗殺未遂の実行犯である。
彼が生きているとはいえ、知らなかったですまされることではない。
気の毒にも首を落とされる。
そしてイシスが疑った通り、ジーグフェルドの部屋のテーブルにあった水差しにも毒が仕込まれていた。
こちらは二人に使用されたのとは違う種類のものだった。
気付かずに飲んでいたら、そこで命は終わっていたであろう。
同じ毒を続けて飲むよりも、種類の異なる毒を同時に使用したときの方が、何倍も威力は増すから。
「この水を無視して花瓶の水を使うとは…。素晴らしい状況判断ですな……」
「まったくです」
「我々でも咄嗟にこうはいかないかもしれんというのに…」
シュレーダー伯爵ラルヴァ、アフレック伯爵プラスタンス、司令官バインが感心して呟く。
「おかげで命拾いした……」
助かったというのに、ジーグフェルドの表情は苦々しいものだった。
「あの笑顔の裏に、こんな罠が仕組まれていたとはな……」
「とんだ狸だわい」
「次からはもっと気を付けなければいけませんね」
「ああ、そうですな」
「次があってよかったですよ」
「本当に…………」
一言呟くように発言して以降、黙り込んでしまったジーグフェルドを余所に、パーロット男爵とコータデリア子爵そして司令官シルベリーも交え、眉間に皺を寄せ会話が続く。
この間も、ジーグフェルドは椅子に腰掛け、ずっと下を向いている。
前髪の隙間からかすかに見える瞳には、鈍い光が宿っていた。
カレルやジュリアたちが今まで一度たりとも見たことがない、ジーグフェルドの表情である。
先ほどの一件があるので、かなり遠慮しがちにではあるが、身体のことが心配なのでジュリアが彼に声をかける。
「あの…陛下。お身体は宜しいのですか?」
「ああ。オレはもうかなり平気なんだ…。心配してくれてありがとう」
不安そうに自分の顔を覗き込む彼女に、ほんの数秒前の表情とは一変し、ジーグフェルドは笑顔を向ける。
いつもの彼に戻っていた。
が、その笑顔はとても痛々しい。
「そうは言っても毒を口にしているんだ。無理しないで休んだ方がいいのではないか?」
「ある程度は免疫を付けているから、心配するな」
カレルが声をかけるが、やはりジーグフェルド応じない。
侯爵家を担う者という名目で行ってきた行為によって、身体の回復は早く、イシスほど悪い状態にはならなかったのだ。
父であるファンデール侯爵アーレスは、こんな事態になることも考えて、色々な毒に対しての免疫を付けさせてくれていたのだろうかと思った。
思慮深い彼の行為に本当に感謝するジーグフェルドだった。
「だからといって!」
「すまん。今は眠れそうにはないんだ……」
尚も食い下がってくるカレルを、ジーグフェルドはやんわりと押さえつける。
心配してくれるのはとてもありがたいし、身体もそれを求めているのだが、とても彼の言うことを聞く気にはなれないのだ。
表面の革一枚は冷静を装っていても、体中に浸透しているぶつける場所のない怒りが全ての神経を高ぶらせている。
こんな状態では、眠ることなど不可能だし、何よりイシスの容態が気になって仕方がない。
一連のことが終わったのち、ジーグフェルドはベッドに横たわるイシスの側で椅子に座り、重い朝を迎えようとしていた。
一晩かかっても、彼女の意識はもどってこない。
医師達も尽くせる手は全て行い、あとはイシスの体力次第だった。
そこへプラスタンスに付き添われたジュリアが部屋へと入ってきた。
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