49話 不落城攻略【17】

「どうした?」


 カレルの言葉に返事もせず、血相を変えて彼は泉へと向かって走り出した。


「お・、おい。ジーク!?」


 ジーグフェルドが驚いたのも無理はない。


 振り向いたその先、当然小さく視界に入ってくるはずのイシスの姿が何処にもなかったからである。


『どういうことなんだ!? まさか!?』


 人の気配は感じなかったし、争うような水音もしなかった。


 なのにイシスの姿がない。


 つい先ほど彼女の方が人の気配には敏感であると話したばかりなのにどういうことなのか。


 不安に駆られながら泉に足から飛び込み、先ほど彼女を降ろした場所までバシャバシャと激しく水飛沫を飛ばし移動する。


 一方のイシスは、二人からこんな話をされているとは知らずに、赤く染まったシャツを脱ぎ捨て、せっせと身体を洗っていた。


 最初は手で水をすくって顔などを洗っていたのだが、乾燥しはじめた血液はなかなか落ちない。


 面倒になっったので、水中に潜り綺麗な部分だけ切り取ったシャツでゴシゴシ擦っていたのだった。


 そこへ急にこちらへ近づいてくる水音がする。


「!!」


 イシスは驚いて立ち上がった。


 幸か不幸かその目の前には、血相を変えたジーグフェルドがいるのだった。


 双方あまりの出来事に、相手の顔を見つめたままその場に固まる。


 ジーグフェルドの表情が、緊迫から安堵、そして狼狽へと見事に三段変化してゆく。


 この間数秒の沈黙。


 そのあとイシスの悲鳴が森林にこだまし、驚いた小鳥達が一斉に飛び立った。


「うわっ! すまないイシス!!」


 イシスは手に持っていた小さなシャツで身体を隠しながら水中へとしゃがみ込み、ジーグフェルドは狼狽えながら後ろに足を退き後退しようとする。


 そして、足を滑らせた。


 しかも、後ろへ倒れればいいのに、よりにもよって前へとだ。


 こんな時、本当に全てがスローモーションのようにみえる。


『何でそっちへ!?』


《まじ!? ウソでしょう!? 潰される!!》


 双方心の叫びが脳裏を駆けめぐり、大きな水飛沫とともに、縺れ合って盛大に水中へと消えた。


 泉の岸へと遅れて辿り着いたカレルは、激しく波打つ水面を呆然と見つめる。


 ジーグフェルドの大きな背中に隠れて、その向こうにいるであろうイシスの姿は見えなかった。


 が、イシスの悲鳴とジーグフェルドの言葉から、どんな状況になったのか何となく想像はつく。


 ジーグフェルドは己の勘違いから、やってはならないことをしてしまったようである。


 水中から出てきた彼の顔は、先ほど言っていたように変わっているのだろうかなどと、呑気に考えたりもした。


「お~い。生きてるか…?」


 水面へ向かって声をかける。


 数秒後、ジーグフェルドが先に水中から立ち上がってきた。


 胃の辺りを両手で押さえ、少し前傾姿勢である。


 どうやらイシスに水中で蹴りを入れられたようだ。


 こちらに向いている背中が痛いと語っている。


 そんな彼の側に浮いていたタオルが、シュルリと水中に引き込まれた。


 イシスはきっとこれを身体に巻いたのだろう。


 程なくして水面から彼女が顔だけを出した。


 とてつもなく不機嫌な表情をして、ジーグフェルドを上目使いに睨んでいる。


 その視線がカレルの方へと向けられた。


「オ、オレは何もしていないからな!」


 別にやましいことも後ろめたいこともしたわけではないのに彼は狼狽え、ブンブンと手を横に振る。


 触らぬ神に祟りなし。


 カレルは半歩後ろに足を引くと、ジーグフェルドの背中に声をかけた。


「オレが離れている間に、それ以上襲うなよ~」


「するか!!」


 ジーグフェルドが顔を真っ赤にして、彼を振り返り叫ぶ。


 カレルはきびすを返し、片手をひらひら振りながら、木々の間に足早に消えて行った。


 泉に残された二人は、どちらからともなくお互いに視線を向け、それが絡み合った瞬間、再び赤くなり俯いた。


 そして、ジーグフェルドの手には、先ほど倒れ込んだ際、彼女の肌に触れた感触が蘇る。


 それだけで何故か体温が上昇した。


 触れてしまった場所がどこなのかは、考えない方がよさそうである。


 手のひらをジッと見つめるジーグフェルドに、イシスがとても恨めしげな視線を向けていた。


 恐らく彼女の肌にも、ジーグフェルドの手が触れた感触が残っているはずだ。


 これ以上何かを考えると、その思考を速攻読まれ、剣を向けかねられない。


 彼はイシスに背を向け、口元付近まで再び水中に沈んだ。


「本当にすまない…」


 ジーグフェルドがぽつりと呟く。


 イシスは目があった時の彼の表情から、泉の中に潜っていたため、姿が見えなかった自分のことを心配して、あの位置まで来たのだと分かる。


 洗うことに必死になり、足音は水音にかき消され聞こえなかった。


 そして、慣れている気配だったし、殺気ではなかったから探知感覚がスルーした。


 自分の失態も大きい。


 そのためジーグフェルドを思い切り責めることが出来ないイシスであった。


「バカ……」


 イシスも彼に背を向け、半分ふてくされ気味に呟き返す。


 そんな二人の周囲で、小鳥達が再び楽しそうにさえずりを始めたのだった。

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