48話 不落城攻略【16】

「イシス、そなたは大丈夫か?」


「やっと、乾いた…。また、濡れた…。それに、汚れた…」


 ジーグフェルドの問いかけにイシスが愚痴をこぼしながら、とても悲しそうな表情をする。


 せっかく身体を洗って綺麗になり、新しいシャツに着替えて気持ちよくなったのに、速攻で汚れてしまったのだ。


 しかも返り血で。


 それは気分もブルーになるだろう。


「汚れていない場所で、もう一度洗ったがいいな」


 ジーグフェルドはイシスを抱きかかえ、先ほどとは違う泉へと入り、ほぼ中央にそっと彼女を降ろした。


 泉の中でイシスは血で赤く染まったシャツを不快そうに摘む。


「それも脱いだほうがいいな。俺は大岩の影に行っているから、終わったら呼びなさい。着替えをカレルに取ってきて貰おう。いいかな? 頼むよカレル」


「ああ、それは構わないが・・。どこから持ってくればいいんだ? イシスの荷物なんてオレには分からないぞ」


「ジュリアに聞いてくれ。イシスの持ち物のことは、彼女に任せてあるから」


「ジュリアに……?」


 カレルの顔が少し引きつった。


 別に嫌いというわけではないが、どうも苦手なのである。


 やはりあの恐怖の大王プラスタンスに似ているせいだろう。


 が、嫌がっていてもしょうがない。


 今一番早く動けるのは、濡れていない自分しかいないのだから。


 それにイシスは先程の功績もある。


 と言うか、彼女一人を働かせてしまったので、自分が動いてあげるのが妥当であると思うのだ。


「やれやれ…、仕方ないな。行ってくるよ」


「頼むな」


 カレルは手を伸ばし、ジーグフェルドを泉から引き上げてやる。


 ジーグフェルドはイシスが肩から羽織っていたタオルを受け取っていたので、彼女と同じように羽織ると、カレルと共に大岩の方へと並んで歩き出した。


 タオルは既に水を沢山吸っているため、自分が持ってきている新しいのに変えてやろうと思ったからだ。


 カレルの方は自分が来た方向から、バーリントン城へ帰ろうと考えたので、向かった方向が同じなのである。


 その途中、カレルはふと気になった。


 イシスがいる泉から大岩までは結構距離がある。


 いくら強いとはいえ、一応年若い女性なので、彼女を一人にして大丈夫なのかと思ったのだ。


「こんなに離れて、いいのか?」


 このカレルの殊勝な台詞に、ジーグフェルドは苦笑する。


「平気だよ。あのイシスなんだぞ」


 そう、先ほど三人の刺客を十秒足らずで葬った、赤い月の戦女神だ。


 彼女の剣も泉の側に置いてあるから、敵にやられるなど考えられないし、ましてや他の男に襲われるなんて皆無であろう。


 このバーリントン城攻略の功績で、彼女の噂は広がっているから、そんな強靱な心臓を持つ命知らずはまずいまい。


 それにジーグフェルドがくるまで、ひとりで水を使っていたのだから、今更という感じである。


「それは…そうなんだが……、う~ん」


 彼女の不思議な力を同じように体験した今でも、ここ数日で急に存在を身近にしたカレルと、常に約二ヶ月以上共に行動してきたジーグフェルドとでは、考え方が異なっているのは致し方ないことだ。


「今までだって、こんなふうに片方が水浴びしている時は、少し離れた場所でもう片方が周囲を監視していたのだから」


 そして今、自分が感じ取れる範囲内に人の気配はないし、それはイシスも分かっているであろう。


 それにどちらかと言えば、彼女の方が自分より気配には敏感なようだから、安心していていいと思った。


 そんなジーグフェルドにカレルが唐突に質問する。


「……覗かなかったのか?」


「はっ!? 何を?」


「何を…て…」


「…彼女の水浴びを…か…?」


 ジーグフェルドが奇天烈な表情をして、大きな溜息を吐いた。


「カレル…そんなことをやっていたら、きっと今頃オレの顔は原形を留めていないぞ。それどころか首が胴体につながっているか分からん…」


「……」


「このバーリントン城に侵入する時も言っただろう!? 彼女の力を自分の都合のいいよう無理に利用しようとか考えたら、今オレの側にはいないだろう、と。言葉が通じない分、そんな人の感情とか空気を読むのは、非常に鋭いんだ」


「小さいくせに、凶暴なんだな……」


「自分に向かってくる者に対しては、オレ以上に容赦しないかもな」


 ジーグフェルドはアスターテ山脈樹海で、刺客に襲われた時のことを思い出す。


 彼女は向かってきた刺客二人を、躊躇ためらうことなくあっさりと斬った。


 あの身のこなしは、普段から剣を使い慣れている者の動きだ。


 しかも、修練はしていても実際に戦闘の経験が一度もない者に、あんなことは出来ない。


 初めて人を斬るということは、とても勇気が必要なのだから。


 あれ程の殺気を相手からぶつけられただけで、手足は震え、身体が竦んで動かなくなる。


 それ故、実戦の中で一度でも人を斬った経験がなければ、ああはいかない。


 失っている記憶の中、彼女は一体どんな過去を持っているのだろうかと思う。


 だが、味方でいてくれる分には非常に心強い存在である。


「だからイシスと一緒の時は、安心して背中を任せていられるんだよ」


「ご信頼お厚いことで」


 少しふて腐れ気味にカレルがからかう。


「カレルと同じくらいにな」


「十九年間ほぼ一緒に育ってきたオレと同じかよ!?」


「何だ!? 不満か?」


「納得し難い部分もあるが……、まあいいか」


 あれ程の力を見せられたあとでは、認めざるを得ない。


「やけに素直だな」


「悪いのかよ!?」


「いいや」


 笑顔でそう言いながら、ジーグフェルドは何となく後ろを振り返った。


「!」


 途端にジーグフェルドの足が止まる。

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