38話 不落城攻略【6】

 その間にも明るさは勢いを増し、騒音も大きくなっていく。


 何事かと様子を見に行っていた兵士のひとりが戻ってきて叫んだ。


「大変だ! 馬屋とその周辺が激しく燃えている!!」


「何!?」


「中に知らせろ! 外にいる使用人だけでは、とても間に合わない」


 そう伝えている間にも、騒ぎで目を覚ました屋敷の住人達が、次々と中から飛び出してきて、明るい方へと走って行く。


 何という偶然であろうか。


 城内が混乱し、住人達の意識が火事へと向けられている今、屋敷の内部へ忍び込むには絶好のタイミングであった。


 ジーグフェルドとカレルが好機とばかりに、茂みから出ようとした時である。


 入口付近の地面に炎が幾筋にも舞い落ちてきた。


 炎が着地する際に、カランカランという音が複数するので、燃えている薪が空から降ってきたのだと思われる。


 そしてそれらの幾つかは入口から飛び出した住人に当たった。


 気の毒にも数名がその場に倒れ伏す。


 きっとあの世への直行便に乗せられたに違いない。


「一体どういうことなんだ!?」


 地表を見ていたジーグフェルドが、この光景に驚いて目を見張りながら呟いた。


 その隣でカレルが呆けたような声を漏らす。


「あの娘…、火までおこせるのか!?」


「はぁ?」


 カレルの言葉に驚いて、彼が指さす上空を見上げたジーグフェルドは、再度驚くのであった。


 真っ暗な空中の一カ所で突然炎が発生し、小さく分裂してはバラバラと地上に降ってきている。


 しかも一瞬ではあるが、その炎の明かりに照らされて、闇夜にボンヤリと人の姿が見えた。


 空中にいるのだ。


 イシスでしかありえない。


 恐らく気を利かせた彼女が、二人の屋敷内への侵入を容易にするため、敵の注意を惹き付けようと、ジュリア達の所へは戻らずに行ったのであろう。


 その光景を、ポカンとアホのように口を開けて見ながら、ジーグフェルドは妙に納得していた。


 いや、逆説的に言うならば、イシスであるから納得出来るのである。


 彼女に出会って直ぐ、アスターテ山脈を移動していた時、食料を調達して戻った際、道具も持ち合わせてはいないのに、いつも火が燃えていた理由がやっと分かった。


 どうやっているのかまではさっぱり分からないが、とにかく彼女は道具なしで炎をおこすことができるのだ。


「なるほど…。そういうことだったのか……」


 ジーグフェルドは自然と苦笑していた。





 場内は混乱をきたしている。


 何も存在しない真っ黒な空から、いきなり炎が降ってきて、死人まで発生してしまった。


 更にその炎はまだまだ降り続き、何時終わるのか分からないため、恐ろしくて仕方ないのだ。


 天の怒りだの、魔物の仕業だのと、口々に叫んでオロオロと逃げまどい、消火作業どころではなくなっている。


 あたかも天災のように見えるが、その現況はイシスなので、天災ではなく人災だろうと、ジーグフェルドは思ったのだった。


 この間にも、最初に火の手が上がった馬屋は、炎がその勢いを増していき、周囲にあった馬車や干し草などを巻き込みはじめる。


 手入れの行き届いていない庭の樹木にも飛び移り、周囲は火の海と化しだした。


 しかもこれだけでは足りないとばかりに、イシスの魔の手は城下町へと向けられる。


 不幸なサービスの大盤振る舞いを受けた場所が、次々と炎に包まれていくのだった。


 内側城壁越しに悲鳴が聞こえはじめる。


 呆気にとられて、事の成り行きを見つめていたジーグフェルドは、不意に現実へと引き戻された。


 隣にいるカレルが急に笑い出したのだ。


「ふ…、ははは…」


「カレ…ル?」


 あまりにも連続して非日常的な現象を見たために、壊れたのではないかと心配したが、無用な事であった。


「やるな…、あいつ。面白い!」


 少し遠くからの炎に照らし出された彼は、唇の端だけを吊り上げニヤリと不敵に笑っていた。


 瞳は爛々とした輝きを放ち、その表情は喜々としている。


 面白いものを手に入れた時や、状況を楽しんでいる際の顔であった。


「ふっ……」


 それを受けて、ジーグフェルドも不敵な笑みを返す。


「行くぞ!」


「ああ!」


 剣を握りしめ、今度は自分達の番だとばかりに、二人は潜んでいた茂みからその身を踊らせた。





 一方内側城壁の上から侵入の援護を頼まれたジュリアと司令官バインは、少しずつ中央の門の方へと移動してきていた。


 外壁エンド部分からでは、屋敷への入口が見えないからである。


 その間に司令官バインが、二人ほどあの世へと兵士を送った。


「凄いわ……、あんなことまで出来るなんて……」


 門の側で一部始終を見ていたジュリアが、感嘆と驚愕の入り交じった溜息を漏らした。


 最初はいつまで経っても戻ってこないイシスのことを心配していたが、その気持ちは一変する。


「まったく…、とんでもないお嬢さんだな……」


「…………」


 呆れ顔で相づちを打った司令官バインの胸元で、ジュリアは無言であった。


「恐ろしいですか?」


 イシスに対する恐怖で、固まってしまったのかと心配し、彼女の顔をのぞき込んだ彼は驚いた。


 ジュリアは微笑んでいたから。


「いいえ、寧ろ感動していると言った方がいいかもしれません」


「ほう……」


「あんなことが出来る者が、自軍に……、いえ、陛下のお側にいる。本当に赤い月の女神イシスが、我々に力をお貸し下さっているようですわ」


 流石はプラスタンスとジオの娘と言うべきか。


 案外肝が据わっている。


 ファンデール侯爵家奪回の折り、その光景に食事が出来なくなったお嬢さんからは、明らかに変化していた。


「そうですな……。敵がいくら油断しているとはいっても、彼女がいなければ、そもそもこんな場所まですんなりと侵入できなかったでしょうし」


 そう、あの鉄壁を誇る外壁をどうにか突破できたとしても、途中通過する城下町のどこかで、発見される可能性が十分にある。


 いくら深夜で寝静まっているとはいえ住民全員が敵なのだ。


 そして静かであればあるほど石畳を歩く足音は周囲に響き、どんなに注意を払って静かに歩いたとしても、土の上を歩くようにはいかない。


 石は土と違って、音を吸収してはくれず、逆に反響させてしまうから。


 しかも住民はこういった不審な音には、特に敏感である。


「この勢いでここを落とすことが出来れば、戦局は我々にとってかなり優位になる。何せ今まで一度たりとも陥落したことのない要塞だ。自然と、どちらに味方するかを今だ思案している連中の背中を押すことにもなるでしょう」


「そうですわね…と、申しますか……」


「このまま彼女ひとりで、落としてしまいかねない感じですな……」


 拡大の一途を辿る城下町の火災と、徐々に迫り来る煙に、少々不安を抱きはじめた二人であった。

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