31話 愚かさの代償【11】
ラルヴァに質問されてから、一体どれくらいの時が経過したであろう。
その間、誰ひとりとして、声を発する者はいなかった。
皆、ジーグフェルドの判決の行方をジッと待っているのだ。
国王としての判断を。
ジーグフェルドは苦悶の表情で、拳を握りしめ決断を吐き出した。
「全員に死を…。一族も同様だ……」
それだけ言うのがやっとだった。
ラルヴァが無言で、首だけを振って部下に合図を送る。
処刑場へ連れて行けという意味である。
ここにも愚かさの代償を己の命ばかりでなく、一族までにも支払わせてしまう者がいた。
堪らずその場から退出しようとしたジーグフェルドの耳に、プラスタンスの思わぬ言葉が聞こえた。
「ジュリア、エアフルト。そなた達は処刑の現場に立ち会いなさい」
「!!」
その内容に驚いて、ジーグフェルドは彼女の方へと振り向いた。
「……お母様…?」
「母上…?」
ジュリアとエアフルト、彼女の二人の子供が、青ざめて母を見つめる。
「プラスタンス……」
彼女の横にいたジオまでもが、驚きの表情を見せていた。
「私やジオのように戦の経験もなく、陛下やカレルのように砦にも勤務したことのないそなた達にはよい機会だ。戦に負けるということが、どういうことなのかを、よく見ておきなさい。領主の家に生まれたからには、避けられぬことだ」
領民として支配される側に生まれた者にも、領主として支配する側に生まれた者にも、それぞれに苦しみや困難がある。
アフレック伯爵家にきて、ジオが学んだことだった。
どちらがよくて幸せなのかは一概に言えはしない。
その時代背景によって大きく違ってくるからである。
が、ひとつだけ言えることは、どのような状況下に置かれても、諦めることなく自分の幸せに向かって努力することを怠らないということである。
実父のように慕った、先のアフレック伯爵家当主レオナルドから教えて貰った言葉だ。
子供達が生まれ、スカレーナ陛下が崩御され、王太子であったラナンキュラスが国王にたたれてからは、幸いなことに戦とは無縁な世が続いた。
プラスタンスの発言は、此度の戦に参加する子供達のことを考えてのものであると、ジオにはよく分かっている。
急激な変化への心の対応を要求され、青ざめている二人には少々可哀相な気もするが、彼女の意見にジオも賛成なのであった。
プラスタンスは剣を振り回す乱暴者ではあったが、屋敷の仕事に従事している者や、領民が何か気に入らないことを行ったり失敗したからといって、むやみに殺傷することはなかった。
無論領主として、殺人や盗みなどを犯した罪人に、死を与えることはあったが、それとて城の外で行われることである。
それ故、子供達は自然死以外の死というものが、どういうことなのかを知らない。
それは戦場においては致命的なことだ。
いくら訓練しているとはいえ、所詮は本当の死なき練習である。
周囲に殺意と死の臭いが充満し、人が血飛沫と断末魔の悲鳴をあげて倒れていく中、混乱をきたさない人間は皆無に近いであろう。
そんな状況下で如何に冷静であり、またマインドコントロール出来るかは、意志の強さと経験である。
今後戦闘は激化の一途を辿るであろう。
ファンデール侯爵城の一戦時に子供達は後方においていたため、実際に剣を手にして戦ってはいない。
が、その後の惨状を見て、食事も摂れない有様であったことから、プラスタンスが判断したのである。
残酷な行為ではあるが、これも戦乱を生き抜くための教育だ。
父親のジオも口を挟まないことから、双方が同じ考えであるということが分かるため、ジュリアとエアフルトは嫌でも従うしかない。
裏庭で泣きわめくガラナット伯爵一家の様子を、アフレック伯爵一家、ラルヴァとカレルのシュレーダー伯爵親子、それにローバスタ砦の司令官バインが見守った。
両親と違い恐怖に泣くことすら出来なくなっている、幼い二人の子供達を哀れにも思う。
誰の胸中にも苦い想いが宿っているのだが、一家を庇うために声をあげる者はいない。
それは国王であるジーグフェルドに進言出来ないというのではなく、戦において敗北の意味を十分に理解しているためである。
一度挙兵したからには、負ければ我が身も同じ運命を辿るのだと知っているから。
ガラナット伯爵一家が首切り用の岩の上に据えられた時、その場にジーグフェルドが姿を現した。
「陛下…」
「ジーク……」
ジーグフェルドの表情は暗く、顔色はとても悪かった。
「陛下は無理に立ち会わなくとも宜しいのですよ」
彼を気遣うラルヴァが、優しく声をかける。
「そうです。王は命令すればよいだけなのですから」
こちらもジーグフェルドの心境を十分把握しているプラスタンスが切なく微笑みかけた。
そんな二人の心遣いは嬉しかったが、だからといって退くことは出来なかった。
ジュリアやエアフルトばかりでなく、カレルもいるからである。
モンセラ砦に副司令官として勤務していたとはいえ、訓練とは違う実戦の経験は彼にもない。
きっと自分自身と、今後の戒めのためにこの場にいるに違いない。
ならば命令した自分が逃げるわけには行かないし、逃げたくはなかった。
終始無言で、斧が振り下ろされるまでを、ジーグフェルドは見つめた。
そして一連の作業が終了すると、彼は一言も発することなくその場をあとにした。
そんな彼に誰も声をかけることは出来なかった。
カレルでさえも。
その一部始終を、少し離れた場所からイシスは見ていた。
彼女の立ち位置からは、全員の背中しか見えないのだが、ひとり城の中へと消えていくジーグフェルドが、泣いていると思えるのは、きっと気のせいではないだろう。
いや、彼だけではない。
その場にいる全員の胸中に、苦い雨が降っていると感じたイシスであった。
ジーグフェルドは夕食の席にも姿を見せず、あのまま部屋に籠もってしまっていた。
辺りは黄昏から夜の闇へと姿を変え、その色と同じように彼の心を染めている。
ベッドに腰掛け額に手を当てた姿勢で、もう何時間過ごしたことだろう。
それほど彼の心は深く深く沈んでいた。
そこへ窓をコンコンと叩く音がする。
ジーグフェルドは驚いて、音のした方へと顔を向けた。
一体誰が、と一瞬思ったが、この部屋は三階にあるのだ。
こんなことが出来るのはたったひとりしかいない。
割と大きめな明かり取り用の窓を開けると、そこにイシスの顔があった。
「イシス…」
彼女はニッコリ笑って、おいでおいでと手招きをする。
気分的には誰とも会いたくないのであるが、不思議と拒む気にはならなかった。
ジーグフェルドは彼女のなすまま、その手に身体を預け、窓から屋根へと運ばれた。
イシスは屋根の一部分平らになっているところにジーグフェルドをそっと降ろし、自分もその横にチョコンと座る。
城を吹き抜けていく風が少々冷たく感じられた。
ジーグフェルドの部屋を訪問する前に、ここへ用意していたのであろうバスケットから、イシスは瓶を取り出し、飲み物をコップに注ぐと彼へと手渡す。
「はい、どうぞ」
温めてあったそれから湯気が上がり、ほんのりとよい香りが、彼の鼻孔をくすぐった。
ホットワインである。
「ありがとう…」
ジーグフェルドはゆっくりと、それを一口飲んだ。
外に出たため冷え始めた身体中に、温かさが行き渡るような気がして、彼は思わず瞳を閉じた。
イシスは続いてバスケットから、布に包んだものを取り出し、また手渡してくれる。
何だろうと開けてみると、焼いた肉と生の野菜を、薄く切ったパンで包んだのもだった。
こちらは暖かくはないが非常に食べやすく、空腹だった彼にとって、とてもありがたい一品であった。
ワインを暖かくして飲んだのも初めてであったし、パンや肉をこのようなスタイルで食べたのも初めてである。
異国人の彼女がどうしてこのようなことを知っているのか不思議であった。
いや、異国の娘であるからこそ、知っているのであろうか。
ジーグフェルドはイシスをジッと見つめた。
一方のイシスは、自分が作った即席サンドイッチを美味しそうに食べるジーグフェルドを見て、嬉しそうに微笑む。
相変わらずその意志の強そうな瞳は、真っ直ぐに自分を見つめてくれる。
自分が行っている嫌な部分を、全て見ているはずであるのに。
「ありがとう…。イシス」
呟いた言葉は、彼女の行為に対してなのか、それとも存在に対してなのか、今のジーグフェルドには分からなかった。
イシスが用意してくれていた全ての物を食べ終わり、包んであった布で口を拭いた彼は空を見上げた。
そこには既に離ればなれになった赤と青の双子の月が浮かんでいる。
振り返れば、城の屋根で月を見ながら食事をした。
たったこれだけのことだったのに、部屋の中にいた数十分前とは全く違い、ジーグフェルドの心は、今不思議なほどすっきりとしているのだった。
事前に察知し、潰すことが出来なかったため、内乱にまで発展させてしまった戦。
全ては自分の至らなさ、そして責任なのだが、もういちいち悩むのはやめようとジーグフェルドは決めたのだった。
自分如きがウジウジと悩み傷ついても、状況は何も変わりはしないし、己にとって何が一番大切で、大事にしたいものなのかは、悩むまでもなく決まっている。
それらを守るために全力を尽くす。
こんな簡単なことなのに、こう思えるまでに少々時間を要してしまったが、それも必要なものだったのではないかと思う。
カレルに励まされたこと、プラスタンスやラルヴァの暖かい心遣い、そしてイシスの言葉なき優しさ、全てに感謝するジーグフェルドだった。
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