28話 愚かさの代償【8】

 戦闘は呆気なく終結を迎える。


 白昼ファンデール侯爵城の周囲で、ジーグフェルド率いる西域連合軍と、ランフォード公爵の旗を掲げていたガラナット伯爵兵は衝突した。


 西域連合軍の動きを全く察知出来ていなかったガラナット伯爵兵は、レリアを盾に屋敷への立て籠もりを決行したが、当の本人がそこにいないことはカレルの調べで既に分かっている。


 そのことを突きつけると、司令官はあっさりと降伏してきたのだった。


 両軍、特に西域連合軍に大した負傷者が出なかったのは幸いである。


 だが、せっかくファンデール侯爵城を取り戻したというのに、肝心のレリアがここにはおらず、救出には失敗したと言わざるを得ない。


 それでもここを最初に選んだのは、ファンデール侯爵城という戦いの基点を取り戻さなければ始まらないからである。


 久しぶりに帰ってきたファンデール侯爵城で、今は無人となってしまっている母レリアの部屋にジーグフェルドはいた。


 空のベッドの前に無言でたたずみ、誰もいない空間をジッと見つめている。


 その瞳には、優しく微笑む母の姿が、鮮やかに刻み込まれていた。


「母上……」


 ジーグフェルドはベッドの上に、その大きな身体を投げ出した。


 脳裏に先日プラスタンスから伝えられた、母レリアの言葉が思い出される。


「この城に戻って来てくれることはなくなってしまうが、生きていればまた会うことは可能なのだから、寂しくはないわ……」


 このような形ではあるが、自分はやっとこの城に帰って来ることが出来た。


 しかし、そこに待っていてくれるはずの望む姿が今はない。


「生きていて下さい! 母上……」


 ジーグフェルドはシーツを握りしめ、母の無事を強く願った。


 そんな彼の姿を扉の影からそっとイシスが見つめていたが、声をかけることは何となく憚られたため、彼女はその場をそっと立ち去ったのだった。






 窓から差し込む夕日が、オレンジ色に全てを染め始めた頃、ジーグフェルドは屋敷周辺の森林をひとりで歩いた。


 大多数のガラナット伯爵兵が戦うことなく降伏したとはいえ、最初に衝突した場所には、物言わぬ肉の塊が転がっている。


 身体の一部分を失っている者、多量の赤色の液体を流している者、剣や槍で身体を貫かれている者、どれも悲惨な光景であった。


 血の臭いを嗅ぎつけてか、カラスの類が群れを成して集まってきており、死肉を漁っている。


 戦いが終わった場所は、川の水までもが赤くなるのだと、ジーグフェルドは初めて知った。


 周囲に漂っている臭いもひどいものである。


 緑豊かで美しかったファンデール侯爵領が、今、赤く染まっていた。


「母上には見せられない光景だな……」


 これが戦争、戦うということなのだ。


 戦っている時は敵と恐怖を相手にし、終わった時は目を覆いたくなる光景と虚しさが残るだけ。


 だからといって目を覆いたくとも、そうするわけにはいかない。


 自分が原因で起こった戦いであるのだから。


 しかも死んだのは知らない者で、自分は生きている。


 背けるのではなく、焼き付け、脳裏に刻み込まねば、死者に対して失礼であろう。


 しかし、受け止めるにはあまりにも重い傷であった。


 ジーグフェルドの頬を自然と涙がつたう。


 人を殺したことが無いわけではない。


 自分を守るために、向かってきた者は斬り伏せた。


 そしてシュレーダー伯爵城、ローバスタ砦、アフレック伯爵城をまわり協力を要請した際に、覚悟はしているつもりだった。


 だが、実際その場面に立つと、何と脆弱な覚悟だったのだろうと打ちのめされる。


 この光景を目の当たりにすれば、戦争を賛辞する者も、奨励する者もいはしないであろう。


 しかし見なければ、参加しなければ、人ごととしか思わないだろう。


 人間とは悲しい生き物である。


「自分に吐き気がする」


「そりゃ、オレもだよ」


 吐き捨てるように呟いた言葉に、後方から返事が来た。


 聞き慣れた声に振り返ると、少し離れた茂みにカレルの姿があった。


「カレル……」


「いくら慣れているからって、ひとりで出歩くなんて無謀だぞ。刺客が潜んでいないとは限らないんだからな」


「あ…あ……」


 返事なのか、溜息なのか分からないようなジーグフェルドの声に、カレルがわざとらしく大きな溜息を吐いた。


「…やれやれ……。今ならすごく簡単に首が取れそうだな」


「……………」


「戦いは始まったばかりで、まだまだやらなければならないことが山積みなんだぜ。それなのに肝心の大将がそんなんでどうするんだよ!? 今はしゃんとしていろ! 士気に関わる」


 カレルに叱咤されジーグフェルドは苦笑した。


 皆疲れてはいるが、母レリアの救出が一刻を争うため、明日には隣のガラナット伯爵領へと進軍することになっている。


 捕らえた司令官が、彼女はガラナット伯爵家へ連れて行ったと白状したので。


「本当にそうだな。まだ何も片づいてはいない……」


「そうだ。落ち込んでいる暇なんかないんだ。愚痴ならあとでいくらでも聞いてやるよ」


「それは高そうだな」


「当たり前だろう。誰が聞いてやると思っているんだ!?」


「分割利くか?」


「大国の国王のくせに、何小さいこと言ってるんだ……!?」


「国王か……。本当に」


「なりたくてなったわけではない…か?」


「全くだ…」


「だが、なりたくてもそう簡単になれるものでもない」


「カレル……?」


「どちらがよかったのかなんて、棺桶に入る前にでも考えろ」


「それではもう修正がきかんではないか」


「だったら後悔なんてしなくていいように、日々を精一杯生きろ。それがあの連中にしてやれることだろう」


 そう言ってカレルは骸達を指さした。


 この前から本当に彼には励まされてばかりである。


「強いな、カレルは」


「当事者じゃないからだろう……」


「?」


「だから全てのことを客観的に、一歩引いた場所で見ることが出来る。実際これが逆だったら、オレはジークほど動けたか疑問だよ」


「何にせよ、ありがたい存在であることに変わりはないよ」


「そりゃ盛大に感謝して貰わないといけないな」


 苦笑するジーグフェルドを見て、カレルはホッとしていた。


 まだ、笑うことが出来る心の余裕が、彼にはあると感じられるからである。


『ジークが反応を示さなくなったら……』


 そんな時が来ることが、カレルには恐ろしかった。


 カレルとの会話で、少し気分が落ち着いたジーグフェルドは、先ほどから全くイシスの姿を見ていないことに気が付いた。


 各所での短い滞在期間中、自分が会議を行っている時は、一緒にいても言葉が理解できないという理由と、先に身体を休めておいて欲しいため、別室に行かせてはいた。


 が、それ以外は当たり前のように、常に傍らにいた。


 今回の出陣の際にも、危険だからアフレック伯爵家へ留まるようにと、時間をさいて説明したが、彼女は自ら共に来ると言った。


 なので、ジュリアと行動を共にするようにさせたのだが、戦闘が終結してからも、全く姿を見ていない。


 言語に不自由なのだから、事前の説明が十分理解できていたとは思えない。


 そしていきなり大規模な戦闘だ。


 驚いただろうし、自分が何のためにこんなことをしているのか、不思議に思っているはずである。


 最悪一緒にいることが、嫌になったとも考えられる。


「嫌われた……かな……?」


 声に出して呟いたジーグフェルドの心がチクリと痛んだ。

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