27話 愚かさの代償【7】

 水を貰い一気に飲み干したカレルが、そのままプラスタンスの部屋で全員に報告を始めた。


「ファンデール侯爵家を包囲しているのは、旗こそランフォード公爵家のものだが、殆どが隣領地のガラナット伯爵家の兵士だ!」


「何だと!?」


「それで…。あれほど早かった訳だ……」


 プラスタンスの眉間に縦皺がよった。


 ランフォード公爵家は東のほぼ中央に位置する。


 そこから南の首都であるドーチェスター城と北西のファンデール侯爵家を同時に押さえるなど至難である。


 大勢の兵士を動かすには当然大きな街道を通るしかない。


 しかしそうであれば、街道の要所を支配しているアフレック伯爵家が気付かない訳がなく、当然進攻を阻止していたはずである。


 アフレック伯爵家との衝突も無しに何故それが出来たのかずっと疑問に思っていたが、ようやくこの場にいる全員に理解できた。


 何のことはない。


 ファンデール侯爵領の直ぐ隣に、陰謀に加担するやからがいたということだ。


 ガラナット伯爵はファンデール侯爵家が所有する宝の山であるアスターテ山脈が欲しくて仕方がなかったのであろう。


「それにレリア様は屋敷にはいらっしゃらない。ガラナット伯爵の兵がファンデール侯爵家を包囲した時に、数名の侍女と共にどこかへ連れて行ったそうだ!」


「!!!」


 その衝撃にジーグフェルドの顔色が、一瞬にして真っ青に変わった。


「陛下。進軍を急ぎましょう!」


 もはや一刻の猶予もないと判断したプラスタンスが声を荒げる。


「いや…。しかしジオ殿とエアフルト殿がまだ……」


「お気になさるな。あの男のことだ。自力で何とかするでしょう。もし此度の進軍のせいで命を落としたとしても、アフレック伯爵家の者は誰も陛下を恨んだりは致しませんよ」


「そうです。陛下」


 プラスタンスの言葉に娘のジュリアも同意したその時である。


 急に玄関付近が騒がしくなった。


『こんな時分に何んだ?』


 席を立ったプラスタンスの元に、ジオとエアフルトが無事に戻ったと侍女が涙目で知らせに部屋へと駆け込んできたのだった。


「遅い!! 一体何をしておったのだ!?」


 二階階段の上から、玄関ホールに立つジオとエアフルトにプラスタンスが怒鳴った。


「ひどいな……。これでもかなり急いで帰ってきたというのに」


 彼女を見上げながら、やれやれといった表情でジオは両肩を竦めた。


「私がどれほど……」


「心配したんだろ? だったら、怒鳴るよりも先に言うことがあるんじゃないのか? オレでなければ嫌なくせに。ん?」


「当たり前だ! お前と婚姻するために、私がどれだけ苦労したと思っているのだ!?」


 貴族の結婚には国王の許可が絶対に必要である。


 ジオの生家であるレイマニー家では、妹のレリアがファンデール侯爵家のアーレスに見初められ先に結婚していた。


 そして今度はジオがアフレック伯爵家へと迎えられると、北西域の大貴族が姻戚関係となる。


 南の中央に位置する王家としては甚だ嬉しくない朗報である。


 今は従順にしているが、それだけの勢力を持った両家がいつ牙を剥き王家に反旗を翻すか分からないからである。


 よってアフレック伯爵家からの婚姻許可願いが、当時の国王スカレーナにすんなり許されるはずなどないのであった。


 当然、最初に送った書状はあっさりと却下される。


 無論プラスタンスはこうなることを予想はしていた。


 しかし、現実に拒否されるとやはりショックは受ける。


 アフレック伯爵城で突き返された書状に深い溜息を吐き、彼女はそのまま王宮へと向かった。


 このまま自分の領地から書状を送り続けたとしても、返ってくる答えはいつまで経っても同じであろう。


 ならば直接訴えに行った方がいいだろうと、即座に直談判へと攻めの方針を切り替えたのであった。


 逆説的に言えば、それほど彼女はジオが欲しかったのである。


 王宮での国王スカレーナの態度は至極冷たかった。


 大貴族とはいえ、たかだか十八歳の小娘の願いなど、メレアグリス国という大きな生き物を動かしている彼女からすれば、ほんの小さなものである。


 何故最初に下した自分の命令に従わないのかと不快に思うのであった。


 だが、これで泣いて領地へ帰るほどプラスタンスの意志は軟弱なものではない。


 また、父親のレオナルドも連れずに単身王宮に乗り込んで行くのだから、根性も半端ではないと言える。


 どんなに冷たくあしらわれようとも毎日王宮に向かい、朝昼晩と嘆願書を送り続けたのだった。


 その結果。


 半年後に折れたのは国王スカレーナの方であった。


 そして二人はやっと結婚出来たのである。


 ニヤニヤと笑いながらジオはプラスタンスの側へと階段を登って行き、からかうようにとんでもないことを言った。


「オレのいない間に、若いツバメでも見つけられたか?」


「お前という男はっ!」


 殴ろうとして手を出したプラスタンスの腕を片手で掴み、空いているもう一方の手で彼女の腰を、絡め取るように引き寄せ強く抱きしめると、そのままジオはプラスタンスに口づけをした。


 抵抗することなく彼女はジオにその身体を預け、それ以降その口から悪態が発せられることはなかった。


 そんなプラスタンスをジオは愛おしそうに、己の腕の中で器用にあやしていくのだった。


 今朝、ランフォード公爵の使者を振りきった際、エアフルトが聞きかけた質問に対し、何やら意味ありげな笑みを浮かべたジオからの答えがここにあった。


 ジオがアフレック伯爵家へ来た経緯はさておき、プラスタンスが強くジオを望んだように、要するに彼も彼女のことをちゃんと愛することが出来たということなのである。


 だから、この家で大人しくしているのであった。


「ほら、土産」


 そう言ってジオはランフォード公爵に書かされた書類を、面白そうにプラスタンスへと手渡した。


 それを見た彼女はクスリと皮肉っぽく鼻で笑った。


「何だ!? このスペルは」


「そう言うな。それのお蔭で放免されたのだから」


「相変わらず小細工は上手いな」


「お褒めに与り光栄至極」


 そしてジオは再びプラスタンスに口づけた。


 一方この光景に、声もなく衝撃を受けている者達がいた。


 ジーグフェルドとカレルである。


 幼き頃より二人の頭上に、恐怖の大王として君臨してきたプラスタンスが、可愛いひとりの女性に初めて見えた瞬間であったのだから致し方ない。


 失礼にも口をあんぐりと開け、声もなく見入ってしまっている。


 そして猛獣使いとはまさしくジオのことを言うのだと、二人は心底思ったのだった。


 そんな男性陣とは対照的に、プラスタンスとジオを見つめるイシスの表情は、とても切なそうであった。


 何かを思いだしかけているのか、苦しそうに動いた手が胸の前で重ねられる。


 そのイシスの様子に気付いたのは、ジュリアだけであった。


 西のアスターテ山脈からは山越えを行いシュレーダー伯爵とローバスタ砦の率いる軍勢が、そして東のフィソオリー街道からはアフレック伯爵率いる軍勢が、静かにファンデール侯爵家の包囲を開始する。


 身近な場所から巻き起こった陰謀に気付かず、大切な人達を敵に奪われてしまったジーグフェルドと、玉座欲しさにクーデターを起こしたランフォード公爵。


 己自身の命でもって愚かさの代償を支払わなければならないのは一体どちらなのか。


 今、その最初の戦いが始まろうとしていた。

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