25話 愚かさの代償【5】
今から遡ること約二十年前。
ジオが南西域のモンセラ砦司令官補佐として勤務していた頃、当時のアフレック伯爵であるレオナルドから突然書簡が届いた。
娘、プラスタンスと婚姻しアフレック伯爵家に入って欲しいというのである。
当時この西域はまだクリサンセマム国とのいざこざが絶えなかったので、彼ら親子とは戦場で何度か会ったことはあった。
会話も少しは交わした。
が、司令官補佐という立場にはあっても所詮自分は小領主の息子。
貴族とは全く無縁と言ってもよい存在である。
そのため一体何の冗談かと思い放置していたら、当の本人であるプラスタンスが従者数名と共にモンセラ砦に怒鳴り込んで来たのだった。
いくらアフレック伯爵家のご令嬢とはいえ、おいそれと砦の門を開けるわけにはいかないので外塀の上と下とで怒鳴り合いが始まる。
「貴様! 一体私のどこが気に入らぬ? 父の出した手紙に返事も寄越さぬとは、どういうつもりだ?」
彼女は烈火の如く怒っていた。
「どう…ったって……」
至極返答に困るジオだった。
「そういう貴殿はオレなんかのどこがお気に召したのですか?」
「家のために優秀な種が欲しい」
「……………………」
野次馬で集まっていた兵士の数人が手に持っていた槍を落とした。
しっかり五分ほど間をおいたのちジオはやっと口を開く。
「それだけ…?」
「他に何がある?」
「……オレは……、種馬か……?」
ジオの眉間に小さく皺が寄った。
「私はアフレック伯爵家の跡取りだ。夫になる男は自分で選ぶ」
「ご立派な心がけで……」
「先の戦のおり私はお前が気に入った。だから我が元へこい!」
プラスタンスのもの言いに圧倒されながらもジオは隣にいた副司令官にポソリと聞いた。
「これって熱烈に求婚されているんですよね?」
「そうだな……。それ以外のなにものでもないと思うが?」
「しかし、普通あの台詞って、オレが言うものなんじゃないんですかね?」
「言いたかったのか?」
「可憐で清楚なお嬢さんに」
「そりゃ気の毒だったな」
ボソボソと聞こえない会話をしているジオにプラスタンスが苛立った。
「いい加減そこから降りてこい!!」
「ご冗談を……」
降りて行ったらその場で押し倒されそうな気がする。
それでなくとも砦の門を開けるには数多くの決まりがある。
食料や武器の搬入や兵士の交代に緊急の使者の来退場。
これ以上の用事で門が開くことはまずない。
これとて時間やそれに携わる人員など細かく決められ、そのどれもに司令官の許可が必要である。
それらの決まりを守ることも最前線を守る者の努めである。
「ならばこの砦、攻めてくれる」
「マ…ジ……!?」
同じ国内の一貴族から攻撃されるなど前代未聞である。
しかし、このご令嬢ならやりかねないとも真剣に思えるのだった。
「それはご勘弁願えませんかね? お嬢さん。こんな補佐官で宜しければ謹んで進呈しますから」
騒ぎを聞きつけたモンセラ砦司令官ハイルブロンがいつの間にかジオの隣に来ていて口を挟んだ。
「ハイルブロン司令官……!?」
「ほう…。貴殿は話が分かるな」
「まあね。ことは穏便にすんだ方がいいに決まってますからな」
目の前にいる渦中の本人を全く無視して話が進みだしている。
「そんな! オレの好みや意志は一体どうなるのですか?」
「そんなものそこの堀にでも捨ててしまえ」
抗議するジオに司令官ハイルブロンは目の前の深い堀を指さし、あっさりと言い放った。
「……………………」
「しかし後任のこともある。直ぐにお渡しすることは出来かねる。居ないと仕事に支障が生じるのでね」
「司令官…?」
「それまで中でお待ち頂けますかな?」
「よかろう」
地獄に突き落としているのか、助けているのかさっぱり分からない司令官ハイルブロンであった。
下ろされた鉄の跳ね橋を馬に騎乗し渡ってくるプラスタンスを上から眺めて、司令官ハイルブロンがジオに訪ねる。
「何が不満なんだ?」
「何と言われても……」
「容姿は美しい。家柄も文句ない。性格はかなりきつそうだが、そんなもの我慢してればいい」
「……強いて言うなら、家…かな」
「あん?」
「自分の家は小領主。相手は大のつく貴族で広大な領地を持っている。いくら娘が気に入ったとしても、そんな家の父親がオレを受け入れると思いますか?」
「否……だな」
「でしょう?」
「しかし、最初の書簡はその父親からだったのだろう?」
「そう…なんですけどね……」
それが全くもって理解できない部分でもあった。
プラスタンスを迎えて夕食を和やかに過ごしたのち、ジオは就寝前司令官ハイルブロンの部屋に呼ばれた。
「これをやるから、潰して早々にお帰り頂け」
そう言って彼は隠し持っていた自分の寝酒をこっそりとジオに渡してくれたのだった。
しかもこの近隣で一番アルコール度数の高い酒を。
飲み比べを行いプラスタンスを酔い潰し、寝ている間にアフレック伯爵家への帰路について貰おうという魂胆である。
それで簡単に砦内に招き入れたのであった。
笑顔で迎えて毒を盛る。
いささか、いやかなり卑怯な手段であるが、急な嵐に対応するには丁度いいのかもしれない。
ジオは司令官ハイルブロンに感謝しながら喜々としてプラスタンスの部屋へと赴いた。
しかし、様子を伺いに部屋を訪れた司令官ハイルブロンが見た光景は我が目を疑うものであった。
何と床に転がっていたのはジオの方だったのだから。
砦はアルコールの摂取を固く禁じている。
そのため兵士達は休暇で家に帰った時程度しか酒を飲む機会には恵まれていないのであった。
一部の不届き者を除いては。
それは当然アルコールに対する免疫力を低下させることになる。
相手を潰すためにとアルコール度数の高い酒を貰ったことが、ジオにとってかえって致命傷となってしまったのだった。
自分を基準に考えていた司令官ハイルブロンにとって最大で最悪な誤算であった。
が、彼がしまったと気付いた時には既に決着が着いており、援護しようにも口を挟むことすら叶わなかった。
「さて、では頂いて帰ろうか」
そう言ってプラスタンスは涼しい顔でジオを毛布に包むと、司令官ハイルブロンの制止も聞かず彼を馬車に放り込みモンセラ砦を後にした。
道中揺れる馬車の中で何度も吐き気に見舞われるジオであった。
数日後、ヨレヨレになってアフレック伯爵家へ到着したジオは屋敷の中へと案内される。
そんな彼にプラスタンスの父親であるレオナルド=セイ=テ=アフレック伯爵が駆け寄ってきて挨拶をした。
「よくお越し下さった。ジオ殿! あれを宜しく頼みます!!」
そう言ってジオの手を握りしめたレオナルドの瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
その訳を後になって教えて貰ったジオは呆気にとられることとなる。
年頃になった娘の夫に東域伯爵家の三男を向かえようと紹介したら、怒り狂ったプラスタンスにその男と一緒に四つに分断されそうになったというのである。
その際、客室の高価なテーブルが一つおしゃかになったともレオナルドは付け加えた。
それでは一体どんな男なら納得するのかと訪ねたらジオの名が即座に出てきたのだという。
こうして彼は丁重にアフレック伯爵家に迎え入れられ半年後結婚したのであった。
しかし、アフレック伯爵家の全権はまだレオナルドが握っているし、その後継者としてプラスタンスが全てをこなしている。
夫とは言ってもこの家でジオの立場は妻である。
することはなく暇を持て余す毎日であった。
「オレのすることは?」
「特には何もない。強いて言うなら身体と剣の鍛錬をサボるな。それと種をあちこちにばらまくな。ということぐらいだな」
「種……って……」
「発覚したらそなたも相手も無論子供も容赦はせんぞ。切り捨てるから覚悟しておけ」
「……………………」
それでは発覚しなければ許されるのであろうかと心の中で思ったが、簡単に馬で往復出来る宿場町のような遊ぶ場所がこの城の周辺にあるわけではない。
あるのは小さな民家の集落くらいである。
それくらい街道からは入り込んだ場所にアフレック伯爵家は存在していたのであった。
内部には奉公に来ている若い使用人が多数いるが、手を出そうものなら速攻でプラスタンスの耳に入るのは必至である。
必然的に大人しくせざるを得ない状況下に置かれていることを認識させられるジオであった。
そして今日に至っているのである。
両親の結婚に至るまでの話を初めて聞いた息子のエアフルトは言葉を失っていた。
父のジオは性格も決して穏やかと言える方ではない。
どちらかと言えば、母のプラスタンスに負けず劣らず激しい気性を持っている。
そんな父が、母の側で大人しくしていることがエアフルトには不思議であった。
「父上は……」
それで宜しかったのですか?とエアフルトは訪ねようとして止めた。
今現在両親がこうして二人寄り添っているのだから、質問すること自体が無意味であると感じたからである。
何か言いかけた息子の気持ちが分かったのか、初夏の風を受けジオは気持ちよさそうに笑ったのだった。
何やら意味ありげな笑みを。
自分がアフレック伯爵家に入ってよかったのか否かは、子や孫の時代にならないと分からないことである。
それにそんな先の話よりも今はこの内乱をどう乗り切るかが最重要だ。
そう、先発のランフォード公爵よりの使者をプラスタンスが斬ったということは、その時点で彼女が敵対すると宣戦布告したも同じである。
たとえ夫の言葉であろうと、説得などという生ぬるいものが通じる相手でないことくらい、宮廷で何度も顔を合わせているのだから学習して貰いたいものだと、溜息混じりに思うジオであった。
しかしまあ、そのお陰で王宮を脱出出来たのだからあまり非難も致しかねる。
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