21話 愚かさの代償【1】
「それは夜用ですか? ……それとも食用ですか?」
ローバスタ砦を出立して、次の目的地であるアフレック伯爵家へ到着し、豪傑と名高いプラスタンス=セイ=テ=アフレック伯爵に、イシスを引き合わせた時の第一声であった。
アフレック伯爵家は、メレアグリス国の首都がある南のロストック海ドーチェスター城から北西のファンデール侯爵家を通り過ぎ、北のイベリス海へと延びている大きなフィソリー街道のほぼ中間に位置している。
周囲には自然豊かな森林と広大な小麦畑を所有していた。
ファンデール侯爵家が所有しているアスターテ山脈のように金属は産出されないが、山の幸には事欠かない恵みを受けている。
また、西のクリサンセマム国からローバスタ砦を通り、東のダッフォディル国へと通じている大きなリェージュ街道とフィソリー街道が交差する重要な都市の管理も行っているため、それによってもたらされる物資の通行税によって財を築いていった一族であった。
シュレーダー伯爵家からローバスタ砦までの道は、アスターテ山脈で採掘された金属運搬用道路としての使用頻度が高いため、幅こそ広いが普段は大して交通量があるわけではない。
ましてや国の中心から離れる方向なので、昼間移動してもあまり問題ではなかった。
が、今回はそうはいかない。
リェージュ街道は交通量も周囲に点在する町の数も半端ではない。
それだけこの地方が豊かで潤っているということなのであるが、返せば人目にも付きやすく、情報の伝達速度も速いと言うことなのである。
そのためジーグフェルドとイシスの二人は、昼間は街道から外れた人気のない場所で休み、夜馬を走らせるという方法で移動していった。
そうやって四日かけて辿り着いたアフレック伯爵家は、周囲に大きな木々が多く点在する、閑静な城であった。
無論城の周囲は高い岩の壁で守られてはいるが、シュレーダー伯爵家とは全く違い、城の周囲を囲んでいる城壁に、警備の兵士がひとりも出てはいない。
そのことにジーグフェルドは疑問を感じたが、一応警戒のため夜になるのを待ち、やはり正門ではなく人気のない城壁からこっそりと忍び込んだ。
内部の庭は美しく手入れが施してあり、季節の花々が色とりどりに競い合っている。
そんな庭園とは裏腹に建物は、堅固な岩肌が剥き出しで古く、要塞の面影を色濃く残しているのであった。
それはこのアフレック伯爵家が、古くよりこの地を守り、また繁栄をもたらしてきたことを物語っている。
こちらの城も昔からよく訪れていたので、ジーグフェルドにとっては、庭の移動など至極簡単なことであった。
あっという間に目指す人物の部屋の下へと辿り着く。
この屋敷の主であるプラスタンスの部屋である。
そんなジーグフェルドのうしろを、今回もイシスは上手に着いて行った。
シュレーダー伯爵家カレルの部屋のような、伝って登れる木がここには存在しないため、ジーグフェルドはイシスに二階のテラスまで運んで貰う。
既に就寝用の服に着替え、プラスタンスは自分の部屋でくつろいでいた。
精悍な顔立ちで三十代後半の彼女は、金色に近い薄茶の髪を綺麗に結い上げ、白い絹で仕立てられているゆったりしたドレスに身を包んでいる。
瞳の色は切れ長の深い緑であった。
身長は百六十センチメートル強で、鍛えているせいか二人の子供を出産してなお、若い頃の体型をいまだに維持しているスレンダーな女性である。
顔には年齢を重ねた印である皺が、目元口元に小さく現れてはいるが、その美しさは色褪せてはいない。
ファンデール侯爵家のレリアを可愛い系の美人と分類するなら、このプラスタンスは文句なく綺麗系の美人であると言えるだろう。
そんな彼女は瞳の端に、テラスに面した窓辺で何やらノソリと動く影を捉えた。
瞬時に側に置いていた剣を抜くと、勢いよく窓枠を蹴り開ける。
「うわっ!!」
同時に身体の横に構えている剣を、影めがけて突き刺そうとした時、発せられた声に驚き、すんでのところで動きを止めた。
「陛下!!」
「今晩は、プラスタンス叔母上。ご息災の…ようです・ね……。他の皆様にお変わり御座いませんか?」
そこには引きつった笑顔のジーグフェルドが、両手を小さく上げ、降参のポーズをして立っていた。
「一体どうやって!? あ、いや、申し訳ない。ではなくて、ご無事でしたか!?」
予期せぬ不意の訪問者に余程驚いたのか、プラスタンスの言葉は、滑らかとはほど遠いものとなっている。
「驚かせて申し訳ありません。なにぶん追われている身ですので、このような所から失礼しました」
「いえ、こちらこそ失礼しました」
そう言ってプラスタンスは剣を室内へと無造作に放ると、改めてジーグフェルドの顔を嬉しそうに見つめた。
「よくお越し下さいました。陛下」
「まだ…、そう呼んで下さいますか!? アフレック伯爵」
「当然ですよ。貴男様以外、誰をそう呼べと!?」
彼女もラルヴァ=セイ=テ=シュレーダー伯爵と同じことを言ってくれる。
自分のことを、そして両親のアーレスとレリア、ファンデール侯爵夫妻のことを信じてくれているのだと、切に感じることが出来た。
己がラナンキュラスの息子であると知らされた時、とても喜んでくれたことを、また最初の祝福の言葉をラルヴァに先越され、悔しがっていたことも思い出す。
ジーグフェルドの目に、うっすらと光るものが再び滲んだ。
数年前までアスターテ山脈のすそ野に、レイマニーという小領主があった。
そこの嫡男として生まれたのが、プラスタンス=セイ=テ=アフレック伯爵の夫、ジオである。
そしてそのジオの妹が、アーレス=トウ=ラ=ファンデール侯爵の妻レリアなのであった。
レリアはファンデール侯爵家へと嫁ぎ、ジオはアフレック伯爵家の養子となったため、レイマニー家は跡継ぎがいなくなり断絶してしまったのだが、そこを介して北西部の大貴族二つが、親戚関係となったのである。
国王という地位に就いた今でも、ジーグフェルドが彼女のことを叔母上と呼ぶのはそのためであった。
安否を確認し再会できた喜びからか、プラスタンスは頬を娘のように紅潮させ、満面の笑顔で半年前まで甥だと信じていた男を抱きしめようとしたその時だった。
ジーグフェルドのマントのうしろ、丁度肩越しに不思議なものがピョコンと出現した。
イシスである。
ジーグフェルドをテラスまで飛んで運び、彼女が手摺りに足を置いたところで、先ほどの騒動が起こったので、ずっと出るタイミングを失っていたのだが、一体誰と話しているのか気になり、顔を覗かせたのだった。
「彼女はイシスです」
そう言ってジーグフェルドがイシスの手を取り、テラスへと降ろしてやった。
夜で少し寒かったせいもあり、今のイシスは白いシャツに例の深緑の不思議なコートを着用し、下はいつもの深い青色で厚手のスラックスに、黒い革製の長目の靴を履いている。
「初めまして、よろしく」
短く挨拶する彼女を、失礼にも上から下まで三往復も眺めた末、発した言葉があれであった。
「それは夜用ですか?……それとも食用ですか?」
夜用とは夜伽を意味し、食用とは食料の意味なのであろうが、どちらも正解であろうはずがない。
というか、どちらの意味ででも食べようものなら、そのあとどんな目に遭わされるか分かったものではない。
「…………勘弁して下さい…、笑えない冗談ですよ……。プラスタンス叔母上」
力無くテラスに座り込んで項垂れ、額に手を当てジーグフェルドが抗議した。
今ほどイシスが言語に堪能でないことを感謝したことはない。
理解できたならきっと速攻でプラスタンスに斬りかかっていたのではないかと思える程、非道いと言える暴言なのであったが、当の本人言われたことが全く分かっていないため、珍しく自分の目線より下にいるジーグフェルドを、不思議そうな表情で見下ろしていた。
「いや…、城から脱出出来たのは、陛下だけだと伺ったものですから……、その……」
カレルと同じことを言う。
行く先々で彼女のことを問われ、少々ウンザリ気味のジーグフェルドであったが、説明しない訳にもいかない。
こののちも行動を共にしようと考えているのであれば尚更である。
気を取り直して立ち上がると、テラスで立ち話も何であると、こちらも連続して起こった動揺から回復したプラスタンスが、部屋の中へと入れてくれた。
そこへ間がいいのか悪いのか、プラスタンスの娘ジュリアがやってきた。
プラスタンスの若かりし頃そのもの、と言われるほどよく似ている御年十七になる女性だ。
容姿のみで違うところはと言えば一点、瞳の色が父親のジオと同じ淡い水色であるということである。
そのせいかプラスタンスより幾分穏和な雰囲気を持っていた。
「まあ! 陛下!!」
開けはなった扉の前で、驚いて立ちつくしたかと思ったら、並んで立っているジーグフェルドとイシスを交互に三往復して、余計な一言を落とす。
「結婚式に招待頂いた覚えがないのですが?」
母親よりか物腰が柔らかく、使う言葉も穏やかではあるのだが、やはりプラスタンスの子供である。
中身も複写したかのようにそっくりで、言っている内容は手厳しく、プラスタンスの第一声と五十歩百歩であった。
他人からすれば非道い暴言なのだが、本人達に全く誓って悪気がないので、尚更始末が悪い。
アフレック伯爵家女性陣の容赦ない二重の言葉攻撃に、ジーグフェルドはなす統べなく撃沈され、手を付いて床にへたり込んでしまった。
暫く立ち直れそうにない。
そんなジーグフェルドとアフレック伯爵家の女性陣を、今度はイシスが頭だけを三角形に三回動かして眺め、最終的にジーグフェルドの広い背中で止まったのであった。
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