20話 嵐のあとの光【7】
翌日は早朝から晴天であった。
正門の前では、出立の支度を整えた、ジーグフェルドとイシスが馬の手綱を引いている。
その周囲には見送りのため、司令官バインを筆頭に多数の兵士が出てきていた。
そんな彼らの頭上で、小鳥達がせわしなく鳴いているのに、イシスは気が付いたのだった。
ジーグフェルドが軽やかにアスターに跨った。
「では陛下、この先お気をつけて」
「うむ、準備の方よろしく頼みます。バイン司令官」
「かしこまりました」
「モンセラ砦から連絡が入りましたら、アフレック伯爵家へお知らせに上がります」
「ああ、それまではアフレック家で待機している」
「お気を付けて」
そう言って副司令官シスキューは、手入れの終わった昨夜の剣を、ジーグフェルドに手渡した。
「ああ、ありがとう」
そしてジーグフェルドは出発しようと、門の方へアスターを回らせたのだが、視界に入ってくるはずのイシスの姿がなかった。
シュレーダー伯爵から貰い、イシスが翼と名付けた栗毛の馬がそこにいるだけである。
どこへ行ったのかと思い、もう少し先の壁際へと視線を移すと、そこに彼女がいた。
「どうした? イシス」
ジーグフェルドの声に驚いてか、彼女の肩や手に留まっていた小鳥達が、一斉に羽ばたいて飛んでいった。
イシスは飛んでいった小鳥達を見上げながら、ジーグフェルドの方へやってくると、辿々しい言葉で告げたのだった。
「今、ダメ。大きい、雨、来る」
教えて貰った単語を一生懸命繋げている。
文法としては全くなっていないが、言っていることは理解できる。
全く大した学習能力であった。
「何だと?」
司令官バインの大きな声に同調するように、周囲からざわめきが起こる。
「大きな雨? ……嵐のことか?」
「うん」
ジーグフェルドの問いに、イシスはコクンと頷いた。
「信じがたいことですが……」
「そうです。陛下もご存じの通り、この周辺は雨など滅多に降らない地。そこに嵐など……」
司令官バインばかりか、副司令官シスキューまでもが、イシスの発言を訝しく思う声をあげる。
ジーグフェルドもこの砦で勤務した約二年間、雨が降った回数は両手で数えられる程度であったし、ましてや嵐に遭遇したことなどは一度もなかった。
「何故そう言えるのだ?」
ジーグフェルドは精一杯優しい声で聞いた。
するとイシスは、塔の上で再び囀りを始めた、先ほどの小鳥たちを指さした。
「小鳥が教えてくれたと……?」
再度小さくうなずくイシスを、誰ひとりとして信じることができなかった。
しかし、この地方のことなど何も知りはしないが、他ならぬ彼女がそう言うのだ。
真っ直ぐに自分を見上げるイシスの茶色の瞳に微笑し、ジーグフェルドはアスターから降りた。
「出発は明日の朝にしよう」
「陛下……?」
「もう一晩厄介になりますよ。バイン司令官」
「それは一向に宜しいのですが……。お信じになられるのですか?」
「勿論ですよ」
屈託なく笑い帰すジーグフェルドに、司令官バインはそれ以上の言葉を言うことができなかった。
「でしたら、彼女の鞘を新しくお仕立て致しましょう。一日頂けるのでしたら、時間は十分御座いますし」
「ああ、それは助かるな。彼女も喜ぶだろう」
そう言ってジーグフェルドは、先ほど受け取ったイシス用の剣を、再び副司令官シスキューに戻し、アスターの手綱を兵士に渡した。
「イシス中へ戻ろう」
二人の背中を見送りながら、司令官バインは雲一つなく晴れ渡った空を見上げたのだった。
『本当に降るのか……?』
周囲の兵士達も首を傾げていた。
昼が近くなった頃、それまで晴天だった空が、にわかに真っ黒へと変わり、強い風が気味の悪い音をたてて吹き、大粒の雨が砦に叩きつけ始めた。
それは数メートル先も見えないほどの激しさとなり、何年ぶりかの大嵐が、ローバスタ砦一帯を襲ったのだった。
イシスが言った通りになった。
彼女の言葉を信じず、あのまま出発していたなら、途中でとんでもない目に遭っていたであろう。
イシスの助言も、それを信じたジーグフェルドの判断も正しかったのである。
「何とも不思議な娘ですね……」
「そうだな……」
雷鳴と強い風の音を聞きながら、副司令官シスキューの呟きに、司令官バインは見えない遠くを見つめた。
その夜、ジーグフェルドは久しぶりに、己の姿を見た。
別に見ようと思って見たわけではない。
たまたま視線を向けた先に、鏡があったというだけなのだが、彼は眉間に縦皺を刻んだ。
揺らめく蝋燭の明かりに照らしだされた、赤い髪が忌々しかったのだ。
半年前、自分の意志などお構いなしに、無理矢理即位させられた時のことを思い出す。
ランフォード公爵のあの言葉を。
「赤毛の国王など、前代未聞だ。このクレセンハート王家には、今までひとりとして存在しなかった。このような異端児を断じて国王とは認められぬわ!」
あの男は即位式の会場で、居並ぶ貴族達を前に、自分を指さしそう言ったのだ。
数々の証拠品も、自分が国王の地位に就くことに賛同した貴族達も、奴には大きな問題ではなかった。
ただ自分の髪が赤いということが、気に入らなかったのだ。
ジーグフェルドは鏡の中の自分を睨み付けた。
歴代の国王達はいうに及ばず、臣下に下ったランフォード公爵、そしてクロフォード公爵に至ってまでも、その髪はみな一様に黒いのである。
王家に生まれたというのに、ジーグフェルドだけが何故か色が違う。
ましてや、亡くなったエルリック国王とは双子であると、言われているというのにである。
疑うなと言う方が無理なのであろうが、ジーグフェルド自信には証明のしようがない。
生まれたときのことなど、覚えているはずもないのだから。
全ては周囲の者の証言と、父ラナンキュラスが残した証明書に支配されている。
せめて、クリサンセマム国から嫁いできた、母のエバンジェリンが生きていてくれればまだ良かったのであろうが、こちらも既にこの世にはいない。
「ふ…ん、オレとて好きこのんで、国王になどなったのでないわ。誰が……」
そう、あのままファンデール侯爵家で、一生を終えたかった。
自分を慈しみ育ててくれたあの優しい母の側で、そして道を教えてくれた多忙な父を支え、穏やかな風が吹く彼の地で。
その思いだけが、強く彼の心を締めていた。
深い暗闇がジーグフェルドの心を包み始めた時、自分を見つめる強い視線が、その闇を切り裂いた。
「あっ!」
そして、彼は小さく苦笑すると、徐に腰に差していた短剣を抜いた。
翌朝は先日同様、見事なまでの晴天であった。
出立の支度を整え、朝食を食べに行こうと扉を開けたジーグフェルドは、丁度同じく部屋から出てきたイシスと出くわした。
「あれっ!? 髪……」
直ぐに気が付いたイシスが、瞳をまん丸くさせ、驚いた表情を見せる。
当然だった。
ジーグフェルドは背中の肩胛骨まで延びていた髪を、首筋が露わになるほど短く切っていたのだった。
「似合うか?」
少し照れくさそうに笑う。
「赤、綺麗」
ジーグフェルドの真後ろ、明かり取り用の窓から差し込んでいる朝日に照らされ、キラキラと赤い髪が美しく輝いていた。
長かった時よりも、いっそう赤色が増したように見える。
それがとても綺麗だとイシスは感じたのだった。
「そう……か!?」
綺麗と言われて、ジーグフェルドの表情が少し強ばった。
本来喜ぶべき言葉なのに、全くそうは受け取れない、複雑な心境であった。
「オレは……。そなたの黒い髪の色が羨ましいよ」
「?」
己の髪の色が彼女と同じ黒であったなら、全てがここまで拗れはしなかったであろうと、ジーグフェルドは思った。
イシスを見つめたまま心は遠く、今にも泣きそうな表情になったジーグフェルドの髪に、イシスがそっと触れてきた。
「綺麗」
この国の今の情勢も、ましてや自分の素性など何も知らない彼女の、真っ直ぐに自分を見つめる澄んだ瞳が、ジーグフェルドを映す。
たったそれだけのことなのだが、何故か今の彼には泣きたいくらい切なく、また嬉しい気持ちにさせてくれた。
それはまるで暗闇の中に差し込む一条の閃光。
昨夜、暗闇に飲み込まれそうになった時、救ってくれた瞳だった。
どんなに強く激しい嵐が吹き荒れようとも、迷うことなく真っ直ぐ自分だけを照らして、進むべき道を示してくれる光のようである。
その光に照らされて、即位以降顔を隠すように伸ばしてきた髪を、切ることが出来たのだった。
この先どんな苦難が待ち受けようとも、立ち向かう決意の現れである。
「オレの光……か」
「えっ!? 何?」
ジーグフェルドが呟いた言葉を聞き取れず、イシスが問いかける。
「いや、何でもない。食堂へ行こうか。しっかり食べておけよ。済んだら直ぐに出発するからな」
「は~い」
言った言葉の半分も理解していないくせに、間延びした返事をイシスが返す。
そんな彼女にジーグフェルドは微笑する。
そして二人はローバスタ砦をあとにした。
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