19話 嵐のあとの光【6】

「入るぞ、イシス」


 夕刻、やっと会議を終えたジーグフェルドは、司令官バインと二人で、イシスの部屋へと向かった。


 もうすぐ夕食の時間だったので、呼びに行くついで半分、連れて行きたい所へと誘う目的半分であった。


 しかし、扉を軽く叩いて入った部屋に、彼女の姿はどこにもない。


「一体どこに……?」


 彼女は部屋にいると、部下より報告を受けていた司令官バインの胸中に嫌な感じがした。


『まさか、砦内を偵察しているのでは……?』


 常に隣国の脅威に晒されているこの砦に勤務する者として、当然及ぶべき思考であった。


 彼の表情に緊張が走る。


 不思議な服装の異国の娘を、他国あるいはランフォード公爵が差し向けた、密偵か刺客ではないかと疑っていたからである。


 が、自分の後ろに立つ司令官バインの緊張などには全く気付かず、ジーグフェルドの方はノンビリとした態度であった。


 部屋の窓が開け放たれているのを見て、


「ああ」


 と、一言呟くと、部屋の外へときびすを返したのだった。


「陛下?」


「こちらへ、バイン司令官」


 そう言って、今いたイシスの部屋が見える、内側の城壁通路へと出たのだった。


 二重になっている城壁の内側は、この砦で生活する者達が寝起きする寄宿棟と、最上階の部分で三カ所、細い橋によって繋がっている。


 有事の際に四方の塔で見張っている者が、いちいち下まで降りなくても、即座に司令官達に伝えることが出来るようにとの配慮であった。


 周囲に夕闇が迫ってきており、星々がその輝きを増そうとしている。


 澄んだ空気の中、離ればなれになった双子の月が美しかった。


 ジーグフェルドは空を見上げ声をかける。


「いたいた。イシス! 降りておいで」


 ジーグフェルドが呼びかけた先、寄宿棟の最上部、急斜面の屋根の上に、彼女は座っていた。


 時間に余裕が出来たとき、彼女はよく双子の月を見上げている。


 彼女の部屋の窓からは、月が丁度反対方向にあるので、きっと見える場所に移動したのだろうと、ジーグフェルドは思ったのだ。


 振り返り立ち上がった彼女は、その姿から名前を付けた赤い月を背に従え、まるで戦女神イシスそのものが、そこにいるかのようであった。


 そんな彼女の姿に、司令官バインは目を奪われ、思わず生唾を飲み込んだ。


 しかし、同時に疑問が生じる。


 確かに屋根は彼女の部屋のすぐ上ではあるが、返しが付いているし、勾配が急でとても人が登れるようには造られていない。


 一体どうやって登ったのか、不思議であった。


 一方イシスの方は、かけられたジーグフェルドの言葉が分かったのか、ポンと無造作に足下を蹴り、二人の方へと軽やかに飛んだ。


「うわっ!?」


 驚いた司令官バインが思わず声を上げる。


 人が飛び降りて無傷ですむ高さではない。


 足の骨を折るか、着地に失敗すれば死んでしまう。


 が、相当な高低差そして平面距離があったにもかかわらず、彼女はバランスを崩すことなく、音もたてず見事に着地した。


 しかも、二人の目の前に。


 この思いっきり人間の常識を越えたイシスの行動に、司令官バインは目の前で起こったことが信じられず、口をポカンと開けてしまった。


「何?」


 そんな司令官バインには目もくれず、イシスは嬉しそうな表情で立ち上がり、真っ直ぐにジーグフェルドを見た。


 すこぶるご機嫌のようである。


 今、彼女の髪はいつものようにひとつに束ねられておらず、ほんのりと水とハーブの臭いがした。


「風呂に入れて貰ったのか?」


「ああ。気持ち、よかった」


 それで機嫌がよかったのだ。


「そうか、よかったな。オレもあとで使わせて貰うとしよう」


 イシスの様子に安心し、ニッコリと笑うジーグフェルドの笑顔につられて、イシスも微笑んだ。


 二人の間にとても柔らかな空気が流れる。


 その後ろで、司令官バインがやっと我に返り声を出した。


「一体どうやって……」


 そう問いかけた彼の言葉を、ジーグフェルドが遮った。


「彼女に聞いても無駄ですよ。答えられませんから」


 というよりも、知って欲しくはないから、といった方がいいかもしれない。


 彼女の飛行能力は、あまりにも強烈すぎる。


 四方の塔の見張りが騒いでいないので、屋根に登っているところを、彼らに見つかってはいないようだ。


 内心でホットするジーグフェルドだった。


「もうすぐ夕食だが、先にこちらへおいで、見せたいものがある」


 そう言ってジーグフェルドは、地下にある武器庫へとイシスを連れて行った。


 そして、大量の武器を指し告げた。


「イシス、好きなものを選びなさい。そなたに贈ろう」


 ジーグフェルドの言っている言葉は、やはりよく分からなかったが、彼の身振りでその意図を理解し、イシスは無言で大量の武器の前に足を進めた。


 シュレーダー伯爵のところで新しい剣を用意してもらいはしたが、彼女が通常の剣を使いにくそうにしているのに、ジーグフェルドは気が付いていたのだった。


 無論、戦闘中においては、長い方が有利なのではあるが、使いこなせなかったり、十分に威力を発揮できないのでは意味がない。


 やはり、本人に合った武器が一番よい。


 今まではバタバタしていて選んでやる時間が全く無かったので、今に至ってしまったのである。


 こちらが選んで渡すのではなく、自分で好きに選ばせる。


 それには奈辺に思惑と興味があった。


『この不思議な娘は、一体どんな武器を選ぶのだろうか?』


 ジーグフェルドは内心、ワクワクしていた。


 砦の武器庫故実戦用重視で、飾りの付いたものなど殆どないが、それでもそういった武器には目もくれない。


 槍や弓の前は素通りし、一通り剣の列を眺めていたその視線が、隅のゴミ同様に束ねられていた一振りに固定された。


 近寄って手にとり、鞘を抜く。


「そ…それは……」


「いけないのですか?」


「いえ、そうではなくて……。自分が昔、そうこの砦に入隊した頃に、当時の司令官から頂いて使っていた剣なのです」


 二十数年前の一兵卒が使用した剣なのであった。


 普通の剣よりも一回り小振りで、彼女が使うには丁度よい長さかも知れないが、柄は手あかにまみれ、革製の鞘もボロボロで、とても人に進呈できる代物ではない。


「もっと他のものを……」


 そう言いかけた司令官バインを、ジーグフェルドが片手で制した。


 イシスは鞘から剣を抜き、蝋燭の光に翳してじっと見つめ、左手の爪で数カ所を弾いた。


 彼女の指の動きに合わせて、カンカンカンと美しい音が室内に響く。


 不快な音はしなかったので、どこにも欠けた部分はなく、剣そのものには問題はないと判断してよいだろう。


 イシスはその剣が気に入ったのか、そのまま外へと出て行った。


 ジーグフェルドは、中庭に試し切り用の藁を用意して貰っておいたので、イシスが選んだ剣の切れ具合を確かめてあげようと思っていたのだが、その出番はなかった。


 彼女はさっさと自分で藁を掴み、無造作に放り上げると剣を振った。


 ヒュンという空気を切り裂く音と共に、藁がほぼ中央で綺麗に二つに分断される。


「ほう……」


 ジーグフェルドと共に、その姿を見ていた司令官バインの口から、感嘆の声が漏れた。


 剣を振るうイシスの姿勢には全く無駄がなく、実に見事で美しかったからである。


 剣を使い慣れた、戦士の身のこなしであった。


〈手入れが悪いな……〉


 切った藁の切断面ではなく、剣を見ながら彼女は何か呟いた。


〈だけど、今までの剣より数段使いやすい〉


 そして、ジーグフェルドの方へと振り返る。


「これ」


 と、見せるように剣を差し出した。


 かなりぶっきらぼうな言い方なので、司令官バインの眉間に縦皺が出来たが、言葉か不自由なのでは致し方がない。


 ジーグフェルドが彼女の物言いに、全く気にした様子がないので、注意をするのは止めた。


「鞘がもう使い物にならないようだが、それでもいいか?」


 地面に置かれているボロボロの鞘を指さし、ジーグフェルドが確認するのに、イシスはコクンと頭を縦に振った。


〈剣が使い易ければそれでいい。鞘は入れ物でしかないしね〉


 今度は、イシスの言っていることが、ジーグフェルド達には理解できないが、彼女が満足しているようなので、ひとまず安心する。


 イシスが一体どんな剣を選んだのか、ジーグフェルドは彼女が差し出しているものを手に取った。


 大きな体躯の彼が持つと、本当に小さく感じられる剣であるが、柄は持ちやすく、全体の比重バランスも非常によい代物である。


 そして柄の直ぐ下に彫られている名前を見て、ジーグフェルドは驚いた。


「ほう、これは……」


「何です?」


 司令官バインが少し心配そうな表情で、ジーグフェルドの手の中の剣をのぞき込む。


 そんな彼を見て、ジーグフェルドはニヤリと笑った。


「これはまた、大層な代物ですよ」


「えっ!?」


「ご存じありませんか? ここの銘。スカレーナ陛下がご存命の頃、側近くで使えていた名工の作品ですよ」


「!!」


「大層なものを練習用に使っておいでだったのですね」


 ジーグフェルドはクスリと笑った。


 口をあんぐりと開けて驚いている司令官バインの顔がとても可笑しかったからだ。


「いや……。しかし……。まさかそんな……」


 よほどビックリしたのか、まともな言葉になっていない。


「まあ、よいではありませんか」


 それだけ彼が、当時の司令官に期待されていたということだ。


 まだ磨かれてもいない原石の頃から、きっと何かしらの光を放っていたのであろう。


「これ明日の朝までに磨いておいて頂けますかな? 鞘は…。何か別の剣ので代用しましょう」


「か……、かしこまりました」


 司令官バインは、ジーグフェルドから剣を受け取りながら、そんな名工の作品を与えてくれていた、先の司令官に感謝したのと同時に、あの大量の剣の中から、僅かな時間でこれを選んだ彼女にも驚くばかりであった。


「さて、もう中へ入ろう。今日はいつもより、少しはましなものが食べれるぞ」


 そう言って、仲良く並んで寄宿舎の中に入っていく二人を見て、司令官バインはあることに気が付いた。


 イシスが隣にいる時、ジーグフェルドの発する空気がとても穏やかになっている。


 会議室でみせていた、殺伐とした重苦しい空気は、もうどこにもない。


 今のジーグフェルドにとってイシスという存在は、とてもよい精神安定剤になっているようである。


 人は己以外の守るべき者を側に持った時、精神的にとても強くなり、また安定する。


 更に、彼女が言葉の通じない異国の者で、彼のことを何も知らないということが、とても大きな要因なのかも知れない。


 恐らくイシスがこの国の者であったなら、ジーグフェルドの醸す空気は、ここまで穏やかなものにはならなかったであろう。


 だがしかし、外見だけ見れば、全くの凸凹コンビである。


『あれでは親子……。いや、よくて兄妹。悪く言えば、ペットと飼い主……ってところか?』


 性別・年齢的にみて、恋愛感情が生まれてもおかしくはない状態なのだが、悲しくも恋する男女の色艶といった雰囲気とは、全くもって無縁な二人なのであった。


 夕食後、ジーグフェルドは部屋でイシスに、紙とペンを使って、今まで教えた文字を書き記してやった。


 分かりやすいように、文字の解説として、簡単なイラストまで添えて。


 いつも地面に小枝で書いて貰っていたものを、持ち運び出来ていつでも見れる状態にして貰えたことを、イシスはとても喜んだのだった。


 そして、久しぶりにその夜は、穏やかに過ぎていった。

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