18話 嵐のあとの光【5】
「まあ、不幸中の幸いですかな? ランフォード公爵が兵を挙げたのが、この時期でよかった。そうでなければ、このローバスタも南のモンセラも、あまり兵を動かすことができませんからな」
「そうですね…あっ! いや、だな……」
副司令官シスキューの細い瞳に一別されて、慌てて言い直すジーグフェルドの言動がとても可笑しく、司令官バインはその大きな肩を振るわせて、声を立てずにまた笑い出した。
「…………」
そんな司令官バインをジーグフェルドが不満の表情で軽く睨んだが、彼の笑いは止まらない。
仕方がないだろう。
君主が臣下の、しかも男爵子息に叱られて、小さくなっているのだから、可笑しくてしょうがないのだ。
「バイン司令官、笑いすぎです」
中断してしまった会議をもとに戻そうと、今度は司令官バインの方へと副司令官シスキューの矛先が向けられた。
「へい、へい……」
彼は大きな肩を竦めた。
ここでは、副官が一番厳しいようである。
夏のこの時期、アスターテ山脈からの雪解け水が、大量にシュブラタ川に流れているので、川の水位は一年で最も高い。
こんな時には、川を渡るだけでも危険で大変なため、流石にクリサンセマム国も戦を仕掛けてはこない。
よって、彼の国からの脅威に対して、軍備をさして割かなくてよく、ランフォード公爵の方に兵を差し向けられるということなのである。
「しかし、お変わりになられましたな。渋々王宮に戻られた方とは思えないほどに」
「それは……、違います」
「?」
「今でも、玉座など望んではいませんし、変わって貰えるものならば、そうしたいと思っていますよ」
「では、何故?」
「私はまだ、何も成してはいない!」
「!」
「例え自分自身が己の出自に対して疑問を持っているにせよ、一度就いた位です。別に【国王】という地位に固執するわけではありませんし、なりたくてなったわけでも、ましてや奪ったわけでもない! むしろかなり無理矢理強引に就かされたわけですが……。だからといって決して執務を疎かにしたつもりはない!」
玉座に就いてからの半年間、覚えなければならないことも、片付けなければならない仕事も山積みで、起床してから深夜就寝するまで、執務以外のことを楽しむ余裕すらなかった。
常に宰相モーネリーと二人、執務室で書類と格闘する毎日だった。
そうしてやっと、溜まりに溜まっていた仕事を片付け、慣れてきたという時に、このランフォード公爵の一件である。
しかも、今までいた場所を追われた訳だから、悔しいし腹も立つ。
「本当に、この国のために、私はまだ何も成してはいない。それで私が国を傾けたと言うなら、諦めて裁きも受けるが、あのように理不尽なやり方で、追われなければならないとは思わない。このまま命を落としたならば、一体私は何のために、玉座に就かされたのか!? しかも、私だけならまだしも、父も……、そして母までも監禁した……。母は……、あの方は身体が弱い………」
ファンデール侯爵家へ来て直ぐ、最初の子供を流産して以降、ずっと寝たきりであったと聞かされてきた。
小さい頃の記憶には、いつもベッドにいる彼女の姿しかない。
小柄で折れそうなほど細い身体、薄い金髪に淡い水色の瞳をした、脆く儚いイメージの美しい女性だ。
父や祖父に叱られて、泣きながら母の部屋に駆け込むと、優しい瞳で微笑み、柔らかな手で抱きしめて、そっとキスをしてくれる。
そして安心した自分は、そのままいつも彼女のベッドで眠ってしまっていた。
いつしか自分の成長と共に、母の身体も回復へと向かい、屋敷の中を歩き回れるようになりはした。
「きっと貴方が私達のもとに来てくれたお蔭ね。ジーク。愛しているわ、私の天使」
母はそう言った。
彼女から叱られた記憶は一度もない。
自分が何をやっても、母は楽しそうに笑っていた。
だが、健康体とは決して言い難かった。
城から外へ出ることは、出来なかったからである。
そんな母が、今のような状況下からくる心労に耐えられるとは、到底考えられない。
一刻も早く救出しなければ、命に関わる。
ジーグフェルドは焦っていた。
「取り急ぎモンセラの砦には、ここから使者を送ります。お手数ですが指令書を作成しますので、配達を願えますか?」
「無論です。紙とペンをお持ち致します」
そしてジーグフェルドは、手早く必要事項を書き付け署名をし、懐から無造作に国璽を取り出すと、慣れた手つきでポンと押した。
王宮脱出時、あの混乱の中でしっかり持ち出していたのであった。
「頼む」
そう言って、副司令官シスキューに、用紙を手渡した。
「承知致しました。お預かり致します」
指令書を受け取った副司令官シスキューは、それをローバスタ砦発送専用の筒に入れ厳重に封をすると、一礼して、部屋を出ていった。
直ちにモンセラ砦に向けて、伝令に持たせるためである。
「ファンデール侯爵家にいる兵に対し、先だって協力を取り付けてきたシュレーダー伯爵の兵力、そしてこのローバスタ砦と南のモンセラ砦の兵力、それにアフレック伯爵の兵力が加われば、優位に対抗出来るでしょう」
「しかし、一体どうやって攻めるおつもりですか?」
「侯爵家内部との連絡をカレルに任せてきてあります」
「カレル? シュレーダー伯爵家の?」
「ええ、そうです」
「大丈夫ですか? かなりの数の兵が、城の周辺を抑えていると聞いておりますが」
「問題ないでしょう。彼はあの周辺のことには詳しいですし、知恵もある。彼の地へ赴くのにカレル以外の適任者はいないと思います。特に心配はしていません」
「………。ご信頼、厚いようですな」
「分身のような存在ですからね」
ジーグフェルドはニッコリと笑った。
そこへ、副司令官シスキューが部屋へ戻ってきた。
入室する時にまた一礼をする。
本当にどこまでも律儀な男であった。
「このあと陛下は、如何なさるおつもりですか?」
「ああ、他の貴族たちもに親書を書くので、配達をお願いします」
「かしこまりました」
「その後はアフレック伯爵家へ行くつもりだ」
アフレック伯爵家は、ここ国王領であるローバスタ砦より東南に、シュレーダー伯爵家からは南東に位置し、ファンデール侯爵家とは姻戚関係にある大貴族である。
ファンデール侯爵家程ではないが、シュレーダー伯爵家に匹敵する広い領地を誇っている。
跡継ぎがひとりしか生まれず、しかも女性だったため、当時のアフレック伯爵は大いに嘆いておられたが、彼女は周辺の男など足下にも及ばないほどの豪傑へと成長し、メレアグリス国にその名を轟かせるほどの女伯爵となっていた。
それが、プラスタンス=セイ=テ=アフレックである。
「あまり賛成は致しかねますが………。このまま、こちらに留まられた方が、御身のためにはよろしいのでは御座いませんか? どこにランフォード公爵の手の者が潜んでいるとも分からないのですから」
「そうです。アフレック伯爵家には、こちらから使いを出しますから、ここで指揮をなされた方が……」
ジーグフェルドの身を案じた、司令官バインと副司令官シスキューが引き留める。
「うむ……。それも考えたが、やはり直接お会いして話をした方が、迅速に事が運びそうなので……な。それに、彼の伯爵ならば、城内に入った途端首を落とされる心配はないし」
「……そうは思いますが……、あちらはご夫君のジオ殿とご子息のエアフルト殿が、王宮に足止めされていらっしゃるそうですから、完全に信じてしまってよいものかどうか………」
「それでは余計に、怒りをかっていよう。あの狸は、プラスタンス殿のご気性を、全く把握してはおらんようだな」
ジーグフェルドの呟きに、豪傑と噂高き彼の女伯爵に対し、二人は額にうっすらと汗を浮かべて顔を見合わせた。
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