16話 嵐のあとの光【3】

「好きにしろ」


 着任の挨拶に司令官室へとやってきたジーグフェルドへ司令官バインが告げた一言であった。


 彼はもともとこのローバスタ砦近辺に住む農民の子で、十三歳の時砦に歩兵として入隊し、それ以降ずっとここで暮らしている。

 元来持ち合わせていた人に好かれる性格と、頭の回転・機転のよさ、更には剣技に優れていることから、二十三歳の時に副司令官の命を受けるという異例の抜擢をうけた。


 本来なら指揮官クラスには、貴族しか着任出来なかったからである。


 そして、二十九歳の時、彼を副司令官に推してくれた、当時の司令官が退く時、この砦を正式に任されたのだった。

 この配慮は当時の国王であったラナンキュラスの裁量であったといえる。

 それ以来約五年間、ずっとここを守ってきた。


 その司令官バインが、度々入れ替わる副司令官の器量を計るために告げる言葉が、先ほどの一言であった。


 何故なら配属されてくる貴族達には、プライドのみが服を着ているような、役立たずなバカ共が多かったからである。

 第一の試練で、使いものにならないと判断すると、砦全体で容赦なく追い出し作業にかかっていたのだった。


 そこへ幸か不幸か副司令官として配属されてきたのが、ジーグフェルドだったのである。


 司令官バインは、次に配属される副司令官の名前を聞いた瞬間、盛大に眉間に縦皺を作ったのだった。


「ファンデール⁉」


 ファンデール侯爵家といえば、北西で一国を成せるほどに広大な領地を持ち、家系を遡ればクレセンハート王家に匹敵する一族である。


 所有している山脈からは金・銀・銅・錫・鉛と、採掘出来ない金属元素は無いとまで言われる鉱脈を持っており、また海にも面しているため、他国との交易も盛んで、山の幸にも海の幸にも非常に恵まれていた。


 そんな領主であるにもかかわらず、一度として王家に反旗を翻したことも、謀反の嫌疑をかけられ討伐されかかったこともない大貴族であった。

 そこの嫡男が来る。


 今までの経験から考えても、到底あまり使いものになるとは思えず、さりとてあからさまに追い出し作業にかかっては、後々厄介なことにならないとも限らない。


(頭の中身は自分達以下のくせに、自尊心だけは人一倍持っている)


 彼は貴族達のことを総じてそう思っていた。


 乱世であれば、そういったバカ共は、自然と淘汰されるが、有能な国王に巡り合い、平和な世が続くと量産される。

 困った世の仕組みである。


 ファンデール侯爵家の嫡男が一体どんな人物なのか、考え始めただけで頭が痛くなる司令官バインであった。


 そして着任当日、例によって放り出すように告げた言葉に対するジーグフェルドの反応は、彼が思っていたのとは大いに反するものであった。

 司令官室をクルリと一周見渡すと、徐に呟いた。


「そうですね……。だいぶ、と言うか、かなり埃がすごいようですから、大掃除から始めましょうか」


「何⁉」


 そう言うと、驚いて椅子から落ちそうになった司令官バインを背にして、足早に部屋から出て行き、ここ数年一度も鳴らしたことのない、緊急招集もしくは非常事態時に使用する鐘を、砦中に高らかに響かせたのであった。


 そして、広場に集合させた兵士達に対して、勝手に自己紹介をすると、彼らの手に槍や剣の変わりに箒を、盾の変わりに雑巾とバケツを持たせて、ローバスタ砦開闢以来かもしれないという、大掃除へと突入させたのだった。


 口を挟む隙さえも与えられず呆気にとられている司令官バインと、涙目になりながら掃除に従事する兵士達が、真冬の風に晒された。


 暫くして、我を取り戻した司令官バインは気が付いた。

 命令するだけしておいて、当の本人の姿がどこにも見あたらないことに。


(一体どこへ行ったんだ?)


 あちこち探してまわったが、霧か霞のように消えてしまっている。

 残るところは、内堀の四方に設置されている見張り台のみであった。


(まさか、なぁ……)


 そう思いながら登って行ったその内のひとつで司令官バインは驚愕した。

 居たのだ、奴が。


 床の土埃を払って下に落としてしまえば掃除が完了してしまう、簡単かつ最重要な場所で、火鉢に当たってノンビリと昼寝をしているのだ。

 狭い室内の殆どを、横になったジーグフェルドの巨体に占領され、彼の方を振り向いた当番の兵士が、泣きそうな表情をしている。


「…………。お前、何やってるんだ?」


 西域の地に勇猛であるとその名を馳せた司令官バインは、これだけ言うのが精一杯であった。


「おや? 掃除はもう終わりましたか?」


「いや……。まだだが……」


「では終わったら、呼びに誰かを寄越して下さい」


 そう言うと、ジーグフェルドはまた眠りだしたのだった。


 若干十六歳の若造。

 しかも着任早々であるにもかかわらず、このあまりにも大胆な彼の振る舞いに、司令官バインは怒鳴ることも忘れてしまっていた。


 好きにしろと言った手前、文句を言うわけにもいかないので、黙って見張り台をあとにするしかなかった。

 しかし、掃除が終了した砦内を見渡せば、ジーグフェルドがただ単に掃除をさせただけではないことが分かった。


 以前はかなり無造作に置かれていた武器庫の武器や防具類は綺麗に整理整頓され、更に数日後には修繕もされている。

 片付ける、ということが苦手だった司令官バインにとっては、重宝だったかもしれない。


 それが命令するだけだとしてもだ。


 そして、ジーグフェルドが行ったことはこれだけでは無かった。

 狭いスペースだった娯楽室を広げ、あげくに酒も持ち込んでいたのだった。


 この砦の置かれている場所が場所だし、役割からも考えて、当然酒類は禁止していたのだが、彼にはそんなこと関係ないようであった。


「飲みますか?」


 酒盛りの現場を見つかって、ジーグフェルドが彼に言った言葉がこれである。


「バカ野郎‼」


 瞬時に司令官バインの大きな怒鳴り声が部屋中に響き、その場にいた全員の兵士が恐ろしさに震えた。

 しかし、ジーグフェルドはそよ風のように涼しい顔して、爆弾を落としたのだった。


「これ、かなり美味かったですよ。この辺の地酒ですか?」


 彼が手に持っている酒瓶のラベルを見て、司令官バインは悲鳴を上げる。


「オレの寝酒‼」


 同時に兵士達の顔が引きつった。

 そして、彼は一斉攻撃を受けることとなる。


「外出も出来ない。華もない。これくらいの楽しみが無くては、人生悲しいですよ。飲まれない程度に飲みましょう」


 兵士達から吊し上げを喰らっている司令官バインに、ジーグフェルドが酒の入ったグラスを差し出した。

 自分が部屋に隠し持っていた酒瓶は、どうやら彼によって空にされてしまったようである。

 無造作に床に転がっていた。


 この場に己の味方はひとりもいない。


 彼はジーグフェルドが差し出したグラスではなく、もう片方の手に持っていた酒瓶を取り上げ、一気に煽った。

 そして、ジロリと睨み付けて一言。


「この野郎。こういった物は、真っ先にこのオレに持ってくるべきだろうが!」


 司令官バインはジーグフェルドの頭をコツンと軽く拳で殴った。

 ローバスタ砦で酒が解禁になった瞬間である。


 この日より、規制付きではあるが、少量の飲酒は許されるようになった。

 兵士達には大変喜ばしい、副司令官ジーグフェルドの功績であった。


 最初に「好きにしろ」と言いはしたが、本当にここまで好き放題やってくれた人物は過去に例がない。


「こんな大貴族の息子は初めてだ!」


 それ以来彼は、ジーグフェルドのことが大層気に入り、信頼も寄せるようになったのだった。


 その頃、王宮ドーチェスター城では朗報がもたらされていた。

 あの司令官バインの元で、半年以上続いた副司令官はジーグフェルドが初めてであったのだ。


 その報告を受けた当時の国王ラナンキュラスは、満足そうに微笑んだのだという。


 これが二人の付き合いの始まりであった。


 また、このローバスタ砦から更に下、南の海に近い場所にも国王領が存在し、同じようにクリサンセマム国に睨みを利かせているモンセラという砦がある。

 ジーグフェルドがローバスタ砦に着任したのと時を同じくして、シュレーダー伯爵家のカレルがそこの副司令官として着任していた。


 本人達曰く、


「別に話し合ったわけではない」


 であるのだが、カレルもジーグフェルドと同じようなことを行っていたのだという。

 連絡を取り合った双方の司令官同士盛大に笑ったのだと、のちに二人して教えて貰うこととなる。


 そしてジーグフェルド=トウ=ラ=ファンデールとカレル=セイ=テ=シュレーダーは西側の地にその名を広めていったのだった。

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