14話 嵐のあとの光【1】

「見えた。あの砦だ」


 小高い丘に立ち、小さく見える黒い影を指さして、ジーグフェルドが笑顔をみせた。

 シュレーダー伯爵の城を出発して二日目のことである。


 丘より望めるその砦は、堅固な岩肌が高く聳える城壁に囲まれ、その一回り内側には城壁よりも更に高い塔が四本見えた。

 見張り台であると思われる。


 城壁の周囲には、黒い線のようなものが続いていた。

 おそらく堀であろう。

 遠くからでも、見る者全てに威圧感を与える、重苦しい雰囲気を醸し出していた。


 そんな砦の更に西方数キロメートル先には、クリサンセマム国との国境となるシュブラタ大河が、その雄大な姿を見せている。

 ここはメレアグリス国の最も西にあり、守りの要となる重要な場所であるのだった。

 そして二人の目指した次の目的地、ローバスタ砦であった。


「一気に行くぞ! イシス!」


「うん!」


 二人は馬を走らせ、丘を駆け下りて行った。

 程なくして砦正面の大きな門へと辿り着き、堀の外側でジーグフェルドが叫んだ。


「開門!」


 彼の声と同時に、上げられていた鉄製の跳ね橋が、ガラガラと大きな音を響かせながら降りてくる。


 その跳ね橋がまだ降りきらないうちに、城壁の鉄製の巨大な扉が開かれ、二名の男性が駆けだして来ていた。


 轟音と共に砂塵を巻き上げ跳ね橋が地に着くと、イシスをその場に残し、ジーグフェルドは馬に跨ったまま、その途中まで進んで止まった。


 急に跳ね橋を上げられても、外に逃げられる距離である。

 更にジーグフェルドは、城壁の上に視線を向けた。

 見張りの数名が顔を出してはいるが、弓を構えている者はひとりも見受けられない。

 そのことにジーグフェルドは、少し安堵の色をみせた。


 いくらイシスの助けを借りたとしても、先のシュレーダー伯爵の館で行ったような、潜入方法はこの砦には通用しない。


 周辺一帯には身を隠せるような障害物が何も存在しない上、四方八方を常に見張りが、短時間交代制で監視している。

 何人たりとも、見落とさないようにと。


 逆に言えば、それほど常に危険や緊張と、背中合わせであるということなのだ。

 だからジーグフェルドは、危険を承知で正門へと真っ直ぐ向かったのである。


 そしてその鉄壁を誇る監視故に、砦に向かってきていたのが誰であるか分かり、即座に責任者へと知らせが届けられたのであろう。

 跳ね橋が降りきる前に、扉前に現れていたのは、司令官のヴォッシー=バインと副司令官のオエノセラ=ソア=デ=シスキューであった。


 司令官のバインは、ジーグフェルドよりも一回り大きな体躯をしており、筋骨逞しい三十代後半の男で、薄い茶色の髪を正面は短く刈り込み、後ろは腰の辺りまで長く伸ばしている。

 よく日に焼けた小麦色の肌に、人なつっこい笑顔が印象的であるが、それ以上に人目を引きつけるのは、紅いルビーのような輝きを放つ瞳と、右頬に刻まれた剣の傷跡であろう。


 そんな彼とは対照的な容姿の副司令官シスキューは、ジーグフェルドより一回り小さく、筋肉質ではあるが細身で、癖のある真っ黒な髪を短く切りそろえていた。

 薄い緑の瞳が、まるでオパールのように光っており、どことなく神経質そうな男である。


 二人はジーグフェルドの側まで駆けて来ると跪いた。


「訳ありですので、馬上から失礼しますよ。お久しぶりです、バイン司令官。お変わりはございませんか?」


 このジーグフェルドのバカ丁寧な挨拶に、声をかけられた司令官バインが苦笑した。

 例え彼が目上であっても、君主が臣下にかける言葉では決してないからである。


「はい、ここは何も変わりません。陛下もご健勝のご様子、安心致しました」


 よく通るバリトンの声を響かせ、嬉しそうにジーグフェルドを見上げた。


「そうか……。それはよかった」


 ジーグフェルドは心からニッコリと笑った。

 この短い会話の中で、この砦が自分にとって今も頼れる存在であると確認できたからである。


「変な使者が数名、来ませんでしたか?」


「あちらに三名ほど」


 そう言って司令官バインは、自分の後ろを親指で指さし振り返った。

 滅多に開くことのない正門の音を聞きつけて、何事かとやってきたらしい。


 そしてその先に探しているジーグフェルドを見つけ、大そう驚いた表情をしていた。

 身体をブルブルと震わせ、赤くなったり青くなったり忙しそうである。

 その内のひとりが、ヒステリックな怒鳴り声を上げた。


「な……何をしているのです⁉ 司令官、早くその者を捕らえなさい! ランフォード公爵からの命令を伝えたでしょう! 忘れたのですか⁉」


 しかし、怒鳴られた当の本人は、至って冷静で涼しい顔をしていた。


「さて……、何でしたかな?」


 わざとらしく腕を組み、のんびりと質問する。


「貴公、公爵の命令に従わないおつもりですか⁉」


「貴殿等は何か勘違いをしてはおられませんか? ここは国王陛下の直轄地ですよ。そして我々は王の私兵。我々に命令を下すことが出来るのは、国王陛下のみです! 覚えておかれよ‼」


「そういうことです。我らに命じたくば、御身が王であると認められた上で願いたい」


 司令官バインの大きな声量の一喝に、副司令官シスキューの冷ややかなそれでいて凄味のあるバリトンに近いテノールが続いた。


「さて、ご命令を。陛下」


「ふむ、心強い忠誠心、嬉しい限りだ」


 ジーグフェルドは剣を抜き、三名の使者へとその切っ先を向けた。


「選ばせてやろう。大人しく地下の牢屋に監禁されるか、そこの堀に葬られるか、二つに一つだ。即答されよ」


 三名は無言で、腰の剣を地面に放り、両手を上げた。

 周囲を武装した兵士にすっかり取り囲まれてしまっているのだから、逃げようがない。

 命は惜しいらしいので、あっさりと降伏したということだ。


「地下へ連れて行け」


 砦の内部に入ったジーグフェルドは、言葉少なに兵士に命じた。

 そんな彼の堂々とした態度に、バイン司令官が嬉しそうに顔を綻ばせた。


「少しお会いせぬ間に、貫禄が増された」


 もともと広大な領地を統べるファンデール侯爵家の嫡男として、人の上に立つべく教育を受けてきていたのだから、それなりの風格は備えていた。

 国王として頂点にたった今、更に磨きがかかったようだった。

 彼が十七歳の頃から二年間、ずっとこの砦で副官として成長を見守ってきた司令官としては、嬉しい限りであったのだ。


 だが、地下に連行される三名の使者を見送りながら、ジーグフェルドが余計なことを無邪気に呟いた。


「抵抗無しでよかったですね。この夏場に堀なんぞに落としたら、臭いが堪りませんからな」


「…………」


 副指令官のシスキューが、瞬時に顔を引きつらせる。

 ジーグフェルドと入れ違いで、この砦に配属された二十代後半の彼は、幸か不幸か本日初めて知ったのだった。

 自分が命かけて仕えている君主がこんな人物なのだと。


 ジーグフェルドが言った意味。

 どんなに堀が深くても、香りというものは下から上に立ち上るという法則がある。

 根本原因つまり臭いの元が取り除かれない限り、風に乗って常に城壁の周囲には死臭が漂うということである。

 それは、この砦で生活している者には、大変な苦痛となる。

 そのことを分かっていながら、ジーグフェルドは使者達を脅したのだ。


「…………。そういうところは全くもって、相変わらず、なのですね……」


 司令官バインはその大きな肩を、ガックリと落とし、逆にジーグフェルドは竦めたのだった。

 歩が悪くなりだした彼は、後方からじっとことの成り行きを見つめている視線に気が付いた。


「おっと、いかん。おいで、イシス」


 そう言って彼女の方に振り向くと手招きをした。


 鉄橋の手前で待機していたイシスが、ゆっくりと馬を進めて近づいてきた。

 とても不思議そうな表情をしている。

 先のシュレーダー伯爵家の主らしきラルヴァの態度や、今ここの砦の人物達の振る舞いから、ジーグフェルドのことを推し量っているのだった。


⦅ジーグフェルドって、本当に何者?⦆


「ん? どうした?」


 イシスはじっと彼を見つめる。


「オレのことが、不思議か?」


 イシスはコクリと小さく頷く。


「オレは一応この国の王様らしい。一番偉い人だ。自分でも信じられないけどな。まあ、今のそなたには、説明しても十分には伝わらないだろうが、何となくは分かるだろう? 尤も、城を追い出されて、風前の灯火の、情けない王だがな。ははは」


 ジーグフェルドは自嘲気味に、豪快に笑った。


「陛下! 何と言うことを、このような異国の娘に仰るのですか⁉」


 司令官バインが慌てた。


「いいではないですか。どうせ本当のことだ」


「砦内の士気に関わります!」


 後ろから副司令官のシスキューに、ぴしゃりと窘められた。


 隣で、司令官バインがそうだそうだと言わんばかりに、首を縦に振っている。

 どう転んでも、ジーグフェルドに味方はいないようだ。

 やれやれといった表情で、再度ジーグフェルドは大きな肩を竦めたのだった。

 そして、話を切り替える。


「彼女はイシス。私の同行者です。疲れているだろうから、部屋を用意して休ませてやって下さい」


「かしこまりました」


 副司令官シスキューが、案内しようときびすを返したので、ついて行きなさいと合図をしたが、彼女は動かなかった。

 それどころか、ジーグフェルドの袖を掴み、眉間に皺を寄せ自分の鼻を押さえている。


「どうした? 先に休んでおきなさい。オレは今から会議を行うから時間がかか」


「臭い……」


「はい⁉」


「ここ、男、臭い……」


「…………」


 彼女の瞳は涙目になっていた。


 周囲を見渡せば、当然のことながら鎧に身を固めた男しかいない。

 その鎧も殆ど洗いはしないから、然るべき香りが染み付いていた。

 自分達はさして気にしたことは無かったが、女性からするとそれは非道く耐え難いものだったらしい。


「まあ、な、男しかいないから……」


 どうしたものかと、ジーグフェルドはポリポリと頬を掻いた。


「え、と、では上の方の部屋を……。そうだ、一番上の風通しが良い部屋を使わせて貰おう。それなら大丈夫だろう⁉ よろしいでしょう? バイン司令官」


「は……。はあ……」


 例え好ましくなくとも、この状況で嫌とは言えないであろう。


 ジーグフェルドは自ら、イシスを部屋へと案内してやった。

 普段は全く使用していない部屋なので少し埃っぽかったが、彼女は満足してくれたようだ。

 窓を開け放ち周囲を確認すると、小さく安堵の息を付いた。


「ありがと。ジーグフェルド」


「いや、気に入ってくれてよかったよ。オレの部屋はこの向かいに頼むから、何か問題があったら来なさい」


「はい」


「じゃあ、会議を行うから、またあとでな」


「うん」


 そう言ってジーグフェルドは、笑顔で扉を閉め、小さく息を吐き出した。

 彼も安心したのだった。


 会議室へと向かおうとした彼に、先ほどから無言で様子を見守っていた司令官バインが質問をする。


「陛下、あの者は一体⁉」


「アスターテ山脈で拾っ、あ、いや、出会ったのだ」


「何故そのような場所に、異国の娘が……⁉」


「バイン司令官」


「はい?」


「それ以上、質問なさらないように」


「はぁっ⁉」


「答えられない……。というか分からないから」


 そこまで言うと、ジーグフェルドはスタスタと歩き出してしまった。


「へ、陛下……。あの……?」


 司令官バインの表情は困惑へと変わり、額に汗をうっすらと浮かべだした。


 彼女の性別や容姿からは、到底隠密の護衛であるなどとは解釈出来ない。

 しかもアスターテ山脈で出会っているのなら、ここまでの道中約十日ほど一緒にいたはずである。

 なのにその者の素性を言えないというか、分からないとは一体どういうことなのか。


 しかし、あの構えを見せたジーグフェルドから、それ以上の言葉を引き出すのは、ひどく困難であると司令官バインも嫌というほど知っている。

 昔であれば拳骨のひとつも見舞ってやれるが、流石に今は出来かねるので、溜息を漏らし諦めることにした。


 そんな司令官バインの音にはならない声が聞こえたのか否か、ジーグフェルドが急に足を止め振り返った。

 何事かと驚く司令官に、ジーグフェルドは真剣な面もちで、再度彼を困惑させる言葉を告げたのだった。


「ああ、付け足しておきますが、彼女は我々の言語に堪能ではありませんから、そのつもりでお願いします」


「そのつもりで、って……?」


 更に、呉々も怒らせないようにとトドメを刺して、足早に会議室へと消えて行った。

 さて困ったのはイシスの接客しなければならない者達である。


「おい、シスキュー。お前に、任せる」


 上官が部下に面倒事を押しつけるのは、何処も同じであろう。


「ええっ⁉ わ、私ですか?」


 いつもは至って冷静沈着な副司令官が、奇天烈な声を上げた。

 それくらいショックだったのであろう。


「何だ? 不服か⁉」


 司令官バインが体格差に便乗して、上から威圧するように低い声を出す。


「はい、それは、ちょっと……。あの、自慢にはなりませんが、私は女性の扱いにはいささか、いえ、かなり、その不慣れでして……」


 妻がいるというくせに、しどろもどろの副司令官シスキューに、司令官バインがボソリと呟いた。


「本当に、自慢にはならんな」


「……。そういう司令官は如何なのですか?」


「…………。ふん、オレもだよ……」


 気の毒に、降ってわいた珍客に、無骨者共の苦悩が始まった。

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