10話 陰謀のドーチェスター城【5】

 ジーグフェルドが生まれたメレアグリス国は、近隣諸国の中でも随一の広大な領地を誇る大国である。


 そのメレアグリス国の北西に位置する、広大なファンデール地方を代々統治してきた侯爵家。

 それがジーグフェルド=トウ=ラ=ファンデールの生家であった。 

 現在の当主であり、父のアーレス=トウ=ラ=ファンデールと、その妻レリアのひとり息子として十九年間この地で育ち、そしてこの先もここで一生を終えるはずだった。


 が、彼の人生計画は三人の男の死によって、大きく変えられてしまう。


 一人目の男は、彼が十六歳の時、第十二代目国王であったラナンキュラス=ラル=ア=クレセンハートの崩御である。


 この国は南北を海に、そして東西を陸続きに数カ国に挟まれているため、大国といえども常に他国からの侵略の危機に晒されてきた。


 ラナンキュラスは、その生涯を国土の平定と他国からの侵略防止に捧げ、国の繁栄に大きな貢献をした有能な国王であった。


 国中が悲しみに暮れたが、この時点ではまだジーグフェルドにとって、大きな変化はなかった。

 崩御したラナンキュラス国王には、西の大国クリサンセマムより后に迎えられていたエバンジェリン王妃との間に誕生した、エルリック皇太子がいたからである。


 彼はジーグフェルドと同じ年齢で、誕生日が一日早い、心身共に健康な青年であった。

 当然、その彼が第十三代目国王として即位を行なった。


 しかし、新国王が誕生して僅か一年のことである。

 執務の合間に貴族の子弟達と出かけたキノコ狩りで毒キノコにあたり、その場にいた共々と一緒に呆気なくこの世を去ってしまう。


 まだ若く前途有望な国王の突然の崩御に国中が騒いだが、まだ幸いなことに東の大国ダッフォディルより迎えていたニグリータ王妃との間に、御歳三歳になる皇太子オクラータが存在していた。

 直系子孫が王位を継承していくため、前代未聞ともいうべき幼年王が第十四代目として誕生する。


 だが、執務を行なうには幼すぎるため、前前国王ラナンキュラスの弟で、エルリック前国王の叔父に当たるペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵が摂政として後見に付くこととなった。


 が、不幸は更にまだ続く。

 幼き新国王は在位僅か一年で病死したのだ。

 この相次ぐ不幸に国中が大騒ぎとなる。

 ジーグフェルドも国の行く末を大いに心配したものだった。


 今日までクレセンハート王家の側で、国を支えてきた貴族達が集まり、世継ぎのいなくなった直系の後をどうするか会議を行った。

 候補は二つの公爵家である。


 【公爵は王の毛布から生まれる】という言葉があるが、この【公爵】を名乗れる者は、王家の身内であるということなのだ。

 直系から外れた者。

 すなわち王位継承権を持ちながらも、その順番が後ろだったため、王家を継ぐことが出来なかった者を指すのである。


 その一つが、幼年王の摂政として後見人になっていたペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵だ。


 そしてもう一つが、十一代目国王であったスカレーナ女王の弟、ラティオ=ロウ=ザ=クロフォード公爵である。


 しかし、後者のクロフォード公爵は老齢で、そのお子達も王家の血は少しずつではあるが薄まっていく。

 直系継承ということを重視するならば、ペレニアル=ロウ=ザ=ランフォード公爵が新国王になるのがよろしかろうと、まさに決定しようとしていた時だった。


 それまでの沈黙を破り、ジーグフェルドの父であるアーレス=トウ=ラ=ファンデール侯爵が動いたのだ。

「我が手元で預かっているジーグフェルドは、亡き先先王ラナンキュラス陛下の息子にして、エルリック前国王とは双子の兄弟となる者。故に先先王ラナンキュラス陛下の遺言状に従い、彼こそが新しい国王になるべきである」

 と。


 城内が騒然となる爆弾発言であった。


 これに対し、一番反発したのが当然のことながら、ランフォード公爵とその一派である。

 もう少しで転がり込んで来るはずであった国王の椅子が、目の前で急に方向転換して、しかもいきなり出現した予期せぬ小石に持って行かれそうになったのだから、黙っているはずはない。


 が、ファンデール侯爵の所持していた先先王ラナンキュラス陛下の遺言状が正規のものと判定され、また生前書き記された我が子であるとの証明書などなどから、ジーグフェルドは正式な王位継承者であると判断され、第十五代目の国王として、王座へと就くこととなったのであった。


 本当に文字通り、天から降ってきた国王の地位である。


 だがそれは、本人の意思など全くお構いなしのもので、彼は抗議することも、また拒否することも許されず、周囲によって慌ただしく即位式を進められ、その名をジーグフェルド=ラル=ア=クレセンハートと改めることとなった。

 これが十九歳になったばかりのことである。


 そのあとは慣れぬ執務に忙殺される日々であった。


 そして半年が過ぎた初夏のある晩のことである。

 深夜まで執務室で仕事におわれていたジーグフェルドの元に、護衛兵のひとりが息を切らせながら駆け込んできた。


「陛下! お逃げ下さい! 王宮が敵兵に囲まれております‼」


「敵兵だと⁉」


「そうです。その数約三千。旗の印は…」


「何だ⁉」


「二羽の鷲です‼」


 護衛兵の声は悲痛な叫びとなっていた。


「何だと⁉」


 このことはジーグフェルドにも大きな衝撃を与えた。

 二羽の鷲とは、ランフォード公爵家の紋章であったからだ。


「くっ! あの狸め。最近妙に大人しいと思っていたら、こういうことか……」


「陛下……」


「城の国王軍はどうした?」


「先日北東中央部バロネーズ男爵領内で起こった謎の大量死調査の為、かなりの数が出払っており、まだ戻っておりません」


「あれか……」


「更に警備兵も、何故か今夜は非番が多く、城内の警備兵だけでは防ぎ切れません」


「お逃げ下さい」


「陛下。お急ぎ下さい」


 周囲にいた兵士が口々に叫ぶ。


「謀られたか⁉」


 そこへ騒ぎを聞きつけた、ラナンキュラス前々国王の代から仕えている、宰相のアナガリス=モーネリーが部屋へと飛び込んできた。

 四十代半ばの中肉中背、頭にはうっすらと白いものが目立ちはじめた、執務の要と言える人物である。


 この半年間、常にジーグフェルドの傍らで、補佐をしてくれた。

 しかし、執務に忠実で頼りにはなるが、必要なこと以外喋らない彼の器量を、ジーグフェルドは計りかねていたのであった。

 すなわち自分にとって、敵なのか味方なのか分類できないでいたのだった。


 そんな彼が、今まで見せたことのない青ざめた表情、大きな声でジーグフェルドに向かって叫んだ。


「陛下! お早くこちらへおいで下さい!」


 ジーグフェルドは一瞬躊躇したが、この場に留まっていては、命がないので取り敢えず従うことにする。

 部屋をでる際、兵士が持っていた剣を一振り譲ってもらう。

 そして、いつでも抜ける体勢をとり、宰相モーネリーに導かれるまま、王宮の地下へと足早に進んだ。


 周囲には光も他者もなく、宰相モーネリーが手に持っている燭台の明かりのみが、唯一の存在であるかのようである。

 入り組んでいる脇道だらけの通路を、彼は迷うことなく進んで行く。


「どうするのだ? 既に王宮を囲まれているのだろう?」


「アザミの抜け道を使います。知っておりますのは私だけですし、あれならば城壁外の裏山に出ますので、陛下お一人くらいは闇に紛れることは可能かと」


「そなたはどうするのだ?」


「私は残ります。脱出口を塞がなくてはなりませんので」


 宰相モーネリーの言葉に驚いて、ジーグフェルドは思わず足を止めた。

 その気配に、先を歩いていた彼が足を止め、振り返る。


「陛下?」


「いかん! それは危険だ! 私を逃がしたとランフォード公爵に知られたら、そなたが殺されかねない」


「しかし、国王でもない者に、この抜け道だけは悟らせるわけには参りません。痕跡は消し去っておかないと」


 彼は言い切った。


「………………」


 彼の行動・言動には、何の迷いも感じられない。


「お早く!」


 そう言って再び歩き出す。

 ジーグフェルドはその胸にモヤモヤを抱えながら、足を動かした。


「モーネリー宰相」


「はい?」


「私の首を渡してしまった方が、よいとは思わないのか?」


 ジーグフェルドのこの爆弾発言に、彼は全く動じることなく、その足早の歩調も弛むこともなかった。


「身の保身のためにですか?」


「そうだ」


「思いません」


 宰相モーネリーは、今度もキッパリと言い切った。

 燭台の明かりに照らされる僅かな彼の後ろ姿しか、ジーグフェルドには見えないので、今どんな表情をしているのか、全く分からない。


 が、彼には確固たる信念があるようであった。

 そして、更に言葉を続ける。


「正当なる国王に仕えてこそ我が家の誉れ。出自が正しいのであれば貴男様がこの国の王です。略奪王の未来など知れておりますし、興味もございません」


「しかし、この私が本当に正当なのか、自分でも疑問なのだぞ。ならば、ランフォード公爵の方がましではないのか?」


 ジーグフェルドはなお食い下がってみた。


「先程も申しました通り、私欲を剥き出しにした者などに、国の未来は託せません」


「私になら……、託せると?」


 そこまで言ったときに、宰相モーネリーがその足を急に止めた。

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