8話 陰謀のドーチェスター城【3】
それも当然である。
想像していた彼の後ろからではなく、しかもマントの中から現れたのは、幼い顔の少女だったのだから。
二人を凝視したまま、凍り付いたように動かなくなったカレルを指しながら、ジーグフェルドは紹介を始めた。
「彼はカレル、オレの友人だ。そしてこっちはイシス。すまないが、彼女の分も食事と着替えを頼む」
しかも名前のみという、何とも短い紹介の仕方である。
「え……と、初めまして。よろしく。」
短くカレルに挨拶をし、「これでいいの?」という表情でイシスがジーグフェルドを不安そうに見上げた。
「合っているよ。良くできたな」
笑顔で褒めてくれたジーグフェルドを見て、嬉しそうにイシスが笑い返す。
「よかった……」
ジーグフェルド以外でまともな、というか普通の人間に会うのはイシスにとって初めてだったので、少し緊張していたのかもしれない。
それが彼の笑顔で一気に解されたので、イシスにとっては緊張緩和、ジーグフェルドにとっては教えた言葉を間違えずに覚えていたことに対して、嬉しかったという気持ちがあり、二人の周辺はとても和んだ空気に包まれた。
(な……、何なんだ⁉ この二人は……)
危機感の全くないこの雰囲気にカレルは目眩を覚えていた。
クラクラする頭を抱えながらも彼は出遅れてしまったことに心で舌打ちし、イシスの手の甲に挨拶のキスを送った。
「初めまして、イシス殿。カレル=セイ=テ=シュレーダーと申します。お目にかかれて光栄です」
笑顔でフルネームを名乗ったがイシスからそれ以上の言葉はなかった。
通常であればそこから会話が色々と進んでいくのだが、これ以上イシスが言葉を喋れないと知らないカレルは、その笑顔が段々と引きつってくるのだった。
それによく見るとイシスは今まで見たこともない不思議な服装をしている。
いや、服装だけではなく、その容姿も十分変わっていた。
黄色がかった肌に、焦茶の瞳。
一目で異国の人間と分かる。
カレルの引きつった笑顔は凍り付いたまま、その矛先はジーグフェルドへと移された。
ジーグフェルドがヤバイと思った瞬間、カレルの両腕が彼の胸ぐらを掴んで、イシスから離れた場所へと引きずって行かれた。
「どうしたんだよ⁉ あれは! 説明しろ‼」
あれとは無論イシスのことである。
お互いの鼻と鼻がくっつくのではないかと思えるほど間近でカレルから怒鳴られるジーグフェルドであった。
「城から決死の脱出を図ってきたのだと思っていたら、手に手を取って愛の逃避行だったのかよ⁉ 自分がどれだけ心配してたと思ってるんだ⁉」
「いや、それは誤解だ!」
「じゃあ、何なんだ⁉」
「その…、話せば長くなるから、あとで…じゃダメか?」
「今だ! 短く要約しろ!」
ジーグフェルドの訴えも虚しく速攻で拒否されてしまった。
あくまでも主導権はこの屋敷の人間であるカレルの方にあるのだった。
「えと……、拾った」
「拾っ……」
ジーグフェルドのあまりにも短い説明に、カレルの顔が再度引きつった。
「拾ったって……、あの……なぁ、犬や猫じゃないんだぞ。もう少し言いようがあるだろう」
「じゃあ、出会った」
「……」
彼女は人間に格上げになったが、状況説明には全くなってはいない。
そして思い出す。
(こいつは、こういう奴だった)
重要なことは本当に事細かく説明するくせに、手を抜き出すと、これでもかと言わんばかりに豪快に端折る。
確かに短く要約しろと言ったのは自分であるが、これでは説明させる意味がない。
なので、取り敢えずもっと喋るようにと誘導する。
「どこでだ?」
「ファンデール侯爵家からここに来る途中、スオード山の山頂辺りでかな」
「何でどう見ても異国の人間が、そんな所にいたんだよ?」
「それはオレが知りたい」
「はぁぁ⁉」
説明させればさせる程、ますます分からなくなっていくカレルだった。
「もっと分かりやすく説明しろ。でなきゃここから追い出すぞ」
甚だ乱暴な言いようであるが、気持ちが分からないでもない。
しかし、ジーグフェルドにもそして当のイシスにも、詳しいことは分からないので、説明に窮するのだった。
「う~ん。簡単に説明すると、よく分からないとしか言いようがないのだ」
「何だよそれは?」
「先程説明したように、スオード山の山頂付近の木の上で寝ていたら、上から降ってきたんだ」
「同じ木の上に人がいたのにも、気付かず寝てたのか?」
「いや、オレの上には月しかなかったぞ」
「じゃあ、どこから落ちるんだ? 月から降ってきたとでも言うのか?」
「思いたくはないが、そうとしか考えようがない」
茶化すように言ったカレルの言葉に、ジーグフェルドはあくまでも真剣な表情であった。
どこまで信じていいのか不安になり、額に手を当てながら、カレルは話の続きを促した。
「……で?」
「彼女が気がついたので、何者なのか尋ねたら」
「尋ねたら?」
相づちが段々と投げ遣りになってきたカレルだった。
「話す言語が違う上、どうやら記憶喪失らしいのだ」
「…………」
そして遂にカレルは言葉を失ってしまった。
暫しの沈黙ののち、俯いていた彼が低い声でうなるように声を発した。
「おい!」
「何だ?」
「オレは真剣に聞いているんだぞ!」
ジーグフェルドの話があまりにも非現実的すぎたので、からかわれているのかと思ったのだろう。
彼の怒りはマックスに達してしまったようで、とうとう怒鳴りだしてしまった。
「だから、ちゃんと説明しているだろう! 冗談や創り話ではないんだぞ‼」
しかし、ジーグフェルドも偽りを言っているわけではないので必死である。
カレルの声に負けないくらいの大きな声で言い返すのだった。
そんな時、二人してある視線に気が付いた。
同時にゆっくりとその方向へと顔を向けると、イシスが「何怒鳴りあっているんだろう?」といった表情で、じっとこちらを見つめている。
「…………」
バツが悪そうに、また二人同時に黙り込み、そしてお互いの服を掴んでいた手を離す。
「真実なのか?」
「誓って」
カレルの問い掛けにジーグフェルドは片手を上げ、嘘は付いていないと宣誓のポーズをとった。
「夢ではなく?」
「それは何度も思ったことだ。だが、現実はひとつしかない!それに私は彼女に命を助けられたんだ。ならば私も出来るだけ助けになってやりたいと思っている」
そんなジーグフェルドのあくまでも真剣な表情に、カレルは深く溜息を付き彼の肩の手をかけた。
「分かった。そこまで言うのなら、一応信じよう」
「カレル!」
嬉しそうに破顔するジーグフェルドに、カレルは釘をさす。
「ただし、私が彼女を信用するのは、また別問題だぞ。あれが敵ではないと確証された訳ではないんだからな」
「疑り深い奴だな。まあいいさ。そのうち嫌でも信頼出来るようになるから」
「ジークは信用しすぎ!」
その後、二人して楽しそうに笑うのだった。
その間イシスは部屋の中の色々なところに視線を巡らせていた。
品良く置かれている家具や、金銀細工に色とりどりの宝石をあしらった彫刻品、壁を飾っているタペストリー、そのどれもが実に見事で美しい。
イシスは言葉は分からなくとも視覚的に、色々と情報収集をしているのだった。
⦅これだけ見事な装飾品を持っているのなら、相当な有力貴族か、若しくは大商人ってところでしょうね……。でも、ジーグフェルドもカレルも品があるから、前者の方が正解かもね。それにしてもジーグフェルドは自分の家ではなく、どうしてカレルの家に来たのかしら? それも正門は通らずにこっそり忍び込むし……。謎だわ……⦆
キョロキョロと部屋を見渡しているイシスを見て、カレルが小さく苦笑しながら言った。
「しかし……、いつまで経っても結婚しないと思っていたら、ジークが小動物好きとは知らなかったぞ」
「失礼なことを言うな。彼女は十七歳だそうだぞ」
「あれでか!?」
「カレル、オレと同じ反応……」
「あれ? しかしさっき、彼女は記憶を失っていると言わなかったか? なのにどうして年齢が分かるんだ?」
「ああ、全くないわけではなさそうなんだ。年齢や今まで話していた言語は覚えているが、自分の名前や家族、住んでいた場所とその名称、つまり彼女自身に深く関わる名前に関係する部分の記憶を、全部なくしているようなのだ」
「……変わった記憶の失い方だな……」
「そうだな」
これにはジーグフェルドも率直に同意した。
不自然だと思っていたからだ。
「意図的なものを感じるが、まあ言っても仕方ないか。敵の仕掛けた罠でないことを願ってるぜ。おっといけない、食事と着替えだったな。直ぐに用意させよう」
「ああ、頼む」
「ただし済まないが、この部屋で食べてくれ」
「?…。構わんが、何かあるのか?」
「君が宮殿から脱出したと告げに来た使者が二名ほど居座っていてな。連中にばれると厄介なので、出来れば鉢合わせしないように願いたい」
「ここにまでも監視の者を手配しているのか?」
ジーグフェルドの顔色が瞬時に変わる。
だが、一方のカレルはさして気にした様子はなかった。
「そういうことだ。騒ぎになっていないところを見ると、正門を通って来なかったな? 正解だよ」
「すまん……」
項垂れるジーグフェルドに、カレルは笑っていた。
「気にするな。もしばれたとしても、小麦畑の肥やしになるだけさ。父も同じ考えだ。食事のあと部屋に呼ぶよ。それより彼女はどう扱えばいいんだ?」
「私と同じように扱ってくれ。関係は対等であって、使用人ではないのだから」
「分かった、そうしよう。しかし、贅沢な待遇じゃないか? ジークと同じなんて」
「頼むから決して怒らせないでくれよ。怪我をしたって、オレは責任もてんからな」
樹海での一件があるので、ジーグフェルドはくれぐれもと念を押すのだった。
イシスについてはまだまだ謎だ。
飛行能力の他にまだどんな力を秘めているのか分からない。
そんな者相手に喧嘩など、とんでも無いことである。
「そんなに凶暴には見えないが?」
「侮るとその身をもって知ることになるぞ」
「ふっ、まさか」
カレルは鼻で笑いながら扉へと向かった。
『あいつ……、信じていないな……』
ジーグフェルドはカレルとイシスが衝突しないことを祈るのだった。
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