7話 陰謀のドーチェスター城【2】
中央付近の低木の植え込みに姿を隠し、周囲に人気がないのを確かめると、ジーグフェルドはイシスに小声で囁くように告げた。
「ここで少し待っていてくれ。いいな?」
「うん、分かった」
イシスも小さな声で返事をする。
先日の一件以来、ジーグフェルドはイシスに「待て」や「来い」「伏せろ」「逃げろ」等の生命に係わる指示の言葉を中心に教えていた。
それはジェスチャーと言葉によって教えていくもので、本当に動物の調教そのものであったが、彼女は賢く土が水を吸い込むように吸収していく。
イシスの返事に満足そうに微笑むと、ジーグフェルドは二階のとある部屋に明かりが灯っているのを確認し、側に植えてある大木をこれまた器用に登っていった。
そして部屋から延びているバルコニーに飛び移ると、祈りながらそっと部屋の内部を覗いた。
(頼むからいてくれよ。こんな所で君の帰りを待っているのはご免だからな……)
そんな彼の祈りが通じたのか、広い部屋の中には主である金髪の青年が、バルコニーに背を向け、ソファーにその長い手足を放り投げ、酒のグラスを傾けていた。
彼以外部屋に人はいないようである。
部屋の内部を隅から隅まで見渡して、そう確認したジーグフェルドは窓ガラスをそっと数回ノックした。
その微かな音に反応して、部屋の主はゆっくりと顔を窓へと向け、外にいる侵入者を見るや否やソファーから勢いよく立ち上がり窓へと駆け寄る。
そして、ジーグフェルドをそっと中へと引き入れた。
彼の名はカレル=セイ=テ=シュレーダー。
この地方を収める領主のラルヴァ=セイ=テ=シュレーダー伯爵の嫡男で、ジーグフェルドとは同年齢にして幼なじみである。
ジーグフェルドの父であるアーレス=トウ=ラ=ファンデール侯爵と、カレルの父ラルヴァ=セイ=テ=シュレーダー伯爵が親しく、険しいとはいえ収めている領地が山を一つ挟んで隣同士であったため、幼い頃より共に競い合い支え合いながら成長してきた無二の親友であった。
ジーグフェルドとは反対に日に焼けた肌、切れ長で鋭い緑色の瞳が印象的な若者である。
身長もジーグフェルドとほぼ同じであるが、幾分彼よりはスレンダーであった。
が、やはり領主の息子として武芸を嗜んでいるので、その肉体は筋肉質で逞しい。
「ジーク! 生きていたんだな‼」
そう嬉しそうにカレルは叫ぶと、ジーグフェルドをしっかりと強く抱きしめた。
その瞳には涙がうっすらと浮かんでいる。
「ああ、見ての通りちゃんと生きているぞ」
そう言ってジーグフェルドもカレルを強く抱きしめ返し、以前と変わらず自分を心配してくれる友の温もりに安堵していた。
ジーグフェルドの無事を、身をもって確認できたカレルは腕の力を緩め、友の身体を改めて見つめた。
その身を包んでいる服は材質こそ上等のものではあったが、あちこちに汚れや裂け目があり、更には明らかに返り血の痕と見られるシミが無数についている。
その傷のひとつひとつが、彼の必死に生きようとする証に思えて、カレルは再び目頭が熱くなるのを覚えたのだった。
「……ひどいな。ボロボロじゃないか」
眉間に皺を寄せカレルが呟く。
「まあ……、道中苦労したので、外見のくたびれは致し方なかろう。命があるだけでも幸運だと思っているよ」
微笑しながら語る親友を、カレルは再度抱きしめる。
「本当に良かった……。アスターが鞍も手綱もなしで現れた時には、一体どうなったのだろうと、心配で堪らなかったぞ」
「アスターが⁉ ここへ来たのか?」
「ああ、昨日の明け方、正門の前にな。一晩中走ったのかと思えるくらい、疲れ切った様子だったぞ」
山中で刺客に襲われはぐれた際、その付近にある街道が過去に何度も通っている慣れた場所だったため、賢い馬はジーグフェルドがどこに向かっていたのか分かったのだろう。
自力でこの屋敷まで辿り着き、主達が来るのを待っていたのだ。
「今は馬屋で休ませている。あとで会いに行ってくれ」
「ああ、そうする。世話をしてくれてありがとう」
ジーグフェルドはアスターが無事であったことに心より安堵した。
「なんの、気にするな。それより食事と着替えを用意させよう。まだだろう? 詳しい話はそれからだ」
カレルが使用人を呼ぼうとして、扉の方に身体を向けたのをジーグフェルドが引き留めた。
「ちょっと待ってくれ。私だけではないんだ。もうひとりいる」
「ああ⁉ 城から脱出したのが、ジークの他にまだいたのか? 聞いてないぞ」
「いや……、その……。と、とにかく直ぐ呼ぶから少し待ってくれ」
ジーグフェルドの歯切れは非道く悪かった。
不審に思ったカレルであったが、疲れているだろうし、説明を受ける間冷える外で待たせておくのも気の毒なので、彼の言葉に従った。
ジーグフェルドは静かにバルコニーに出ると、手摺りからそっと顔を出し、イシスが隠れている茂みに向かって小さな声で呼びかけた。
「イシス」
すると直ぐに彼女が顔を出した。
彼女が言いつけ通りそこにいてくれたことに安堵し、ジーグフェルドは指先だけで上へ上がってくるようにと指示を出した。
それが分かったのか、周囲を警戒しながらイシスが壁づたいにバルコニーへと上がってくる。
ジーグフェルドは手摺りまで飛んで登って来たイシスを、中にいるカレルから見えないように、素早く自分のマントに包み込み、部屋の中へと入れた。
その間部屋の中で、カレルは色々と考えを巡らせていたのだった。
何故ならジーグフェルドが今までいた、この国の首都であり王宮があるドーチェスター城で、クーデターが起こったのは十日前の出来事、そしてそのことをこの屋敷に伝えに来た伝令は、城から脱出したのはジーグフェルドのみと告げたからだ。
その他には誰の名前も上がりはしなかった。
(秘密の護衛でもいたのだろうか?)
そんなことを考えていたカレルは、再び部屋の中に入ってきたジーグフェルドの後ろから、一体どんな屈強な戦士が現れるのだろうと思った。
思っていたので、その姿を見た途端、目玉が顔から落ちるのではないかというくらい驚いた。
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