6話 陰謀のドーチェスター城【1】
災難続きだった日より更に二日が過ぎた。
それまで歩いていた山間部から一転して、なだらかな地形の平野部へと風景が変化する。
夜の帳が降り周囲がすっかり暗闇に包まれた頃、二人はある大きな城へと辿り着く。
城の周辺には他に民家らしきものは全くない。
ずっと続いているのではないかと思われるくらい遠くまで、綺麗に整備されている小麦畑が広がっている。
そして、周囲を高さ五メートル程の石の壁に囲まれ、正面と思われる大きな門の前には篝火が焚かれており、門番の姿が三名ほど見えた。
⦅凄い。写真で見た中世ヨーロッパ貴族の城って感じね。この近辺を治めている領主かな?⦆
ジーグフェルドは正門の方ではなく正反対の裏へとまわった。
⦅一体どうするのかしら?⦆
イシスは彼の背後で首を傾げた。
そんな彼女の疑問の眼差しにジーグフェルドは全く気付かない。
彼は裏門の数十メートル手前、門番からは見えない位置で足を止め振り返った。
「ここから壁を登って中にはいるから、そなたは上から飛んで付いてきてくれ」
ジェスチャー混じりの小声でそう告げる。
そして、イシスの返事も待たずにジーグフェルドは壁から突き出ている僅かな突起を使って、スルスルと器用に登っていった。
こんな光景を見るたびに、いつもイシスは思う。
⦅熊みたい⦆
そして更に付け加える。
⦅でっかい図体のくせに、小手先は器用だし、一体どんな育ち方をしたのかしら?⦆
ジーグフェルドがこれを聞いたなら、きっと「その言葉そっくりそのまま、そなたに返すよ」と言うであろう程、イシスも十分不思議な人間であった。
だが、本人全く自覚はないようである。
壁の上まで登り、屋敷の方へと降りようとしたジーグフェルドが、イシスの気配が動いていないのに気付き、下を見下ろし手招きをした。
⦅ああ。さっきのは自分で、上がってこいと言っていたのね……⦆
少しでも文章が長くなると、まだ何と言っているのかさっぱり理解できないイシスではあった。
しかし、ジーグフェルドは構わず普通にしゃべるのであった。
何故なら言葉とは流動的である。
小さな子供を例に挙げるなら、彼等は親や周囲の者が会話しているのを聞いて自然と覚えてしまうものなのだ。
フワフワと宙を舞い壁を乗り越えたイシスは、先に地面に降りていたジーグフェルドの横に静かに着地した。
もうかなり慣れはした。
だが、先程のイシスとはまた逆に、これも何度見せられても不思議としか言いようのない光景である。
人間が何の道具も使わず、ましてや鳥のように翼も持ちはしないのに空を飛ぶのだ。
それは通常の概念と人智を遥かに超えていて、大層不可思議なことである。
(本当に不思議な娘だ。オレはとんでも無いもの…、いや…、悪い意味ではなく、本当に幸運なものを拾ったのかもしれんな……)
そう思わずにはいられないのであった。
しかし、彼女の能力に感心している場合ではない。
急がなければ、誰かに見つかりでもしたら、コッソリ忍び込んだ意味が無くなってしまう。
ジーグフェルドは自分の後ろから付いてくるようにと、言葉ではなく手で合図し、屋敷の方へと向かって足早に歩き出した。
壁の中は綺麗に手入れされており、下草は短く刈り込まれ、高木類は見事なまでに美しく配列され、そのどれもが形良く剪定されている。
そんな庭園の木々の合間に身を隠し、草や敷石を踏む足音も静かにジーグフェルドは移動していく。
実に見事であった。
イシスは殆ど足音をたてず彼の後ろからついてくる。
本当についてきているのかと不安になるくらい静かなイシスに、ジーグフェルドはただただ感心するのであった。
その間、またイシスの頭の中は疑問が色々と浮かんでいた。
この城までの道中もそうであるが、この内部も迷うことなく進んでいく。
結構複雑に造られている庭園内の遊歩道を、どう進めばいいのかも、どこに何があるのかも、熟知しているようなのだから、不思議に思うのは仕方のないことである。
⦅ここって、もしかしてジーグフェルドの家? でもそれなら正面から堂々と入るだろうし……。う~ん、教えてもらっても理解出来ないし。それ以前に質問の仕方が分からない……。やれやれ、本当に困りものだわ……⦆
言葉が通じないと言うのは本当に辛いことである。
欲しい情報が得られないのだから。
しかし、だからといって嘆いてもいられない。
修得していくことで克服すれば、きっと光は見えてくるはずだ。
そう前向きに考えるイシスだった。
程なくして二人は二階建ての大きな建物の側へと辿り着いた。
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