5話 天空より降りし者【5】
「はぁ。はぁ」
聞こえてくるのは、己の心臓の音と荒い息づかい、そして蹴散らす落ち葉の音のみである。
薄暗い森林の中でジーグフェルドは次第に方向感覚を狂わせていった。
そしていきなり眩しい日差しが二人を襲う。
出た先は、目も眩むような断崖絶壁だった。
先に進む道はもう無い。
(しまった!)
ジーグフェルドは心の中で
背後から枯葉を踏むパキパキという音が聞こえてくる。
引き返すことは出来ない。
敵を分散させるため走ったというのに、逆に自分達を絶体絶命の窮地に追い込んでしまった。
「くっ……」
ジーグフェルドが唇を噛みしめたその時、イシスが叫んだ。
「飛ぶ! ジーグフェルド‼」
「なに⁉」
かけられた言葉の意味に驚く。
自分の直ぐ横。
声のする方を向いたジーグフェルドの視界に、信じられない光景が飛び込んできた。
断崖絶壁のその先で、イシスが空に向かって地を蹴ったのだ。
もうこれ以上は逃げ切れないと思い自暴自棄になったのか、彼女のとった行動は自殺行為としか言いようがない。
「待て! イシス‼」
そんな彼女を捕まえようと、ジーグフェルドは必死に手を伸ばしたが届かない。
彼女の身体は何もない宙へと吸い込まれていった。
ジーグフェルドは思わず瞳を閉じる。
その先を見ることが出来なかったのだ。
何故なら後は落ちるしかない。
ジーグフェルドは地面にガックリと膝をついた。
イシスを掴み損ねた左手を強く握りしめうつむく。
そして、自分が守りきれなかった少女の名を口にした。
「……イシス……」
「なに?」
自分の呟きに対して間髪入れずに前方から声がする。
幻聴かと思いながら恐る恐る顔を上げる。
その目と鼻の先に落ちたはずのイシスの顔があった。
彼女は首を傾け、不思議そうにジーグフェルドの顔を覗き込んでいる。
彼は驚いてその視線をイシスから自分の足下へと降ろした。
確かに己の爪先より向うに地面はなく断崖絶壁の本当に先端にいる。
その視線を再度イシスに戻して、ジーグフェルドは奇声を上げ尻餅をついて数歩分後退した。
「○▲□◆◎▼っ‼」
それも仕方のないことだろう。
なんとイシスは空中にフワフワと浮いているのだから。
度重なる驚きの連続で、ジーグフェルドはショックのために頭がおかしくなったのではないかと思った。
何か言いたいのだが声が出ない。
動いているつもりなのに身体は全く反応していないのだった。
そんなジーグフェルドに対して、イシスは怪訝そうな表情をする。
そして、急げとばかりに彼の手を引いた。
「早く!」
(ちょ……! ちょっと待ってくれ)
ジーグフェルドは叫んだ。
だが、それはやはり音声にはなっていない。
まだショックから立ち直っておらず、声が出せていないのだった。
それでもこのまま手を引かれたら自分は確実に谷底へと落ちてしまう。
口をパクパクさせながらどうにか首を横に振り、ジーグフェルドは必死で抵抗した。
「えっ⁉ もしか……飛べ、ない?」
イシスが驚いた表情でジーグフェルドを見つめる。
(当たり前だ‼)
まだ声が出ないので首を大きく縦に振って返事をした。
『しょうがないなぁ……』
イシスは自国の言葉で呟いた。
そのままフワフワと飛びながら彼の後ろにまわる。
そして、脇の下から両手を差し込んで胸の前で手を組み、彼の身体を絶壁の空へと持ち上げる。
「キャッ!」
その途端イシスが声を発した。
己を支えてくれる大地を失ったジーグフェルドの身体は、イシスが思っていた以上に重かったのである。
そのため、一瞬エアポケットに填ったようにストンと数十メートル下へと急降下したのだった。
「うわぁぁぁぁぁっ……‼」
気の毒にも驚きと衝撃で身体が固まり、イシスのなすがまま状態だったジーグフェルドがやっと声を発した。
しかも、なんとも情けない声を。
『重い。ジーク……』
軌道修正をしたイシスがジーグフェルドの背後で不満を漏らす。
空中をゆっくりとした速度で降下し、遠くに見える街道の方へと移動する。
暫くしてようやく身体の感覚が戻ったジーグフェルドは、イシスの胸の柔らかい膨らみが背中に当たっているのに気付いた。
至極心地よかったが口に出すのは控えた。
何故なら、下には緑の樹木茂る大地が足が竦むほど遠くにある。
分からないだろうと思ってはいても、迂闊なことを言ってイシスの怒りをかってしまい落とされたなら確実に死んでしまう。
(まあ……。あれだけ怖い思いをした後の、褒美とでも思っておくかな……)
などとジーグフェルドは一人勝手なことを考えた。
そのイシスは重たい彼を落とさないよう必死に抱えているというのにである。
(しかし、これなら服を汚さず、崖になっている果実を採ってこれるわけだ……)
ジーグフェルドは妙に納得していた。
二人を追ってきた刺客達が絶壁に到着した。
だが、彼等はもう既に矢を放っても届かない距離まで離れてしまっている。
絶対的に有利な条件で追いつめたと思っていた刺客達は、この光景に自分達の目が信じられず断崖絶壁の先端で唖然として立ちつくす。
それも当然のことだろう。
追いつめた人間にあろう事か空を飛んで逃げられてしまったのだから。
立ちつくす刺客達の頭上を嘲笑うかのように鳶がクルクルと旋回していた。
その後には噎せ返るような緑の芳香が辺りに立ちこめたのだった。
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