4話 天空より降りし者【4】

(こんなにいたのか⁉)


 ジーグフェルドの顔色が青く変わった。

 五つまでなら気配を数えていたのだが、敵は自分が察知できる範囲よりもまだ遠くに潜んでいたのだ。

 後からその倍もの人数が現れようとは思ってもいなかった。


(それ程このオレに消えて欲しいということか……)


 無意識のうちに、彼は皮肉な笑みを浮かべていた。

 剣の腕にはそこそこ自信がある。


(一対五までなら、無傷とはいかなくてもどうにか勝てると思たが……)


 考えていた以上に状況は苦しいものとなっていた。

 しかも自分だけならまだしも、武器を何一つ持ってはいないイシスがいる。

 ジーグフェルドの心はひどく動揺していた。


(何とか二人とも生き延びられる方法はないか?)


 必死で考えるのだった。

 そんな彼に右横から二人目が襲いかかり、身を翻して交わせばその移動した先に三人目が剣を振り下ろしてくる。

 数にものを言わせた見事な連携プレイであった。

 当然のことながら、ジーグフェルドは防戦一方となり、いつしかイシスとアスターから引き離されていく。


 必死に戦っている彼を、イシスは立ちすくんで見つめている。

 先程主から受けた命令を実行しようと、アスターが彼女のコートの袖を一生懸命引っ張っているが、彼女は全く動かない。

 そんなイシスの方へ刺客の二人が静かに向かった。


「よせっ! その娘は関係ない‼」


 対峙する刺客の剣に応戦しながらも、移動する敵を瞳の端で捉えたジーグフェルドが叫んだ。


「さっき出会ったばかりの少女だ。何も知らないのだぞ! やめろっ‼」


 しかし、全てを抹殺しようとする刺客達に彼の言葉は通じない。

 敵意の籠もったその足が止まることはなかった。

 助けに行きたくとも、目の前にいる三名の敵の相手だけで精一杯だった。


「イシス! 逃げるんだ‼」


 ジーグフェルドの声は悲痛な叫びとなっていた。


(やはり連れてくるのではなかったか⁉)


 後悔の念ばかりが心の中でこだまする。

 剣を構え自分に向かってくる二人の刺客を、イシスはじっと凝視したままであった。

 年若い娘のことだから恐怖のあまり動けなくなり、棒立ち状態なのだろうと誰もが思った。

 そんな彼女に刺客の二人が同時に剣を振り下ろした。


「イシス‼」


 絶望の叫びが先程まで歩いていた森林に響く。


 その場にいた全員が少女の悲惨な命の結末を想像していた。

 しかし、血飛沫をあげて倒れ込んだのは何と二人の刺客の方である。

 イシスから向かって右側にいた男は首と胴体が二つに分れた。

 左側の男は彼が持っていた剣で深々と刺し貫かれている。


 この状況から判断する。

 イシスはまず最初に左側にいた男が振り下ろした剣を奪い、右側の男の首を撥ね飛ばし、次に剣を奪い取った左側の男の身体にその剣を突き刺したということになる。

 なるのだが、ジーグフェルドには目の前で起きたこの出来事が信じられなかった。


 だが、当の本人であるイシスの方は至って冷静である。


『よいしょ……と……』


 既に事切れた男の身体を足で蹴るように押しながら剣を抜き取りその場に転がした。

 返り血を浴びたその姿からは、恐ろしいくらいの鬼気が感じられる。

 そして、ジーグフェルドの周囲を取り囲んでいる刺客達をゆっくり見渡すと、自国の言葉で呟いたのだった。


『まったく……。また汚れてしまったじゃない』


 ジーグフェルド達には何と言っているのかさっぱり分からなかったが、文句もしくは愚痴であろうということは何となく判断できる。

 何故なら眉間に皺を寄せ、返り血で汚れてしまったコートを手で摘んで気持ち悪そうに見ていたからである。


 そして尚も彼女の独り言は続く。


『あれ? またって……。どうしてそう思ったのかしら? ……まあいいわ。思い出せないし。それにしても何⁉ 二対十なんて、かなりひどいんじゃない? おまけに私にまで問答無用で斬りかかってくるし、ほんと最悪! ……まあ、話しかけられても、言葉分からないけど……』


 全員の考えを裏切る光景に、周囲がざわめいた。


 戦闘中であるにもかかわらず、ジーグフェルドは声なく呆然として立ちつくしてしまっていた。

 この状態に敵が攻撃を仕掛けてこなかったのは幸運だったとしかいいようがない。


 そんな中。

 一番早く膠着状態を破ったのはジーグフェルドからかなり離れていた刺客の一人であった。


 武器を何も持っていなかった鴨がいきなり強敵へと変貌を遂げたのだ。

 連中の闘争本能に火を付けてしまったようである。

 剣を振りかざしてイシスに向かって走っていった。


 が、イシスは恐ろしく強かった。


 向かってきた敵の剣を、あっさりと身を翻してかわし、振り返りざまに一撃を見舞い、自分の横を通り過ぎる敵の胴を切り裂いたのだった。

 あっという間に彼女の足元には、つい先程まで人間だったものが三つころがった。


 何という敏捷性と戦闘能力であろうか。


 これに一番驚いているのは、きっとジーグフェルドであろう。

 名は体を表すというが、まさに目の前の少女がその身をもって証明してくれようとは夢にも思ってもいなかった。


「出来過ぎじゃないか?」


 ジーグフェルドはポソリと驚きの呟きを漏らしていた。

 そんな彼とは対照的にイシスは剣を持ち上げ愚痴を呟いている。


『うーん。ちょっと重たくて、使い難いけど……、まあいいか。贅沢は言っていられないし』


 そして、ジーグフェルド達の方に向き直ると剣で刺客達を指さしながら言葉を投げつけた。


『むかってくるなら遠慮なんかしないわよ。無論、その男にもね。彼は今の私にとって、とても重要な人間なのだから。殺させる訳にはいかない』


 言われた刺客達の誰一人としてイシスの言葉を理解できる者などいないのだが、そんなことはお構いなしの挑戦状であった。


 このイシスの生意気な態度に激怒したのか刺客達は一斉に二人に襲いかかってきた。

 しかしこんな場所で死ぬつもりなど全くない二人であるから、無論同時に応戦体勢にはいる。

 イシスの側にいたアスターも前足を振り上げ嘶きながら、向かってくる刺客を威嚇する。


 そしてイシスという枷が外れたせいか、ジーグフェルドの動きは先程とは比べものにならない程よくなった。

 自分に向かってきた三人のうち二人をあっという間に斬り伏せたのだった。

 圧倒的に優位だった刺客達の状況は一変してしまった。


 舌打ちをした一人が、口笛を吹く。

 退く気配を見せないことから、恐らく仲間を呼んだのだろう。


「まだいるのか⁉」


 ジーグフェルドは驚いた。


 いくら体力にも剣の腕にも自信があるとはいえ、こうも次から次へと敵が増えるのでは堪らない。

 体力にもいつしか限界が訪れる。

 そうなってから次の手を考えていては遅い。

 彼はこの場を移動し、刺客達が固まらないようにしようと考えた。


「アスター! 自分の意志で動け‼」


 そう叫んでジーグフェルドは愛馬の手綱を短く切り尻を叩いた。

 逃げる途中、枝に引っかかり動けなくならないようにとの配慮である。


(無事に逃げ切ってくれ)


 走り出したアスターの背を見ながら心の中で祈る。


「走るぞ! イシス! こいっ‼」


 そして叫びながら、彼はイシスへ向かって手を伸ばした。

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