第5話

 少ない荷物を持って、黒が見えないようにフードを目深に被って歩く。まだ髪の毛は黒ではないから、一目で見てわかる状態ではない。その間に移動できるだけ、移動したかった。


「あなた、大丈夫?」


 必死の思いで歩き続けてどれだけ経っただろうか。道中では気分が悪すぎて嘔吐するなど、散々だった。お腹が空いてもすぐに吐いてしまうし、そもそも食べるものなんてその辺に生えている草。まともに食事などできていない。


「……ぁ」


大丈夫、そう言いたいのに、嘔吐による影響か、喉が痛すぎて声が出ない。話しかけてきたのは、優しそうなおじいさんとおばあさん。でも身なりがとてもよかったから、きっと裕福な家の人。


「おいで、お嬢さん」


修道院を出て一日くらいは経ったか、私は奇跡的に優しい老夫婦に拾ってもらえた。お世辞にも綺麗とはいいがたい恰好の私を、馬車に乗せてここが自分たちの家だと連れて帰ってくれて。


「体調が悪いのね、お風呂は、まだ難しいかもしれないから、これで身体を拭きましょう。あとは、そうねぇ……食べられそうなものから、食べて行きましょうね」


 優しい彼らは、私の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれた。何度も嘔吐を繰り返し、食事がとれなくても、側にいて、時に医者を呼ぼうともしてくれた。


 だけど、医者を呼ばれたら、もしかしたら……。そう不安になって医者だけは呼ぶなと止めた。おじいさんもおばあさんも、私が黒の目を持っていることはわかっていたので、無理強いをすることはなかった。そうしてなんとか体調がよくなってきた頃。ようやくお風呂に入れると、脱衣所にいた時だった。ふと、鏡に目を向けるとそこには完全に黒髪になった私がいて。


 どこから見ても、髪も瞳も黒。前世では黒髪が当たり前だったけど、この世界では一度も、他者で見たことのない色がそこにはあった。


「……もう、本当に……」


 悲しいけれど、どこにも生まれ育った家の血を感じさせることのない色だ。私が、身を隠して生きていかなければならない、大きな原因。


 幾分か気分もよくなった、もうここからいなくならないといけない。居心地のいい、この場所から離れるのは辛いけれど、と自分に言い聞かせて、お風呂を手早く済ませた。


「もうずいぶんと良くなったわね、ユーフェミア」


「はい、それで、その、あの……」


「ユーフェミア、ずっとここにいていいのよ。私もおじいさんも、あなたがここにいてくれたら嬉しいわ」


「そうだぞ、ユーフェミア」


 この二人には私の言いたいことなんてわかっていたのだろう。そっと止められて、まだここに滞在することが決まった。いつかはここから離れないといけないとはわかっているけれど、時間が許されるのならば、と私も頷いた。


 優しいおじいさんもおばあさんと共に暮らし始めて数か月。長かった冬が終わり、季節は春を迎えた。人目があるかもしれないと、おじいさんが町に行った時に髪の毛を入れられるくらい大きなキャスケット帽をプレゼントしてくれて、私はそれのおかげで庭くらいになら出られるようになった。


「ユーフェミア、今日はこれも使っておくれ」


「はい、おじいさん!」


 修道院の頃とは比べ物にもならないほど贅沢な暮らしと、恵まれた環境で私は幸せだ。残念ながらおばあさんは最近、体調が悪くて寝込むことが多くなったけれど、私たちは幸せな時間を一緒に過ごしていた。


 おばあさんのために身体に優しいものを作り、おじいさんには体力が付くようにしっかりとした食事を。私は黒い髪と目だから町へ行くことはできないけれど、家の仲だけの世界でも十分に幸せだった。


 瘦せ細っていた身体は、おじいさんとおばあさんのおかげで、年相応になり、女性のそれへと変化した。


「今日も美味しいわ、ユーフェミア」


「ああ、とても美味しいよ」


「よかった!」


日々、小さな幸せを嚙みしめて、いつか出ていかなくてはいけないと分かっていながら、ずるずると二人と暮らしていた。きっと、それがいけなかったのだろう。


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