第17話


 「何の…真似じゃ?白圭殿。返答によってはただじゃおかんぞ。」

 二人の武器の間に身を滑り込ませ双方の渾身の一撃を白圭は完全に受け止めていた。

 そして戟を軽く振ると二人はふわりと宙を飛び先ほど対峙していた位置に降り立っていた。

 茶房は射殺さんばかりの瞳でこちらを睨みつけてくる。

「落ち着けよ茶房。俺はお前が負けるとはこれっぽっちも思っていない。」

「ならば…」

「だが」

 白圭は怒りたつ茶房の言葉を遮る。

「お前もただでは済まなかった。」


 先程の勝負。茶房が僅かな差で汗全の頭を叩き潰していただろうが茶房も確実に腕を一本持っていかれていた。

「ただでさえ少ない貴重な戦力をここで潰させるわけにはいかない。わかるだろ?」

 白圭の言葉で頭が冷えたのだろう。茶房の表情からは鬼が消え天を突かんばかりに立っていた髪も元に戻った。

「そうですのう。白圭殿、感謝致しますのじゃ。もう少しで儂は志を見失うところじゃった。」

 吐き出される言葉も普段通りの穏やかな雰囲気を帯びていた。


「なぁにお前のためだけじゃ無い。こいつの為でもある。」

 白圭は汗全を顎で示した。

 汗全の表情が僅かに動いた。

「理由はどうあれお前の目的は俺だろ?だったら一直線に俺のところに来いよ。別に拒みはしねぇよ。」


 汗全の顔に嘲りが浮かんだ。

 白圭の言葉を詭弁と捉えたのだろう。

 そして一歩踏み出し槍を構えた。

 一騎討ちを仕掛けている。

 先程の言葉通りやれるものならやってみろと。

 汗全の周囲の部下たちもニヤニヤと笑っている。

 白圭が逃げるのは目に見えており背を向けた瞬間笑ってやろうと考えているのだろう。


 しかし、彼らはあまりにも白圭を甘く見ていた。

 商人として、一武人として白圭の吐く言葉に一切の偽りは無いのだ。


 白圭は何の躊躇いもなく一歩踏み出し戟を構えた。

 周囲がざわついた。

 汗全との一騎討ちに応じるというのは明白だった。

 汗全表情にも一瞬驚きが滲んだがすぐに引っ込んだ。

 しかし、白圭は汗全の表情に形容できぬ悲しさが隠れていたことを見てとった。


 汗全は槍を先ほどとは打って変わって低く、ただ低く構えた。

 槍からは見ているだけで鳥肌が立つほどの殺気と闘気が発されている。

 凄まじい技量だ。

 幼い頃から己に課してきた調練の成果というのもあるがやはり、本来の才能が並大抵では無いのだろう。

 故にもったいない。


 汗全はジリジリと距離を詰めた。

 しかし、突然何かにぶつかったかのようにピタリと動きを止めてしまった。

 しばらく沈黙が続いた。

 二人は全く動かなかった。



 汗全の額からは汗が滝のように吹き出していた。

 呼吸は荒くなり手足も震えだした。

 何度か踏み出そうとするも白圭の気に阻まれ一歩も動けない。

 白圭の周囲を覆う闘気は尋常ではない。

 天が押しつぶそうとしているような余りにも重い重圧だった。

 白圭の姿が水面の如く揺らめく。

 風が吹き抜ける。汗全は目を見開いた。突如白圭が消えた。腹から胸にかけて何やら熱いものが走った。

 汗全の視界が僅かに白圭を捉えた。

 槍を振るおうとする。

 しかし、根元から上が無かった。

 斬られている。

 槍も己も。

 痛みが全身をじわじわと、しかし一瞬で貫く。

 意識が遠のく。

 視界が暗闇に呑まれた。





  

  糞っ、糞っ。

 白嬰は胃からこみ上げてくる酸っぱいものを何とか抑えつつ、心の中で最早常套句と化した罵倒を繰り返した。

 敵が押し寄せて来る。

 それも山賊や盗賊などの素人集団ではない。

 本物の正規兵であり、しかも音に聞こえた最強の秦軍だ。

  死を全く恐れず突き進んでくる。



  両脇の二人が槍で敵の動きを鈍らせる。

  白嬰は剣を抜き敵の首を跳ね飛ばした。

  生暖かい血が全身にかかる。

  再び酸っぱいものがこみ上げてくる。


  ギリギリだった。

  戦況は絶えず変化している。

  防御線が破られそうなところに援軍を送り、怪我人を速やかに後方へと下げ補充の兵を組織する。

  絶えず全体に気を配らなければならない。

   少しでも間違えれば味方が死ぬ。

  指先一つで数十人の命が吹き消えるのだ。

 腹の奥がまるで怪物が暴れ回っているかの如くきりきりと痛んだ。

 百五十ほどを引き率れ敵とぶつかった。

 硬い。いや、堅い。

 まるで巌だ。

 敵の数はこちらの二倍ほどで直ぐに勢いが止められ、じわじわと押され始める。

  白嬰は無理に踏ん張ろうとせず、少しずつ部隊を下げていった。

 にわかに敵が勢いづく。

 不意に衝撃が走った。

 迂回させておいた味方が敵の側面を突いた。

 しかし、敵は離散せずさらに小さく、硬く固まった。

  構わずそのまま押し包もうとするが敵は易々と押し返す。

 苛烈に攻め立てた。

 敵が端から徐々に崩れていく。

 そして、後退を始めた。

 好機、と白嬰はすぐに敵を追った。

 もう少しで後列に届く。

 しかし、敵が急に反転した。

 不意を突かれた形だった。

 部隊が呆気なく断ち割られた。

 四方から押し包まれる。

 いつの間にか敵陣に深く誘い込まれていたようだ。

 白嬰は方向を見失った。


  

  味方が次々と倒れていく。

  自分のせいだ。白圭は唇を噛んだ。血が滴り落ちる。

 敵を殲滅されられると思い、罠の可能性を疑わず追撃した。

 老練な隊長にとって自分のような青二才を欺くことは赤子の手を捻るよりも容易かっただろう。

  そもそも無理な話だったのだ。

 自分が城壁の一角の指揮を取るなど。

 親父から指名された。

 それぞれの隊長たちもほとんど反対はしなかった。 

 兵法書や軍学は物心ついた時から学んだ。

 武術や騎射の練習もこれまで一度も欠かしたことはない。

 しかし、それだけなのだ。

 実戦も踏んでいないただの若造なのだ。


  白嬰はそこまで考えて自嘲気味の笑みを浮かべた。

 親父に後悔だけはするなと言われたことを思い出したからだ。

 やりきって死ぬ。生ききって死ぬ。楽しみきって死ぬ。

 親父の口癖だった。

 息子である自分が真っ先に実践しなくてどうする。

 頭が熱くなり動悸が激しくなった。

 剣を構えた。




 槍が突き出される。

 かわして敵を切り捨てた。

 返す太刀筋で二人の首も飛ばした。

 背中に痛みが生じた。

 斬られたらしい。

 視界が歪む。

 死がすぐそこまで迫っている。

 何かが体の中で破れそうだった。

 死の恐怖以外の何かだ。

 自分が必死に、無意識に蓋をしていた悍ましい何かだ。

 止めろ、出てくるな。お前だけはダメだ。正体が分からないものに必死に呼びかける。

 お前が出るくらいなら俺は死を選ぶ。


 肩や腿から血が吹き出す。

 痛みが全身を駆け巡る。

 たが、痛みが快く感じられた。


 敵を盾ごと両断する。

 戟が払われる。

 飛んでかわした。

 着地すると同時に地に転がる戟を拾う。

 持ち手には先ほどの持ち主の手が付いている。

 戟で二人の首を貫く。

 血が顔にかかる。

 匂いに酔ってきているのが分かる。

 酩酊が心地良い。


 剣が自分の具足を飛ばした。

 喜びが湧いてくる。

 血が沸く。

 動悸は激しさを増すばかりだった。

 口に笑みが浮かんでくる。

 駄目だ。もう抑えきれない。

 敵の殺意が雨の如く降り注ぐ。

 それらの大半をいなしながらも確実に傷は増えていく。


  

  しかし、急に敵の圧力が弱まった。

 「大丈夫か?白嬰。」

 歪んだ視界が戻っていく。

 自分を取り囲んでいる敵たちを味方の部隊が取り囲んでいた。

 声がした方に顔を向ける。

 「陶英とうえい兄さん。」

 自分と共に守備を担っている隊長だ。

 白嬰とは幼い頃から仲が良く、一緒に遊ぶことも多かった。

 陶英は武の才に恵まれており若干十歳で並の大人たちに勝ってしまうほどだった。

 白嬰も武術の稽古などをよくつけてもらった。

 性格も豪快で懐が広く、皆から慕われている。

 まさに白圭をそのまま若くしたような傑物なので皆からは白晈児はくきょうじと渾名されている。


  

 陶英は周囲の兵たちに白嬰を守らせ自らは敵の中へと躍り込み両手に持った剣で次々と首を飛ばしていった。

 十五、六人は斬っただろう。

 ようやく敵は撤退を始めたがすでに陶英の指揮により退路を塞がれており一人、また一人と倒された。

 そんな中何とか包みを抜け出し、一人が陶英に斬りかかってきた。陶英は剣を交差させ、受け止めた。

 他の兵たちと明らかに発する雰囲気が違う。

 恐らく部隊長だろう。

 咆哮を轟かせ、剣を前へと押し出す。

 陶英の立つ位置は変わらないが、背中だけが後ろへとのめる。

 敵は更なる声を上げ全体重を剣へと預けた。

 このままでは陶英が武器ごと押し斬られる。

 しきし、次の瞬間陶英の全身から血管が浮き立ちあっさりと跳ね返した。

 敵の顔から驚愕が現れる。

 しかし、すぐに体勢を立て直し剣を払う。

 陶英は振るわれた剣ごと敵の腕を断ち、もう片方の剣で首を飛ばした。


 

 陶英の指揮は全身から粟が生じる思いだった。

 敵の部隊を上手く分断し、絶えず多数の味方が少数の敵を包囲し一瞬で全滅させる。この戦を決して崩さなかった。

 自らも率先して剣を振るい士気を上げる。

 指揮官としてこれ以上ないほどの人材だった。

 武勇も凄く、敵は陶英の姿を見るだけで逃亡を始めるほどだった。


  それに比べて自分は。白嬰は俯いた。後悔はしていないが死なせた兵たちには申し訳が立たない。

  不甲斐ない。


 「白嬰、次頑張れば良いさ。」

 そんな自分の心情を見抜いてか陶英は優しく微笑んだ。

 この人は失敗を決して責めない。

 笑って流し、次の可能性を信じる。

 本当に親父みたいだ。

 この人の方が親父の息子に相応しい。

 稀代の英雄 白圭の後継に相応しい。

 白嬰は身のうちに僅かに芽生えた嫉妬心を心の底へと沈めた。

 確かに羨ましいという気持ちもあるが、それ以上に彼を尊敬する気持ちが強い。

 勝手ながら自分は陶英を兄だと思っている。

 陶英も自分を弟だと思ってくれているのだろうか。


 「ありがとう、陶英兄さん。」

 白嬰はそれだけ言って意識を失った。

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