第16話


  明朝、秦軍は太鼓の音と共に動き出した。

  太鼓が一度鳴れば軍が無数に分かれ旗が一度はためけば軍が城の周りを囲み出す。

  まるで一つの生き物のように一体感をもって地を這いずる。

  遅れるものなどいようか。

  軍が動けば太鼓の音が鳴るのではないかと錯覚するほどだ。

  集団の熱気とともに砂埃が地を覆う。

  白嬰が再び地上の大軍を目にした時にはすでにありの這い出る隙間もないほどの重厚な包囲陣が完成していた。

  そして、樗里疾の号令とともに進軍は洛陽城への攻撃を開始した。

 

 黒一色に統一された大群が一気に城へと押し寄せてくる。

 まるで洪水のようだった。

 白圭は知らず知らずのうちに震えていた手をゆっくりと握り締めた。

 怖気付いたわけではない。

 むしろその逆だ。

 武者震い。久しぶりの戦に血が沸いている。

 いくら戦場から逃げ出したとしてもこればかりは抑えようがない。

 男の性というやつだ。

「まだだ。まだだ。まだ引きつけろ。」

 地響きが雷鳴の如く迫ってくる。

 そして、敵兵一人一人の顔がはっきりと見て取れるくらいまで接近した時白圭は初めて命令を下した。

 数千丁の弩から矢が放たれる。

 矢は弓で放たれたそれと違い真っ直ぐと地に降り注ぐ。

 悲鳴を上げながら敵兵は倒れた。

「休むな。第二部隊射て。」

 駑を放った者たちの後ろから、次なる射手達が入れ替わるようにして射る。

 そして、その者らが打ち終えれば更なる者たちが代わる代わる射る。

 これは矢の装填時間を短縮するため、白圭が生み出した戦法であり、その名を久時雨きゅうじうという。

 三部隊に分けた駑兵たちが射ては後ろに下がって矢を再装填し、その間に他の部隊が矢を放つ。

 これを食らった敵兵たちはまるで己が無限の矢に晒されているが如き錯覚に陥り算を乱す。

 しかし、いかんせん数が多すぎる。

 削れたのはほんの一部に過ぎない。

 すぐに味方の屍を乗り越えて、城壁に取り付いてくる。

 想像よりも遥かに早い。

 見れば足止めとして掘っておいた、深めの堀がすでに半分ほど埋められていた。

 そこに仕掛けた罠も殆どが潰されていた。

 おそらくそれ専門の部隊などがいるのだろう。


 城壁に梯子がかけられる。

 秦兵たちが次々によじ登ってくる。

 梯子に矢を集中的に射掛け、石や丸太などなどを落とす。

 城壁の上に手を伸ばしかけた敵兵たちが次々と落ちいく。

  扈孫娘こそんじょうの指揮の元、非戦闘員の女子供、老人たちが石や砂を詰めた袋を持ってくる。

  兵士たちに次々に手渡されていき城壁の下へと落ちていく。

  散々訓練しただけあってその動きは滑らかだった。

  これにはさしもの秦軍も少々手を焼いているようだ。

 「あまり城壁側に近づきすぎるな。出来るだけ頭を下げて素早く移動しろ。」

 

  負けじと射返してきた秦軍の矢がこちらへと飛び込んでくる。                    

  だが、そこら辺の対策も万全だ。

 盾を二枚重ねた矢除けを出して防がせる。

 無数の矢が戦場を往来する。

 秦軍の攻撃は決して統率が乱れず、強烈だった。

 まるで城全体を押しつぶさんばかりだった。

 その中でも白圭の指揮する防衛戦への攻撃は苛烈を極めた。

  支えきれず一部が破られた。

  城壁の上に敵兵が殺到する。


 「おい、あの白い具足は間違いない。白圭だ。」


 「あいつの首を取れば一生遊んで暮らせるぞ。」

   方々から声が上がる。

  まず、二人ほどが先陣を切って剣を抜き、白圭に斬りかかる。

  だが、白圭は矛をダラリと地に垂らしたまま微動だにしない。

  視線は下を向き、体全体が空気に溶けて無くなってしまいそうなほど頼りなく弱々しく見えた。

  男たちの剣の間合いに入った。

   それでも白圭は動かない。


  白圭は何をしようとしているのか。

  剣が突き出される。

 その瞬間、白圭の姿は消え男たちの背後を何事もなかったかのように歩いていた。

   男たち二人は静かに倒れれていた。

  事切れている。

  光の反射を失った目がそれを如実に物語っていた。

  何が起こったのか大半のものはわからなかっただろう。

 しかし、茶房は僅かにわずかにだが見て取れた。

 白圭は卓越した体術による足運びで男たちの間を通り抜けた。

  ただ、それだけだ。

 その際、わずかだが白圭の持つ矛が動いたようにも見えた。


  敵が明らかにどよめいている。

  白圭は少しだけ矛の握り心地を確かめると、三十人程度の集団の中に突っ込んでいった。

  一振りで四人が倒れ、二振りで五人を切り捨てた。

  いや、切り捨てたと言っていいのか。

 地に転がる男たちは皆血の一滴も流してはいない。

 ただ、生前の姿のままで、今にも動き出しそうな様子で魂だけが攫われている。

 どういう原理かはわからない。

 ただ、一つだけはっきりしていることがある。

 あの技は白圭以外誰も使えないということだ。


 複数回風を切る音が巡った時、すでに二十数人の屍が転がっていた。


  しかし、敵はまだまだ這い上がってくる。

 白圭がぶち開けた穴があっという間に塞がれた。

 埋まった穴がしっかりとした隊形を組み、一つの壁となって前進する。 

  「白圭殿に遅れをとるな。突っ込むのじゃ。」

 茶房も部隊を率いて負けじと前進する。

    敵部隊とぶつかった。

   凄まじい音と圧力だ。

  金属同士がぶつかり合う音が響き、すぐに敵の部隊が潰走し出した。

  一人一人の士気がとても高くぶつかった敵兵を容易く跳ね除けた。

  中でも茶房の働きは著しく、とてつもなく巨大な鉄槌を振り回していた誰も近づけない。

  あっという間に十人以上を叩きのめしてしまった。

  途中から茶房の動きを封じようとし、盾で向かってきた者もいたが、いとも容易く盾ごと叩き潰してしまった。

  そのまま勢いづいた茶房たちは敵の群れへと突っ込み、あっという間に蹴散らした。

  茶房の指揮の元一糸乱れぬ部隊は、まるで猛牛のように一つの生命体となって進路上にいる敵兵たちをなぎ倒していった。

 その勢い、まるで激流のようであり何者にももはや止められないと思われた。




  茶房隊は一段と派手な兜を身につけた男が先頭に立つ部隊と衝突した。

   敵部隊は後ろへと吹き飛んだ。

   茶房はそれを見てこのまま押し切れると確信した。 

   だから、そのまま押しに押しまくった。

   しかし、進めば進むほど部隊の動きが鈍くなっていった。

   何かが引っかかる。

   茶房は何やら敵の動きに不穏なものを感じ、素早く部隊を下げた。


  敵部隊と茶房たちとの間に空隙ができた。

   敵兵たちはそれを無理に埋めてこようとはしない。


  結果、側からみれば茶房はせっかくの機会を逃しただけに思える。

   しかし、白圭から見たこの判断は正しかった。



  茶房の部隊に劣勢だったように見えた敵部隊の損耗は驚くほど少なかった。

  信じられない事だが敵の隊長は茶房たちとぶつかった瞬間、素早く兵を下げる事で威力と衝撃を完全に殺したのだろう。

  あの猛牛のような突撃を見ても、慌てずに対処した指揮官の才覚は並大抵ではない。

  それだけでなく、難しい動きをいとも容易くやってのけた部隊の練度も他のそれとは一線を画していた。

  敵はおそらく茶房がもう少し深く踏み込んできたら押し包んで潰す気だったのだろう。


  茶房の髪がチリチリと跳ね上がり眦が裂けんばかりに吊り上がる。

  そこから火が吹き出しているようだ。

  「素晴らしい指揮じゃ。ワシは茶房。いざ立ち合わん。」

  部隊の隊長が無言で背後から槍を受け取り静かに構えた。

  熟達している。

 どこから見ても隙がなく槍には静かな殺意が込められていた。

  しかし、危うい。

 美しい構えとは裏腹に、その槍からはむせ返るほどの陰の気が立ち上っていた。


  「名くらい名乗らんか。鼻垂れしょんべんガキが。」

  茶房の口調が昔の荒々しいものに戻っている。

   血が騒いでいる証拠だ。

 若いがあの隊長はよっぽどのものなのだろう。


  男は常に地面に向けている視線を一瞬だけ茶房に向けた。

  そして、一言

  「汗全。」とだけ言葉を発した。


  そして、茶房と汗全は干戈を交えた。

  汗全の槍が一呼吸に八回ほど茶房の方へと突き出される。

  茶房はそれを難なく打ち落とし攻めに転じる。

 茶房の鉄槌が凄まじい音を発しながら振り下ろされる。

   しかし、汗全もそれを難なく受け流した。

  攻守が瞬きする暇もなく入れ替わり互いの武器が幾度となくぶつかる。

  周りの兵たちは巻き込まれぬよう遠巻きから趨勢を見守っている。

   蛇のように絡みつき、互いに肉薄していた茶房と汗全が離れた。

  その距離わずか五歩。


   両者の顔は汗に濡れていて、呼吸は少々荒くなっている。

   互いの射程に踏み込み合っているような形だ。

   あと一合で勝負が決まる。

  それは、誰の目にも明らかだった。


  茶房が重心を下ろし、低くどっしりと構えた。

  反対に汗全は槍を高く掲げわずかに肘を捻った。

  二人はジリジリと距離を詰め、そして最高の一撃を放った。

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