第14話

  「だがよ、姫延。たった一人の人間と刺し違えたところで秦は揺るがんだろうよ。必ずこの国を潰しにくるぞ。」

  ひとしきり笑った後、白圭はおもむろに切り出した。


  「わかっている。それでも血を流すことなく民草を守るためにはこれしかない。」


  「一戦も交えず国を明け渡した愚王の誹りを受けてもか?」

 

  「ああ、無論だとも。名声など王とはなんたるかを履き違えた愚か者が求める装飾に過ぎぬ。

  そうではない。王とは民衆の願いなのだ。

 なればこそ、王は私欲を捨てねばならぬ。

  民の上に王がいるのではない。王の上に民がいるのだ。なればこそ、王は民のために生涯を尽くさねばならぬ。

  王は、為政者とはそう言うものなのだ。それすら解さず、護るべき民に血を流させて何が王か何が為政者か。」


 

  赧王にはもはや洛陽の中心に鎮座するこの王宮以外に何も残っていなかった。

  周王室がこれまで蓄えてきた珍品、秘宝その全てを民達に配ったからだ。

  敵意がないことを示し油断させるためにわずかに残った軍さえも解散した。

  全ては秦王を殺すため。

  赧王は孤独な戦いに足を踏み入れようとしていた。


  「それでこそ我らが王だ。」

  その覚悟を真正面からピリピリと全身で受け取った白圭は満足気に笑い、そして赧王の前で跪き拱手きょうしゅした。

 

  「何を?」

  突然のことに戸惑う赧王の目を白圭は真正面から見据える。

 

  「周王朝の恩顧を受けし者として不肖この白圭、赧王様のため、此度の戦に微力ながらもお力添えさせていただい。」

  白圭の声は無人の宮殿の中を縦横無尽に駆け巡り響き渡った。

 

  しかし、その白圭の声をかき消さんばかりの大声がそこかしこから湧き上がった。

  「どうか我らもこの国のために戦わせていただきたい。」

  その声を耳にし、まさかと思いパッと展望台から赧王は目をこれでもかと見開くこととなった。


  なんと、宮殿の周りには大勢の民衆が白圭と同じく跪き拱手しているではないか。

  その中にはまだ白嬰と同い年くらいの子から立っているのがやっとなほどヨボヨボの老人までまさに老若男女問わず周に住まう全ての民が王宮に詰めかけていた。


  「これは…いったい?」

  未だ状況が飲み込めず困惑する赧王を尻目に押し寄せた民衆の内から代表者らしき者が数人進み出て、先ほどと同じ言葉をこの場に集った全員の気持ちを再確認するかのように力強く告げた。

 

  「どうか我らもこの国のために戦わせていただきたい。」

  その声は灼熱の太陽にも負けぬ熱気を伴って、しかと赧王の心に届いた。

 

  しかし、赧王はその声を胸が張り裂けそうになるほど嬉しく思いながらも、それに負けぬ熱量を以って答える。

 

  「ならぬ。此度もし、秦軍と矛を交えれば屍の山ができ血の雨が降る。朕は愛すべき其方らをそのような目に合わせるに忍びない。耐えられぬ。

  この場に集いし者どもの心遣い、まさに感無量である。だが、朕のことは良い。其方らは逃げよ。国すら守ることができぬ愚か者だが、せめて其方らだけは護らせてくれ。それが王として生まれた朕のせめてもの責務である。」


  赧王の鬼気迫る迫力に代表者達がたじろぎ後ずさり喧騒に包まれていた王宮が一瞬にして静謐せいひつの支配する場へと変貌した。

  皆が互いの顔を見合わせどうすれば良いのか周囲の顔色を伺っている。

  赧王はその反応を見て是と受け取ったと判断して民衆達に背を向け歩き出そうとした。

 

  そんな中一人、代表達よりもさらに前へおどり出る少年の姿があった。

  白嬰である。

  皆が顔を見合わせる。

  白嬰があの白圭の息子であることは周知の事実だ。

  しかし、逆に言えば皆がその程度の認識しか持っていなかった。

  何をしに行くのかと大多数の人間が首をかしげた。

  中には父親の威光を己のものと勘違いしてのぼせ上がった青二才が、とあからさまに冷たい視線を送るものまでいた。

  白嬰の背中を見送るものほぼ全員が期待などしていなかった。

  どうせ緊張のあまり一言も話さずそそくさと逃げ帰るだけなのだろうと思っていた。


  しかし、皆の予想はあっという間に覆った。

  白嬰は子供の肢体のどこから出ているのか不思議なほど大きな声で、王を前にしても何ら萎縮することなく、忌憚なく己の決意を述べたのだ。



  「赧王様は我らを国を見捨てた大罪人になさるおつもりか。

  赧王様は、民を護るのがご自身の責務だとおっしゃった。しかし、それは我ら民草も同じです。

  名君でも暴君でも一度玉座に座ったのならば、それを担ぎ上げた我らが最後まで責任を持って支え護り抜かなければなりません。それが我らの責務なのです。

それなのに、王が一人で国に殉じようとしているのにどうして我らが見捨てることができましょうか。王と民はまさしく日と月のような関係なのです。どちらが欠けても国という大地は成り立ちませぬ。今一度申しましょう。」

  ここで白嬰は一度言葉を区切り思いっきり息を吸い込んだ。

  そして、空が崩れるほどの大きな声で吠えた。


  「どうか我らもこの国のために戦わせていただきたい。」

 

  集まった民衆達は白嬰の演説に魅入っていた。

  そして、半ば無自覚的に、釣られたように我先にと白嬰に続いた。

 

  「どうか我らもこの国のために戦わせていただきたい。」

  不思議な光景だった。

  大勢の民衆がまだ十二、三歳の少年の背を見て力をもらい、生き生きと声を張り上げる。

   その熱量、音量は先ほどの比ではなく、今度は赧王がたじろぎ後ずさった。

  隣を見れば白圭も声を出し拱手している。


  その光景に堪えきれず目から涙が溢れでた。

  それらをこぼすまいと赧王は空を見上げる。

  「馬鹿者どもが…」

  そしてついに心を決めた。



  「よかろう。そこまでいうのならば地獄の果てまで供してもらうぞ。決戦じゃ。ものども!我らが周に手を出した秦の愚か者どもに目にもの見せてくれようぞ。支度をせい。」

 

  「応!」

 

  そして王と民衆達は力を一つにし戦の準備を始めた。

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