第九章 ルーフトップ・コンサート!

「寒いんだけど」


 センター街の中心に建つ二階建て楽器屋である。赤茶のレンガ作りの外壁、メイン通り沿いに並ぶショウケースには、楽器屋イチオシのギターやベースがスポットライトの光で輝いている。

 トレーネの五人は、渋谷センター街にある椎橋楽器の屋上に来ていた。

 ビルに囲まれた場所の為、いくらか風も強い。夏に差し掛かっているとはいえ、こんな場所でこんな格好をしていれば人間天使と言えども寒い。

 人間天使は耐熱性はあるが、暑さ寒さを感じるセンサーの類は人間とそう変わらない温度で設定されている。いらん機能だと季節が変わる度に思う。

「ほなみんほなみん! ゆづきがあっためてあげるっ」

「い、いいよ」

「写真! 写真! みんなで撮りましょうよ!」

「はいはい……」

 ゆづきと村雨のはしゃぎようにほなみはいまいちなテンションで応じる。テンションが上がらないのには他にも理由がある。これからやろうとしていることへの気の重さだ。

 村雨がディスプレイを表示させて、撮影モードに設定すると、五人でくっついてセンター街をバックに写真を撮った。

 収められたのはふりふりのレースとリボンがあしらわれたミニスカートのワンピース衣装に身を包む五人の姿。上は白、スカートは真紅という派手なデザイン。

 ――この歳になってこんな派手な服を着ることになるなんて……。人間天使だし、寿命も何もないけど。

 死の原因が部分劣化やメンテ怠りのため、不老不死とはいかないが、生きようと思えば何年でも生きている個体がいる。

「はあ」

 何度目かの溜息を吐いた。

 

 四日前――。

「みんなに相談があるんだけど――」

 と、切り出したゆづきから告げられた内容は思いの外とんでもないものだった。

 まずはトレーネを知ってもらうためにゲリラライブを敢行する。場所は人でごった返している土曜の渋谷センター街。ついでにPV撮影もする。可能なら二曲やろう。


 ババババッ、と低空で飛ぶヘリコプターの音が聞こえた。

「わーっ! イリス様すごいっ。ほんとーに空撮できるんだ!」

 ゆづきがヘリに手を伸ばすようにジャンプしている。

「知り合いに言ったら喜んで引き受けてくれたわ。いくらとも言って無いけど、後で払うって言ってあるから大丈夫よ」

 金額を提示せずにいつ払うかも名言していないとなると、本当にイリスのことを慕っている友人か何かかもしれない。後で困らなければいいけれど。


 椎橋楽器はゆづきが懇意にしている楽器屋で、ゆづきが今回の件を伝えると店長から店員まで喜んで引き受けてくれたそうだ。普段は閉鎖されている屋上にまでこうして上がって来れているのにもそうした理由があった。

「頑張ってね! PV、店で流してあげるから! 好きにやって! いやあ、この時代にこんなことする奴がいるなんてなあ」

 店に到着するや髭面の店長から五人ともバンバン背中を叩かれた。やけにハイテンションだった。過去に誰かやったのだろうか。こんな常識外れなことを人間天使がやるとも思えないし、大昔の人間だろう。迷惑千万である。


 ――はあー……。絶対怒られる……。ていうか捕まる。

「じゃー! いくよー! まずは『神の怒り』から!」

 ゆづきが一番初めにメンバーに聴かせてくれたメタルナンバーを叫んだ。


 全員が配置に付く。

 屋上の奥に引っ込んでいていた五人は、前へと進み出た。

 下は見ない。しかし、歩いていた通行人から少しずつ声が上がった。

 気持ちを切り替えよう。

 全員が目配せをし合う。

 この日までになんとかモノにした練習の成果を今、出すんだ。


 屋上に設置された巨大スピーカーから爆音が鳴り響いた。

 のっけから激しいドラムのフィルイン、畳み掛けるようにベースの重低音とギターのリフが同時に重なり始まる。

 サドンデスのしょうこがやっていた一番最初のシャウトはほなみが担当。練習でみんなで叫んでみた結果、ほなみが一番良い、と多数決で決まった。

 恥じらいは思ったほど無い。だって、目の前に並ぶのは無機質なビル郡だ。

「あああああああああああああああああああああっっっっっはあッ!!」

 何世代か前の、首に引っ掛ける形式のヘッドセット型マイク(何故か村雨が持っていた)へ割れんばかりの声で叫ぶ。

 ヘリの音がやかましい。曲の音と被っていないだろうか。下で聴いたら大丈夫かもしれない。PVだから映像が撮れれば後は音を合わせるから良いよ、とゆづきは言っていたけれど今見ている人々はどう思うだろうか?

 今日まで必死に覚えた振付。レッスンから帰った後もディスプレイ越しに五人で合わせたりした。

 立ち位置が入れ替わり、中央に出ていたほなみはくらのにその場を譲る。

 くらの特有の揺らぎのある美声。くらのソロパートだ。

 下からこちらを見上げているであろう通行人のざわめきが大きくなった。

 美声だけが理由ではないだろう。くらののその顔に驚いているのだ。

 第二世代。

 第一から第三世代の人間天使は、世代ごとに顔のデザインが統一されている。稼働している第二世代も世界中探せば、どこかにはいるかもしれない。が、こんなに激しく動く第二世代となると存在しないだろうと思われても仕方ないくらいの激しいダンス。

 メタル、且つ、ライブで開幕を飾るオープニングナンバーということもあってか村雨考案の振付は派手に動く。

 ――これを一旦データ消去して、今日までに覚え直すのにどれほど苦労したことか。

 ざわめきが大きくなってきた。

 人でごった返す渋谷で突然こんなパフォーマンスを始めたのだから当然だ。

 曲が終盤に差し掛かる。再度ほなみが中央に出て叫んだ。

「ああああああああああああああああああああああ!!」

 そしてイントロと同じフレーズが鳴り響き、五人は元の配置に戻って曲を締めた。

 

 ほなみは荒い息を吐きながら下を見る。

 きゃーきゃー言いながら写真を撮る者、ブーイングをする者。興味のない人間天使からしたら、単純に通行の邪魔だし、楽器屋周辺の店に至っては大迷惑だろう。

 ――うー! ごめんなさい!

 

『そこ!! 直ちにそこから降りて!!』

 拡声器を持って叫ぶ制服姿の男性型人間天使が現れた。

「ゆづき、警察が!」

 ほなみがゆづきに向かって叫ぶ。

「わかった! 次の曲!」

 そうじゃない。

 そろそろ降りないとマズいと言ったつもりだった。まあ、当初の予定通り二曲やるつもりではあったけれど。さっきの曲だけだとゆづきプロデュースのメタルアイドルだと思われる節があるので、インパクトも重視した結果、相談して二曲になったのだ。

 警察の登場も予想されていた。単にほなみがびびっただけ。

 やるしかないのか。最後まで。

「なんだかわくわくしますね、ほなみさんっ」

 隣に立つ村雨が顔を寄せてきた。

 返答する間もなく次の曲が始まった。村雨が何も言わず微笑んで配置に戻る。

 真夏の大恋愛計画。

 この計画を実行するまでに期間が短かったこともあり、当初から持ち曲としてあったこの曲に決まった。先ほどの曲とは打って変わって、打ち込み主体になり、曲のテンポ、歌詞、雰囲気、どれを取ってもアイドルらしい曲。

 ズンズンと響くバスドラムに合わせて自然と身体が踊る――そのくらいまでにはなった。

 感覚的な問題だ。

 今まではインストールデータに合わせて身体が勝手に動いていたのが、今や音を聴いて、全体で音を感じ、次の動作を考えながらも、みんなの現在立っている位置を見、今の自分はここにいていいのか、次はどういう動きか、歌詞、次の言葉が出てこない――などと移りゆく思考に身を委ねて歌って踊る。まさに風の一部になったような……いや。

 これが、アイドル――。

 だが、

『音楽を止めなさーい!』拡声器からの鳴り止まない警告。

 ババババッ! 喧しいヘリの音。 

「下手じゃね?」「なにあれー」「くそ迷惑」「第二世代?」「なあ、あれ、ほんとに第一世代?」「サドンデスのギター……なんだっけ、名前。あの娘じゃね」「ゆづきー!」「あの娘……」

 そこに集まってきた通行人の声が混じり合ってセンター街はカオスを極めていた。

 さらにアップテンポな真夏の大恋愛計画がそれを加速させる。

「ほら! ここ開けて! どいて!」

「困ります!」

 背後から揉める音が聞こえた。恐らく店内に警察が来てここまで上がってきたのだろう。それを一旦止めてくれている店員の声も聞こえた。今拡声器で叫んでいる警官以外に複数の警官がいるということだ。随分と大事になってきた。

 ――潮時、かな。

 ほなみの思考に合わせたように扉が開いた。

「ほら、ちょっとどいて!」

「ストーップ! ストップ!」

 制服姿の二人の男女警官が屋上へ脚を踏み入れた。ほなみたちの動きが止まる。ゆづきとイリスと村雨は気にしつつも歌は止めない。しかし男の警官の方が足元にあったスピーカーに気づくと電源ケーブルを引っこ抜いた。唐突にアップテンポなビートが終わりを告げる。

 ――どうする?

 警官が屋上まで乗り込んで来るのは予想していなかった。椎橋楽器に到着した時点で店長や店員が「なんかあっても、こっちでなんとかしとくから」と気前よく言っていたからだ。

 なんとかならなかったらしい。

 ゆづき、村雨が一歩前へ進んだ。この中でも比較的世代が新しい二人が、己の出力を振り絞って空中に巨大なディスプレイを表示させる。遠く離れていても見れるような映画スクリーン並の大きさへ。

 表示されているのは、

《七月十五日! ゼップ東京にて新生アイドルグループ「トレーネ」のファーストライブが決定! トレーネについてはこちらから! http://~》

 という、ライブについての文字が並んでいた。

「こらこらこら!」

 小柄な女性警官がほなみの腕を掴もうとした。思わず振り切る。

「あっ、ちょ、こら、どこ行くのっ」

「お騒がせしてすいません! ライブ! よろしくお願いします!」

 それから小さな拍手の音。

 見上げていた通行人が次第に元の流れを取り戻していく。中には、村雨とゆづきが映す巨大ディスプレイを写真に収める者もいた。

 少しでも関心が向けばいいなと思う。

「ほら。君たちも」

 警官二人に促され、ようやく村雨とゆづきもディスプレイ表示を終了させた。

「よろしくねー!」

 ゆづきが手を振った。ゆづきのファンがきゃーきゃー騒いでいる。

 離れて行くヘリコプターの音を聞くともなしに聞きながら、一旦は事態の終了を感じ取り、安心したほなみだった。


「きっつ……」

 安心していたのも束の間、こってり絞られることとなった。場所は警察署。

 椎橋楽器屋上から最寄りの警察署まで連行されたトレーネ一同は、まず身元と経歴を全て洗い出された。ほなみの過去の問題履歴、第二世代で廃棄扱いになっているくらの、現サドンデスメンバーのゆづき、それぞれに対して根掘り葉掘り問い質された。特にくらのの存在は問題だったようだ。が、イリスの事情聴取で全てがうやむやになった。

「どうしてこんなところにイリス様が……」

 複数の警察官から同時にメンバーが事情聴取を受けている中、イリスの聴取を務めたのは、屋上に入ってきた女性警察官だった。後でイリスから聞いた話によると、ただのよく動く第一世代かと思っていたのに、伝説のプロトタイプ人間天使だと判明するや、目を白黒させて慌てて部屋を飛び出して行ったらしい。ほなみたちの事情聴取が途中で終わったのはこの為か。警察も権力には逆らえないと見える。今のイリスに権力なんて有ればだが。その様子を聞くと元開発局局長という肩書は現在も有効であるらしい。

 結果的に、全員前科が付くことは無く、厳重注意に留まった。

 本来ならば、公務員の制止を振り切っての騒音行為にあたり、軽犯罪法で罰金か一時拘束されるということを、イリスの聴取担当をした女性警官がくどくどと聞きたくもないのに教えてくれた。

 人間天使の象徴的な存在であるイリスをどう扱ったものか警察一同判断に困ったようだ。お目溢しで厳重注意に留まったとのこと。女性警官は最後に、

「ライブ、絶対行きますね!」

 と、イリスに握手をせがんでから、笑顔で手を振って別れていった。イリス以外のメンバーは一斉に安堵の溜息を吐いた。

 イリスは最初から最後まで何でも無さそうに堂々と振る舞っていた。

 慣れてるのかもしれない。怒られることに対してだ。

 ほなみは問題を起こした経歴がこれ以上増えなくて本当に良かったと心から思った。


「どう?」

 イリスが誰にともなく訊いた。

 その日の夜。いつも通りのスタジオで中央に集まる五人。

 食い入るように全員が一つのディスプレイを肩を寄せ合って覗き込んでいた。表示されているのはチケットの販売カウントだ。スタッフ専用ページである。右隣にいる村雨が妙にほなみに密着してきて、それを見てゆづきが反対側から距離を詰める。窮屈で仕方がない。ちょっとどぎまぎ。やっぱり村雨はお胸が大きいなあ。二の腕すりすりしておこう。

「ひとまずは成功と言ったところでしょうか」

「当然の結果ね」

「村雨ちゃん近過ぎ……むぎゅ、ぎゅ」

「あ! また一ま……二枚三枚!」

「ちゃんと売れてる……」

 チケットは現在二百五十枚売れていた。まだ黒字化には程遠いが、ゲリラライブの効果はあったようだ。ほなみたちが見ている目の前で少しずつチケットが売れていく。

「凄いですね。本当にアレで知ってくれた人たちがいるんですね!」

 村雨の言葉に屋上ゲリラPV撮影の発案者であるゆづきが応えた。

「そうそう。まずは知ってもらわないと話にもなんないの。現にこうやって――」

 ゆづきが自らディスプレイを立ち上げ説明する。

「いろんなニュースサイトや、テレビ、SNSとかで取り上げてくれてるし」

 だが、否定的な意見も目立つ。マスコミは迷惑行為にあたる今回の一件を厳しく批判。ほなみなどはそうは言ってもニュース番組でちらっと話題にされる程度かと想像していたのだが、テレビではかなりの尺を取ってトレーネについて言及していた。

 それを見てSNSがトレーネについて言及、さらにネット上の話題を中心に取り上げるニュースメディアがそれを見て記事を作る、と、負のループに陥っている。

 マスコミからしてみれば、人気バンドのゆづきと伝説のプロトタイプ人間天使イリスがメンバーにいることで大衆の関心を惹きやすく、視聴率が稼げるかも、という狙いがあるようだ。

 今まで公の場に出てこなかったイリス・アイが何故かここに来てこんな形で表に出てきたのかというのも理由としては大きいけれど。

「批判なんかは全部無視しちゃって大丈夫だよ。さっきも言ったけど知ってもらわないと話題にも上がんないんだから。じょぶじょぶだいじょぶー」

 ゆづきの興奮を伝えるかのように瞳の☆がきらきらと瞬いた。


 ちなみにPVはまだ出来ていない。流石に時間が足りなかった。

 今日の夜、くらの本人からの希望で、彼女が徹夜で完成させるという。データ確認後問題なければ動画サイトに上げ、既に用意されているトレーネの公式SNSアカウント、公式サイトから誘導を掛ける作戦だ。

「お任せください」

 くらのもノリ気だ。

 そうして、それから村雨が新曲の振付を付けたり、ゆづきが作った新曲をメンバーで四苦八苦しながらも合わせ、慌ただしかった一日が終わった。


 夜――。

 ベッドに横たわるほなみの元に、くらのからメンバー全員に向けてメールが届いた。

 昼間撮った映像をくらのがPV用に編集したものである。

 一曲目の神の怒りは屋上での様子が中心だが、二曲目の真夏の大恋愛計画では、センター街を歩く人々の反応、後半の警察介入、自分たちが捕まる様子、さらに警察署から出て来る姿、SNS上の反応などを一本の映像の中に上手く組み込んでおり、まるで映画のような作りになっている。

「すごい」

 満場一致でメンバーの同意を得、PVがその夜、ネットに上げられた。

 すると、待ってましたとばかりに次の朝には動画の再生数がぐんぐん上がり、それに伴ってチケットも売れる。

 ギリギリ黒字が見えてきたライン。しかしまだまだ不安が残る数字。

 ――PV、公式サイト……次は――。


「グッズ届いたよー」

 週末。今日は一日がっつり練習である。

 ゆづきがダンボール箱を抱えてやって来た。

 封を開けると、トレーネの文字が印刷されたTシャツ、タオル、リストバンド、クッションカバーなどが入っていた。これにプラスしてメンバーそれぞれのブロマイドなども含め、数百円から千円半ばで販売する予定だ。

「わー! もうできたんですね! まさにアイドルグッズって感じです。着てみちゃ……って、いけないですよね。お客さん用ですしそんなに数ないですし」

 村雨がダンボールの中身を手にとってうっとりとしている。

「これだけじゃ足りないかもね」

 イリスがぽつりと呟いた。

 確かに現在のチケットの売れ行きを見ると、このダンボール一箱分では足りない気がする。

 ――うん。

「……私、出そっか?」

 ほなみは言った。

「ほなみん? 出すって?」

 ゆづきが問い返す。

「グッズの追加発注のお金」

「どうして?」

「私がそうしたいからだよ」

 ゆづきは音源代、曲の作成、PV撮影場所の提供。

 くらのは公式サイト作成、PV編集。

 イリスは歌詞考案、ライブハウスとの交渉とその代金、空撮ヘリ、期せずしての警察釈放は彼女がいたからこそだ。

 村雨は衣装提供とマイク提供、振付指導。それと、忘れちゃいけない、真夏の大恋愛計画のサビメロディは村雨からである。

 ここまでほなみは特にこれと言って何もしていない。無論、チケットの販売はしたがそれは誰であってもやらなければならないことである。

 前述の四人のように、特別に何かをしたわけじゃない。

 それに今の四人に資金的な余裕は無いはずだ。強いて言えば自営業の村雨ぐらいだが、彼女だって新たにくらのを雇ったばかり。あの修理所の閑散とした様子を見るに、決して余裕があるとは言い難い状況だろう。

「でも……」

「少しでも成功させなきゃ。これで終わりじゃないでしょ? 次だってある。その時の資金だって結局用意しなきゃならない。話題になってる今だからこそやらなきゃならないと思う」

 情報は次々に移り変わって行く。マスコミ、ネットで話題になっている今が旬。現代社会において、グッズのように形として残る物は極めて重要だと言える。

 目に見えて、いつでも触れられる――グッズだけじゃない、音楽だって物理メディアは重要なのだ。

 そう。物理メディア。つまりはCDだ。レコードでもいいが。

「だからさ。アルバム作ろうよ。少なくてもいいしさ。会場限定でもいいしさ」

 アルバム――何曲かをひとまとめにしたもの。

 トレーネはアイドルでもあり、ミュージシャンなのだ。

 グッズを作る前に何かしらCDが無ければ格好が付かない。

 それは音楽家であるゆづきの方が気持ちとしては強いはずだ。成功させる為に、ゲリラライブ型PV撮影なんていう手法を選んだゆづきがそれを考えていないはずがない。

 恐らく資金的な面、時間的な余裕で今まで言うに言い出せずここまで来てしまったはずだ。

「アルバム……」

 ゆづきはごくりと唾を飲み込む。やがて口を開く。

「つくりたい」

「うん。じゃ、やろう。みんなはどう?」

 イリス、くらの、村雨も異論はないようだった。

「それで? アルバムって作るのどのくらい必要なの?」

 イリスの問いにはゆづきが応えた。

「……まあ、正直今の時代、プレス代だけでそんなにお金掛かんないだよね。数万は必要だけど。むしろ問題なのはまだ二曲しか完成してないこと。後はそうだね……ジャケットとか」

「ジャケットなんて今撮っちゃえばいいじゃない。ほら、寄って寄って」

 イリスがディスプレイを表示させた。撮影モード、さらにタイマーを掛けて、五人を手で招いて肩を抱いて身を寄せ合うように促す。

「えー? わたしたちジャージにTシャツですよー? もっとかわいいのがいいですー!」

 村雨が不満そうに喚いた。

「いいじゃない? 次もあるし。会場限定でしょ? はい、チーズ」

 会場限定はほなみがとりあえず言っただけで、ほなみもこのくたびれたジャージ姿はどうかと思ったが、みんなが楽しそうにしていたので、別にいいかと思い直し、ほんの少しだけカメラに向かって微笑んだ。


「ま。結局やることは変わらないわよね。曲作って、振付考えて歌って踊って覚えて」

 イリスがまとめる。そして、その通りだ。ライブまであと数週間。立ち止まってはいられない。歌って踊って準備して、とまだまだやることは目白押し。近づく度にやることが増えているような気さえする。

 そうして、やがて、時は過ぎ――。


「これがわたしたちのアルバム……」

 村雨の手に握られているのはダンボールいっぱいに詰まったCDの内の一枚。

『トレーネ・ファーストアルバム・トレーネ!』

 ジャージとTシャツ姿で肩を寄せ合う五人が映っている。

 歌詞カードに収められた写真には、ある日の練習風景や、曲を作るゆづきの姿、公式サイトの更新を掛けるくらの、衣装作成をする村雨、へばっているイリス、ゲリラライブの日、屋上で寒さに肩を抱くほなみが映っている。

 ここまでの奇跡がこの一枚に込められているようで、なんとも言えない感慨を胸に抱いた。

「頑張ろう」

 ほなみの言葉にみんなが笑って頷く。


 CDプレス代、及びレコーディング代、さらにライブの当日までに掛かったスタジオレンタル代やこれまでのマイナス分――しめて三百六十二万二千円。


 そして、ライブ当日がやってくる。

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