第八章 どうする?

 ゼップ東京会場に決まった夜は話し合いに大部分を割いてしまったが、ホームページ用に載せるための写真を撮影したり、新曲の振り付けを村雨主導の元話し合ったり、ゆづき考案の新曲歌詞にイリスが大幅修正したりと、やることは山積みだった。

 明日以降はメタルナンバーをレコーディング(またレコーディング代が嵩む)。さらに、宣伝用にPV撮影(お金の掛からない簡素なものを)、と予定は詰まっていた。


 さあ、もう残っている問題はないか、と全員が頭を悩ます中、

「そういえば、服はこれでいいんですか?」

 と、くらのがぽつりと告げた言葉に全員が衣装を忘れていたことに気がついた。

 またお金が飛んでいくー!

 と、慌てふためくメンバーに対して、村雨がなんでもないことのように言った。

「あ。衣装はわたしの家にかわいいのいっぱいあるんで今度持ってきますねー」

 にこにこと。

 ――そういえば、くらのが目覚めたときに色んな服が置いてあったっけ。

 くらののためだけに用意したものかと思っていたが、どうやら元々衣装持ちのようだ。趣味でコスプレでもやっているのだろうか。それならばサイズ合わせなどもお手のものかもしれない。

 幸か不幸かほなみとくらのは既に患者として村雨に身体のサイズは知られている。

 その夜はゆづきとイリスが村雨によって念入りに身体のサイズを図られた。村雨は不気味な笑みを浮かべながら、少女たちの身体をぺたぺた触り、ゆづきとイリスは気味悪がった。

「ふへ、ふへへふふ、へへへへへ」

「そこ触る必要ある?」

「村雨ちゃん。笑い方怖いよ。後、そこ触る必要ないよね?」


「はあー……」

 ほなみはベッドで寝そべりながら、ディスプレイを開き、もう何度目になるのかの同窓会メールを読んでいた。

「やだなあ」

 覚悟を決めたとは言っても、行きたくないものは行きたくない。

 今思えば恥ずかしいくらいに自分の生い立ちをペラペラ喋っていた。

「……」

 久しぶりに記憶の奥底――《思い出》と名付けたフォルダから、人間と暮らしていた頃のデータを引っ張り出してくる。


 ほなみは始め四十代半ばの人間夫婦の家庭に迎え入れられた。

 子供ができない夫婦で、実の子供のように二人はほなみを可愛がり、その生涯を全うした。

 フォルダにはたくさんの写真が詰まっている。始めて家に迎え入れられ、まだ起動さえもしていないほなみの姿、起動したときの姿、三人で行った国内旅行海外旅行、年を経るに連れて、夫婦の姿は老いて行き、その隣には全く姿の変わらないほなみの姿がある。それがまた哀愁を誘う。

 子供も居らず、社会的地位も高かった夫婦にお金はたくさんあったようだ。

 まだまだ人間天使が珍しかった時代で、人間天使を購入するくらいの貯蓄はあったのだから。

 色々な場所へ連れて行ってもらった。

 たくさん笑った。

 お別れのときは大泣きした。

 二人と死別した後、どう生きて行こうか何年も悩んだ。

 別れがこんなに辛いものなら一人で生きて行こうと思った。

 そうして、いつのまにか、出会いと別れの多い職業の教師になっていたのだから人生どうなるかわかったものではない。

 他にやることが無かったというのもあるが。

 ディスプレイを閉じた。同窓会は明日である。

「もう寝よ」

 何年も着ていないスーツを押入れの奥底から引っ張り出し、アイロンを掛け、ほなみは就寝という名の充電に入った。


 起きるとゆづきからメールが届いていた。

《はい先生。これ、チケットデータ。でもデータより紙の方が売りやすいから五十枚くらい印刷してから行ってね》

 添付されたデータにはチケットデータと金銭受け渡し用のバーコードがあった。

「五十枚って」

 そんなに売れるのか? そもそもクラスは三十人だったけど。

 そうは思ったが言われた通りに教師時代に買った数十年前のプリンタからチケットを印刷することにした。経験者には従っておくのが吉だ。改めてチケットに記載のある《ゼップ東京》の文字に戦慄した。

 集合時刻は十八時から。夕ご飯を食べながら思い出話に花を咲かせるのだろう。それまでに準備しなければならない。

 電車に乗って揺られながら、あの日のことを思い出す。教師を辞める切っ掛けになった事件のこと。

 八戸瀬ゆづきのこと。




 転入してくるゆづきの事情は予め知らされていた。

 サドンデスの為に生まれた特別製。とはいえ、ほなみにとって、彼女も一生徒に過ぎなかった。

「これからこの学校でお世話になります! 八戸瀬ゆづきです! よろしくお願いします!」

 ガバっと勢い良く頭を下げ、黒板の前で挨拶。蓋を閉めてなかったのか背負っていた鞄から教科書がずさーっと床に落ちていく。慌てて拾い集めるゆづきとそれを嘲笑うクラスメイト。

「どんくさ」

「なにその古典的なボケ」

 特別製。

 それだけで一部の生徒から羨みと妬みの対象になる。おまけにゆづきはマイナージャンルとはいえ、国民的メタルバンド、サドンデスの後任ギタリストだ。全校生徒千云百名。サドンデスのファンだって当然いる。当時の現行ギタリストのファンだって当然いた。

 当時はゆづきの存在を認めていないファンだってそりゃあ今よりもたくさんいた。

 ういな(前ギタリスト)を返せよ。

 下手くそ。

 なんて文句は一部の生徒から波及して、それが瞬く間に周囲に伝わり、一緒になって罵倒を受ける羽目になって、ゆづきはどんどん萎れていった。

 めんどくさかった。

 ほなみが、だ。

 問題は面倒だ。私の評判が落ちたら、最悪、すぐに代わりを用意される恐れがある。

 だからなんとかした。

 季節は秋。ゆづきの転入から既に二月が経っていた。問題が解決する見込みはない。だけどほなみさっさと解決したかった。そこでゆづきを呼び出した。俯き伏し目がちのゆづきに端的に要件を告げた。

「なんでしょうか」

「今度の文化祭にサドンデス呼んで」

「……はい?」

 今思えば相当無茶なことを言ったと思う。断られたら別の案を考えよう。そのくらいの気持ちだった。ほなみは基本的にめんどくさがりで楽観的だ。

 ようは全校生徒にゆづきを認めさせれば良いのだ。それなら演奏してもらうのが手っ取り早い。が、ステージで一人でやったところで、「なにあれー」「張り切っちゃってー」とか言ってクスクス笑われるのは目に見えている。

 だから、前ギタリストのういなと現行ギタリストのゆづきで同時にステージに立ってもらい、ういなと遜色無いギターを披露して、全校生徒にゆづきの実力を認めさせるのだ。

 恐らく、いいや、確実にゆづきは学校中の人気者になるだろう。

 そうすればゆづきを中傷していた生徒もファンに転がる可能性すらある上に、それでも中傷するような奴らは、その時にはきっと少数派になっているだろうから、それはそれで対処がしやすくなる。一人一人に忠告していけば良いだけだ。

 現状、一部の生徒のやっかみと妬みが波及しているような状況がよくない。問題が広がり過ぎて対処のしようがないのだ。面倒だから一気に片付けようと思った。それだけだ。

 決して、ゆづきの為ではない。自分の為にやったことだ。

 結果は――。

「先生! ほなみ先生! ほんとーに! ほんとーにありがとうございますっ! ほなみんっ! ほなみんって呼んでもいいですか!?」

「え。やだ」

 言うまでもなかった。

 本来はこんなに明るい子だったのだ。やかましいくらいだった。というかやかましかった。

 今ではもう慣れたが。

 サドンデスも良く来てくれたものだと思う。メンバー想いの良い子たちなんだろう。理由を言ったら二つ返事で来てくれたんだから。


 そうしてゆづきは学校中の人気者となり、中傷を繰り返していた生徒もゆづきの存在を徐々に受け入れ始めた。


 全てが崩れたのが彼女が中学三年の冬である。


 人気の無い教室に呼び出しを受けたほなみ。まるで何時だかの逆である。

 沈みゆく夕陽に照らされた誰もいない教室に、教師と生徒が二人。セーラー服を着たゆづきが上履きの先をもじもじさせていた。

 ――なんなの。定時だから早く帰りたいのに。

 ゆづきは緊張している様子だったが、ほなみは何とも思っていなかった。

 ぎゅっと目を瞑り、俯いたまま、大声で叫ぶ。

「先生!! ゆづきと付き合ってくれませんか!?」

「!?」

 驚きと戸惑いが同時に駆け巡った。その後に脳内は素早く今後の人生をシミュレートする。

 教師と生徒の淫行発覚。ほなみは職を失う。それかサドンデスのメンバーとして今後の成功が約束されているゆづきのヒモとして生きていく未来。

「……どうして?」

 まずは理由を訊かねばならない。ゆづきに好かれる態度を取ったつもりはなかった。

 この時のほなみには本当に自覚が無かった。

「――それは……あの時助けてくれて……ゆづき、それが本当に嬉しくて。生まれてから今までで一番嬉しくて……このまま卒業してもうこれっきりなんて嫌だって思って……だ、だめですか……中学卒業をしてからでもいいんです」

 中学を卒業してからでも問題だが。

 というか、ほなみは彼女に対して特別平等で在ろうと意識したわけではない。誰にでも同じように接していた。たまたま問題が大きくて対処方法がおおげさになっただけだ。

「友達ならいいけど……」

「ほんとおーですか!?」

 ――あれ?

 ほなみの言葉にゆづきの顔がぱあっと輝いた。

 それとなく断ったつもりだった。まあ、いい。そのうち飽きるか。

「じゃあ!! ほなみんって呼んでもいいですか!?」

「いやだから……はあ、いいけど……」

 めんどうだった。早く帰りたかった。

「わーい! じゃあ、ほなみんっ!! 友達になったんだし、早速お家に行ってもいい!?」

「え? いきなり?」

「……友達ならふつーですよ?」

 目が据わっていた。

 ――そうかな? ま、いいか。どうせ帰るんだし。

 いささかすっ飛ばし過ぎな気がするが押しには弱いほなみだった。

 強く命令されたら断れない。この辺は人間天使共通の本能だと思っている。

「ま、いいんじゃない?」

「わーい!! 行くぅー!!」

 この時多少問題意識はあったのだ。生徒が教師の家に来るのはどうなんだろう? 友達なら普通かもしれないけれど、告白された後だと微妙な問題かもしれない。

 心に引っかかりを覚えたまま二人で家に向かった。

 次の日には学校にバレていた。

 放課後とは言え、教室でそんな会話を繰り広げていたのがマズかった。

 次の日の朝。ほなみが職員室に入るとクビが宣告された。生徒からのタレコミでほなみとゆづきの会話が映像記録として残っていた。さらにその後、ほなみの部屋にゆづきが一緒に入って行く様もばっちりと撮られていた。部屋を出たゆづきが、

「――ほなみんと、こんな関係になれるなんて思ってもみなかった! 夢みたいっ! 今日はありがとう! また学校でね!」

 ぎゅーっと抱きつきほなみに頬ずりをし、ほなみがされるがままになっている姿もそれはもうばっちり鮮明に撮られていた。

 ――まだこんなことをする子がいたのか。

 多少は心配だった。が、まずはその前に抗議だ。

 結果は駄目。

 温情など無かった。なんて冷たい人間天使なんだろう。判決を下したほなみと全く同じ顔をした校長を呪った。

 映像記録が出回っている以上、ほなみは切られる道しか無かった。

 忘れちゃいけない。第三世代(ほなみ)の代わりなどいくらでもいた。

 今後も問題を起こしそうな者は即座に切り捨てるべき――というのが学校側の判断だった。

 そうしてほなみはメールアドレスを交換したばかりのゆづきに記念すべき初メールを送った。

《あなたとのことがバレてクビになった。どうしてくれるの》

 半ばやけっぱちだった。思わず彼女にあたるような内容のメール。

《ゆづきが一生養ってあげる!!》


 こうしてほなみは現在に至るまで無職である。




 会場に到着。

「はあー……やだなあ」

 何度目かの溜息。

 思ったよりちゃんとしている。

 ただの居酒屋かと思っていたが、純和風の格式張った料亭だ。入りにくいことこの上ない。

「行こう」

 ――笑われてもいいや。仕事はきっちり果たそう。一枚くらい売れたらいいよ。

 どうにでもなれ。覚悟を決めて料亭の門を潜った。


「全部売れた……」

 久しぶりにお酒を飲んで気持ち悪くなった(アルコール飲料による酩酊機能は第二世代から実装された)が、気分は晴れやかだった。

 十二時。全てが終わり、ほなみは再びベッドに崩れ落ちていた。

 ゆづきの言う通りだった。

 想像以上に温かく迎え入れられた。ほなみが元生徒たちの集まる部屋に入った途端、何人かの女子が抱きついてきた。「せんせー! 合いたかったー!」「先生だー!」と。

 男子も女子も人間と違って、姿かたちは当時とまるで変わらない。

 そういえば自分の生徒は良い子たちばかりだったな、と改めて当時を思い出した。

 もちろん、ゆづきとのアレコレは話のネタにされたが、みんながゆづきの言った通りのことを言っていた。先生の話が好きだった、と。

 ゆづきとほなみとのやりとりを隠し撮りした生徒が誰なのか最後まで気掛かりだったが、クラスメイトの話によると、あれはどちらかと言うと、ほなみのことを好いていた生徒がやったことらしい。どういうことかと問い質せば、その生徒が、ほなみと仲の良さそうに見えたゆづきに嫉妬にし、ほなみからゆづきを離れさせる為にやったのだとか。結果的にほなみが学校から離れることになってしまい、学校に抗議するも聞き入れてもらえず、その生徒は意気消沈して学校を卒業していったのだとか。

 ――なんとまあ。

 そんなに好かれていたのか。自覚がさっぱり無いのも考えものだと思った。

 名前を聞いてみても知らない生徒だったからさらに驚いた。


 なんにしても売れた。

 アイドルなんて存在事態知らない子ばかりだった。なので、その場で人間たちが歌って踊る昔の映像を見せて、さらにほなみたちが歌う曲も聴かせた。

 これを先生がやるのかと、失笑されるかと思いきや、絶対に見に行きたいと言ってくれた。仕事の都合で行けないという子もいたが、知り合いと一緒に行くからチケットちょーだいと、何枚かセットで買って行く子なんかもいたりして。

 報われた気持ちだった。

 ――本当に。行ってよかった。

 明日からは練習だ。

 見に来てくれるあの子たちのためにも、完璧なものに仕上げないといけない。

 そう思い、微睡みに身を任せた。


「完璧なのがよくないんだ!」

 翌日。一九時半。

 ゆづきが五人で踊る映像を見て叫んだ。いつだって唐突だが、いつだかよりも言っていることの意味がわからずほなみは困惑した。

「え、と? ゆづき? どういうこと?」

 うん、と言葉を探すようにしてから、ゆづきは激しく汗をかき息を吐くトレーネのメンバーに向かって言う。

「ほなみん。覚えてる? ほなみんが泣いてたあのアイドル番組」

「え? そりゃもちろん」

 記憶を探るまでもない。

 とある敏腕プロデューサーがアイドルグループを結成するに当たり、一般公募を番組で掛けて、オーディションを行い、グループの結成からCDデビューまでを追うというもの。ゆづきがアイドルを志そうとしたときに送ってきたテレビ番組だ。アイドルを目指す切っ掛けとも言える番組である。

「あれさ! すっごい感動したよね! ゆづきたちはさ。あの子たち以上に一からやってるよね? 絶対あの子たちより凄いと思うの! でも、なんか魂込もってないな? なんでかな? あの子たちの方が全然凄い。って、ずーっと、ずーっと考えてたの!」

 そういえば初めて村雨の考えた振り付けでオリジナル曲を踊った時、ゆづきだけが一人考えに耽っていた。

「聞き捨てならないわね。私のダンスの何がいけないと言うのかしら?」

「イリス様。あのね? ゆづきたち人間天使ってさ。データをインストールして、それを元に完璧に、忠実に踊るよね。スペック差があるから多少の動きの違いはあるけど」

「それが?」

「それがよくないと思うの。なんかつまんないんだよ。ゆづきたちのこれ。

 人間の踊りってさ。ミスもするし、完璧じゃなかったりもするけど必死に覚えるでしょ? それこそ、頭だけじゃなくて身体で覚えるっていうくらいに」

 立ち上げたディスプレイにはトレーネ五人の踊る姿が映っていた。ゆづきの言う通りダンスのミスは一人だって見られない。歌や詩はもちろんのこと、音程から抑揚に至るまで全てが完璧。それ用に作られた人間天使じゃない為、プロに比べればキレの無さなど多少見劣りはするものの、やはりぴったりと息の揃ったダンスに歌だ。これの何がいけないと言うのか。

「……よくわからないわね。どういうこと?」

「例えて言うなら、今のゆづきたちってプロと同じ土俵で戦っちゃおうとしてるんだよ。踊りの上手い子も歌の上手い子もたくさんいるのに。

 アイドルってさ、やっぱり魂だと思うの! お客さんたちはこんなにかわいらしい女の子たちにドラマ性とかを求めてると思うの! イリス様なら分かるでしょ?」

 ――どういうこと?

 ほなみはまだピンと来ない。

 ただ、イリスには少しずつゆづきの言ってることがわかってきた様子だ。

「……ああ、普段の私たち、人間天使では決してしないような方法を使って歌と踊りを覚えれば、踊りに多少のズレ、歌に僅かな音程のズレが生まれる。そして、観客はそこに私たちの努力の跡を見る。そこにドラマ性やストーリー性を見出す。なるほどね……考えもしなかったわ。うん、でも確かに今の音楽やダンスに欠けている要素の一つかもしれないわね……いえ。欠けているからこそ良いというのかしら……」

 イリスは人間たちと生きてきた時間がこの中の誰よりも長い。

 感覚としては理解しやすいのだろうか。

 いや、むしろ、そちらの方がより好みに近いのかもしれない。

「やっぱりね? 人間と人間天使で違うのってそこじゃないかなって思うの! 綺麗ぴったりに揃ってないからこそ、一人一人違っているからこそ、その人間天使が重ねてきた努力の跡が見えるような気になるんだよ! 自分も頑張らなくっちゃ、負けてられないぞって思えるし思うの! 歌詞の内容に思わず共感しちゃって、そんな共感から感動が生まれたりもするんだよ! だからこそ、アイドルってより身近に感じられるんじゃないかな!?」

 データを元に忠実に再現している、目に見えて五人全員ズレの無い完璧な歌とダンス。

 片や、五人それぞれの歌や動きにズレがあり、統一性は無く、しかし、見た者によってはそこに本人たちの努力の積み重ねが垣間見える歌とダンス。

 どちらが優れているかと問われれば、前者なのだろう。だが、見る者によっては後者の方が響くかもしれない。いや、現にほなみはあの映像を見て思わず泣いてしまったのだ。

 目には映らない努力。だけど、それが見た者の想像を掻き立てる。そしてその努力がイリスの言うドラマ性やストーリー性に繋がる。だからこそ、完璧ではない人間の歌やダンスにほなみやゆづきは感動した。

 想像してみる。

 ほなみがもし観客だったとして、自分と同じ第三世代がデータを元に歌やダンスをしていたらどうか? ――たぶんなんとも思わないだろう。ふうん、で終わりだ。

 けれど、同じ第三世代がデータインストールすること無く歌やダンスを覚えていたら? 素直に感心するかもしれない。心を突き動かされる――かもしれない。

 そこに彼女の努力の跡とやらを見るかもしれない。

「そ……い……う」

 村雨が眼から鱗が落ちたかのような顔をしていた。

「……村雨?」

「……そっか。そうだったんですね……だからわたしたちは失敗したんだ……そうじゃなかったんだ……そうだったんだ……完璧にやろうとして、でも駄目で、どんどん複雑にしていったけれど……でも全部間違ってたんだ……違ったんだ……最初から間違ってたんだ」

 誰にともなくひとりごちる村雨は、やがて顔を覆い目元を拭った。その顔に涙の跡は見られない。どうかしたの――そう訊こうとしたが、ほなみは言葉が出てこない。

「しかし、ゆづき様」

 くらのが言う。そうだ。

 ほなみにも、ゆづきとイリスが言ってることの意味が何となくわかってきた。

 だが、現実問題としてそれをしてしまうと――。

「ゆづき――まさか、歌とダンスのインストールデータを消去して、身体の動きと記憶だけで今から覚え直ししようってこと?」

 記録じゃなく、記憶。それは人間天使、いや、ロボットにとって大変な労力だ。

 ゆづきはいつもの調子で答えた。

「そーいうこと!」

「……今から?」

「うん! ゆづきはそうするつもりだよ! ……みんなは、どうしたい?」

 重苦しい沈黙が流れる。

 そういう手法を取らないのが人間天使なのだ。

 ゆづきが言ってるのは、今まで当たり前だったことを自ら手放そうということ。

 反復練習をして身体で覚える? 見て頭だけで理解する? この短期間で十曲をまた一から覚え直す?

 私たちは人間天使だ。決して人間ではない。

「言いたいことはわかるわ――でも、やったことはないわ」

 あの、いつも自身満々なイリスまでもが悩んでいた。

 学校でもそうだ。データをインストールし、それの応用方法や、使い方を学ぶのが今の学校の在り方だ。今はどちらかと言えば、道徳や情操教育の方が学校の意義として大きい。

 見て、聞いて、身体で覚える。

 それは人間のやり方だ。

「やります!! やりましょう!! そうした方が絶対に良いです!! そうするべきなんです!!」

 村雨は思いつめたように言った。

「そうです!! わたしたちと人間のアイドルの違いってそこだったんですよ!! 今までずっと、ずっと、気が付けなかった……!! わたしはやります!! 絶対に!!」

「……どうしてそこまで」

 村雨の気迫にみんなが驚く。

「すいません。取り乱しました。でも、わたしはゆづきさんの言った方法でやってみようかと思います」

 村雨は決意を込めた瞳で言った。

「ふう……わかったわ。私もやるわ。やってみないとわからないものね」

「くらのはお嬢様がそう言うならそれに従うまでです」

 主従コンビも追随する。そうなると後はほなみだけ。

「ほなみんはどうする?」

「……どうせ私は無職だし。覚える時間ならいっぱいあるから」

 皆までは言わない。けれど捻った言い回しはゆづきに伝わらなかったらしい。

「どゆこと?」

「……やるってこと」

 自らを卑下しただけになってしまった。

「よーし! そういうことなら早速っ」

 そう言いながらゆづきはディスプレイを表示した。

 画面に映っているのは最近になってインストールされたデータ。

 ゆづきに習って、ほなみたち四人もインストールデータを開く。トレーネと名付けられたフォルダには、振付、歌詞、曲の音程から抑揚に至るまで、ここ最近になってゆづきと村雨から送られてきたデータが全部詰め込まれている。これを一旦削除し、体で覚え直そうというわけだ。そこに掛かる時間と労力を想像し、思わず目眩がする。

 ないわけじゃないのだ。

 インストールせず身体で覚えるというやり方も。普段の生活でやっていると言えばやっている。例えば、近所にあるスーパーまでの道のり、買い替えた電子機器の使い方等……わざわざデータをインストールせずとも、それまでの経験や知識で覚えられること。

 だがそれとこれとは違う。まず容量からして違っている。データにすると膨大だ。

 生唾を飲み込む。緊張が解れるわけでもない、むしろ緊張するだけの行為。

 ――怖い。

 あの子たちを失望させてしまわないだろうか。同窓会で嬉しそうにチケットを買ってくれた元生徒たちを思い出す。

 でも。だからこそ。やらねばならないのか。

 ほなみは他の四人を伺うこともせず、データを削除した。

 頭と身体から、スッ――と、何かが抜け落ちていく感覚がする。削除した時点でそれの詳細は思い出せない。ほなみと同じように少しぼーっとしている四人を見て、ああ……今削除したデータをまたこれから覚え直さないければ、と改めて思い出した。


「みんな、終わった? うん。じゃあ、一旦曲に合わせて覚えてるかどうかやってみよう」

 ゆづきが言った。

 そうだ。データは削除しても、感覚では覚えているかもしれない。


「…………はあ」

 駄目だった。

 ボロボロだった。

 完璧だった歌とダンスは、歌詞はうろ覚えで音程は外れ、振付はところどころ飛んで、立ち位置の入れ替えでは身体がぶつかって終始ぐだぐだだった。

 ほなみが「下手」「こっちは子供向け?」と言い放った中年男性と少女たちがどれだけ凄いことをしていたのかを思い知る。

 ――これを全部体で覚える?

「人間って面倒くさいのね」

 比較的振付が簡単だったイリスとほなみでさえこれなのだから、ゆづきたち三人の負担は相当だろう。

「むずかしーいー! みんなには悪いけど、お家でもやってきてね! たぶんこの練習だけだとどうにもなんないかも!」

 ゆづきの言う通りだ。平日二、三時間合わせる前に、個人個人で覚えてこなければどうにもならない。倍、いや、一日中練習して足りるかどうか。


「早くモノにしなければレコーディングとPV撮影にまで手が周りませんね」

「うーん……くらのちゃん、ホームページってもうできてる?」

「ほぼ完成しております」

 くらのがディスプレイを立ち上げた。

 ――これがトレーネの公式サイト。

 白地に各種項目が並ぶシンプルな作りだ。プロフィールページにはメンバーそれぞれの名前、世代、写真が載っている。写真はこの前の練習で撮影したものを使用している。

 他にライブ告知、映像、音源という項目も並んでいるが、そこはグレーアウトしていた。

「張る素材がありませんので」

 音源は一応録音したが、先ほどの件もあって、また録り直しだろう。

 それに映像とセットで無ければ曲は聴いてさえもらえないことが多い。ルックスとダンスが重要な要素であるアイドルならば尚更だ。PV撮影はライブ前に済ませておくべきか。

 サイトを眺めながらゆづきが皆に向かって訊いた。

「ちなみになんだけど、チケットってどのくらい売れてるのかな?」

「現時点で九十三枚になりますね。五十枚がほなみ様、三十五枚がゆづき様、お嬢様が三枚になります」

「ほなみんのおかげだね……でもこのままじゃマズいかも」

 ライブまで残り三週間。

 ゆづきには同窓会の件は伝えてある。行ってよかったとも伝えた。

 しかし、ゼップ東京は三千人弱の客が入る。このまま当日までただ練習を繰り返していたって赤字は確実だ。イリスとくらのとほなみには生活も掛かっている。どうにかして成功させなければならない。

「…………」

 ゆづきがまた思い悩んでいるような気がした。トレーネで初めてオリジナル曲を踊ってみた時と同じく、何か気になっていることがあるのかもしれない。

「どうしたの? ゆづき?」

 気になって訊いてみた。以前のように抱え込まれても困る。

 ゆづきは一度ほなみを見つめると、何か企んでいるような顔で笑った。そしてほなみから目線を逸らし、トレーネメンバーに向けて言った。


「みんなに相談があるんだけど――」

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