第七章 最悪の事態からの問題発生からの問題発生
「「「は?」」」
ほなみ、ゆづき、村雨の声が綺麗にハモる。
「イリス様……? 聞き間違い? ゼップ東京って聞こえたんだけど……じょ、冗談だよね……? ね?」
幽鬼の如くゆづきが立ち上がり、ふらふらとイリスに詰め寄るが、そんなゆづきを一蹴するようにイリスは不敵に笑う。
「そのまさかよ! 冗談やドッキリなんかじゃないわ! あの! ゼップ東京で私たちのライブが今日から四十三日後に開催されるのよ!」
……四十三日後?
メンバーの中でも普段は比較的落ち着いている村雨までもが立ち上がってイリスに抗議する。
「ば、馬鹿じゃないですか馬鹿じゃないですか馬鹿じゃないですか!? ゼップ東京なんて下手なホールよりお客さん入りますよ!? しかも四十三日後って……あと一ヶ月半もないじゃないですか!?」
「なによー。馬鹿ってことはないでしょ? この前決まったでしょう? 早く成果を出さなくちゃーってえ~。このままじゃマイナス分が嵩む一方でしょう? それに期間だってだいたいそのくらいで良いって自分たちで言ってたじゃない」
「そうですけど! 場所が場所ですよ! だいたいあんな巨大ライブハウスをどうやって借りたんですか!? 予約だっていっぱいあるでしょう!?」
「オーナーが第三世代の子なのよ。アルバイトの子に第一世代もいるし、昔っから知り合いが多いのよねー。あそこ」
忘れかけていたが今のこの時代で誰よりも長く生きて抜いている人間天使だ。第一世代の子はみんな家族みたいなものとも言っていた。
「あの。ゼップ東京ってそんなに凄いのですか? くらのは壊れる前も音楽などにはあまり詳しくなくて……」
おずおずとくらのがほなみに尋ねてきた。ディスプレイを表示させ、ゼップ東京で検索を掛ける。
「私が生まれる前からやってる超々有名どころ。ライブハウスにしては珍しく観客席が一階席と二階席で分かれてる。そのくらいお客さんが入る。間違っても新人が一発目にライブをするような場所じゃない。だいたい費用だって馬鹿にならないはず」
ほなみの解説を聞いてようやく思い至ったのかゆづきが問い質す。
「そ、そうだよ! いくら知り合いだからって、借りるにしても無料(タダ)じゃないでしょ! お金はどうしたの!? イリス様、貯金三十二万しかなかったよね!? ゼップなんていくらすると思ってるの!?」
「一日貸切、設備、人件費、セット代諸々含んで二百八十二万円だったわね」
「に、にひゃくはちじゅうに……お、お金は? そのお金の出どころは?」
「借りたわ」
イリスはあっけらかんと言った。
「「「「へ?」」」」
全員の顔が引き攣る。
「イリス様……? 借りたってどこから……? 知り合い……?」
「馬鹿ね。知り合いにお金なんか借りれるわけがないでしょう。お金を借りるならちゃんと借してくれる機関があるじゃない? ずばり――街金よ!」
くらのが倒れた。
「くらのさん! しっかり!」
咄嗟に近くにいたほなみが彼女の身体を支える。白目を向いていた。
街金。大手ではない中小企業の消費者金融機関である。通常、金を借りるにしても、借り主に対して審査が掛けられる。イリスは登録上こそ、伝説の人間天使であるが、現在無職。例えお金を借りたくても、返してくれる宛てがなければ、金融機関だって首を縦に振らない。そこで審査の比較的甘い中小企業の街金に目を付けたのだろう。
イリスが独断でしたこととはいえ、それだけの大金をイリス一人に負担させるわけにもいかない。トレーネのライブなのだ。昨日のように全員で折半することを考えると、一人当たり一体いくらになるのか? 考えるだけで恐ろしい。
そして中小の街金など、利息が幾らになるのか知れたものではない。恐らく法律ギリギリまでパーセンテージを上乗せされているだろう。なんてったってイリスは世間知らずの超が付くお嬢様みたいなものだ。
「イ、イリス様!! 昨日ゆづきに言ってたよね!? お金に対してあんなに厳しく!」
「そうだったかしら。忘れちゃったわ」
「ええ……」
ゆづきが困惑する。そうだ。初めてイリスに会った時にくらのが言っていた――「お嬢様はなにごとにも一生懸命ですが、運動性能、知能は現行の皆様よりも著しく劣っているのでそこはご容赦ください」と。
ご容赦のできない金額である。
「ゆづきさんも言ってたでしょう? 必要経費よ」
「わかるけどさ! わかるけどさ! もっと他に小さいところとかいっぱいあるじゃん!」
「甘い! 甘いわ! みんな!」
イリスは、バッと片手を広げる。
「小さいところでこつこつやっていても、雀の涙程度にしかならないわ! まずは大きいところでドカンと一発、花火を打ち上げて、そこから口コミで一気にネットで拡散! そっちの方が手っ取り早いわ! それに、私たちにはネームバリューがあるでしょう?」
思考がギャンブラーのそれである。
世間知らずのお嬢様。今の時代、娯楽などありふれているのに。
「ネームバリュー?」
村雨がそんなのありましたっけ? と続けた。
「私がいるじゃない! 伝説のイリス・アイよ! 今までは開発局なんていうお役所にいたから表に出て来れなかったけれどこれからはガンガン出ていくわ! それに、ゆづきさん! 日本だとメタルってマイナーなジャンルだって思っていたけれど、調べてみたらあなた、結構人気みたいじゃない? ドームでライブしたって記事を見たわよ。ゆづきさんがアイドルとして活動するなんてそれだけでもインパクトがあると私思うの」
「……やったけど。でもそれはサドンデスだからだよ……。だいたい一バンドのギターなんて単独人気さっぱりなんだから。分かってない。分かってないよ、イリス様。それにゆづき、キャリア浅いんだから」
ほなみだって長年生きている為、ゆづきの言いたいことは分かる。人気グループの一人がソロでやってみたら驚くほど人気が出なかったなんて例は枚挙に暇がない程だ。それだけ厳しい世界なのだ。
「……キャンセルはできないんですか?」
村雨が訊いた。
「可能よ。キャンセル料で数十万取られるけど。あ、違約金とかもあったかしら」
それはそうか。人気のライブハウス。一夜で三千人近く集まるとなれば、かなりの収益が見込めるだろう。時期も一ヶ月半後となれば、元々埋まっていたところをイリスが無理を言ってねじ込んだのかもしれず、そこからさらにキャンセルとなれば、この短期間にまた出演者を見つけるのも一苦労。
「それに、私たちはグループなのよ? ギャラだってみんなで仲良く五等分」
忘れていたわけではない。イリスに言われて改めてその事実を認識する。ほなみたちのような新人が一からこつこつ活動して、それなりの利益が見込めるのは一体いつになるのだろう?
ほなみも貯金はあるが、再就職できる見込みがかなり怪しい。なんたって問題を起こした経歴がある。くらのにも第二世代という肩書がある。イリスにはそもそもまともな仕事が務まるのかさえ怪しい。人気が出始めた頃には仲良く三人で野垂れ死に。なんてこともあり得る。
「イリスさん、実際に現地に足を運んでもらうのってすごく大変なことなんですよ? ネットでいくらでも新しいアーティストの曲は流れてきますし、アイドルなんかより、もっと歌が上手くって、踊りが上手で、その両方が上手い人たちだって大勢います。そこはわかっていますか? ちゃんと理解しているんですか?」
村雨が何時になく真面目な口調でそう告げる。イリスは笑う。
「わかるわけないじゃない? だって私、アイドルなんてやったことないし。知らないからこそ、ここまでやっちゃったんじゃないかしら」
まるで他人事みたいだ。
「……はあ。またですか……」
村雨が何事かを呟いたが、意味はわからなかった。
静寂が場を支配する。
「……わかりました。やりましょう」
意外にも一番最初に同意を示したのは村雨だった。
「わかった! ゆづきやるっ! こんなチャンス滅多にないもん! ……そう思うしかない」
呼応するようにゆづきも青い顔をして賛同を示す。
ほなみの腕の中でぐったりしていたくらのもおもむろに起き上がった。
「くらのは、お嬢様に付いていきます……どこまでも……再廃棄は御免蒙ります」
「大丈夫よ。来月の給料だってまたこれから振り込まれるし。そのくらい私だって考えてあるわ。とりあえず、ゼップ代は私が一旦出しとくから」
「お嬢様。来月のクレジットカードの請求忘れておりませんか?」
「……いっけない。ぬかったわ」
「ぬかるみ過ぎですよ……お客様が入らなかったらどうするつもりなんですか……」
「日本には生活保護という便利な制度があるのよ? 知ってた? 私、昨日知ったの」
「……村雨様? 修理所にて、アルバイトなどは募集しておりませんか?」
イリスの言葉をガン無視し、くらのは村雨に尋ねた。
「バイトですか? うーん。わたしのところもギリギリですからねえ。まあでも、くらのさんはそもそもわたしが復活させたせいなのもありますし……少ないかもしれないですけど出せますよ? 一人で暮らしていくくらい金額ならなんとか出せると思います。くらのさんのスペックは把握してるので仕事もお任せやすいです」
「……お世話になります」
村雨の言葉にくらのが丁寧に頭を下げる。
「私も働いてあげてもよくってよ!」
「イリスさんは不採用です」
「あら、つれない」
即答してそれ以上の話題を打ち切った。
「それで? ほなみんは?」
ゆづきは「ほなみんもやるよね」とは言わない。
悪魔でもほなみの意志を尊重するつもりだ。
泥舟かもしれない。
なんだかんだで、皆、元のスペックは高い。そんな中、ほなみは何の特徴も無い第三世代。
それでも――。
「やるよ。ここまでとことん来たらやる」
一同なんとか落ち着いた。と言うより、現実を受け入れ始めた。各々気が抜けたのか誰からともなく溜息を吐いた。ヒートアップしていた頭を冷やす。冷静になる。しかし、よくよく考えてみれば、圧倒的に足りてないものがあった。いいや、本来ならば問題も無い筈なのに、押さえた会場のせいで新たな問題として立ち上がってしまった。
ある意味観客を呼び込むよりも大変かもしれない。
ゆづきが告げる。
「ねえ。曲数。五曲って絶対に足りないと思うの」
村雨がマズいことに気づいたというような表情で口を抑えた。
ほなみは首を傾げる。
「なんで?」
素直に訊いた。イリスもくらのもまだよくわかっていないという顔をしている。
「ざっくりだよ? 開場が十八時。ライブが十九時から始まるとして二十一時まで。だいたい二時間前後? オリジナル二曲にコピー三曲。三十分も無いよ?」
「休憩無しでやることないでしょ?」
「MC入れたってせいぜい四十分が限界。アンコールで同じ曲やったって足りない」
MCとはマイクパフォーマンスの略のこと。曲が終わった後に演者が観客に向かって話す時間である。あまり長すぎると客は冷める。しかし、アップテンポな曲は三分強で終わってしまうし、バラードでもせいぜい五分ほど。今のレパートリーでは絶対に時間が余る。ゆづきはそれを指摘している。
「最低でも十曲は欲しい。十でも足りないかも」
――今から?
「べつにさっとやって、さっと終わればいいじゃない?」
イリスが言った。
「それでお客さんは満足してくれるの? チケットだって五、六千円するんだよ? ゆづきだったら行きたいと思わない。オリジナルが二曲しかない、すぐに終わっちゃうライブなんて」
ライブに足を運ぶということは、期待だってあるだろう。これからって時にライブが終わってしまったら興醒めもいいところだ。もう二度とトレーネのライブには足を運んでくれないかもしれない。
「曲を増やせばいいんでしょう?」
「簡単に言うよね、イリス様は。そんな簡単に曲が増やせたら苦労しな――」
イリスの言葉に愚痴のように答えていたゆづきだったが、何かに思い至ったのか固まる。
「ゆづき?」
ほなみが声を掛ける。それでも、ゆづきは上を見上げたままの姿勢を崩さない。
バッテリー切れ? なわけないか。
そのまま三十秒ほど過ぎただろうか。ようやく動き出したゆづきは、ゆるゆると正面に向き直り、突然一同に向かって叫んだ。
「サドンデスがトレーネの前座やるよ!」
――前座。
メインステージの前の客席を温める為のパフォーマンス役。通常、実績の無い新人やメインステージを飾るアーティストの後輩などが務めることが多い。が。
ゆづきはそれを自分が所属している「サドンデス」がやると言っている。
先ほども言っていたが、ドームライブをするようなビッグバンドである。本来ならトレーネが前座をするべき……どころか、同じステージに立つことなど考えられない。
「うん。そうだよ。これなら少しは時間も埋まるし」
一人納得したように頷くゆづきだが――。
「いいの? スケジュールだってあるでしょう?」
ほなみは訊く。そんなに暇なバンドじゃないはずだ。
「しばらくは空いてるよ? この前のドームで一旦ツアーが終わったから。今休憩中」
「だとしたって、お金が……」
依頼するにしても、既にマイナス三二〇万二千円。さらにそんなビッグバンドに依頼なんてしたら、一体全体いくら掛かるというのか。
――いや、もしかしたら、サドンデスなら……。
「ちょっと待ってて」
ほなみがそう遠くない記憶を呼び起こしている最中、ゆづきがディスプレイを立ち上げた。表示は音声通話、相手はしょうこ。サドンデスのボーカルでありリーダーだ。
「もしもし、しょうこちゃん……実は――」
ゆづきが立ち上がり、部屋を出て行くと、イリスを除く三人に重苦しい沈黙が下りる。イリスは一人立ち上がって昨日村雨に送付された振り付けの練習をし始めた。きゅっきゅっと、ステップに合わせて磨き上げられた床が擦れる音が響く。
五分ほど経過した。扉が開く。
「しょうこちゃんやってもいいって! 出演料は無しでもいい。物販ブースにこの前のツアーグッズの余りだけ置かせてよだって!」
ゆづきの報告に一同一安心する。
「それはもちろんいいけれど……凄いわね。人気バンドが前座を引き受けてくれるなんて」
「ゆづきの踊って歌う姿見てみたいって。他のメンバーにもおっけー貰ったし、事務所からもおっけー出たよ」
仲の良さそうなバンドだし、そういうこともあるかもしれない。今さらだがゆづきのアイドル活動について事務所側にも許可がちゃんと下りていたんだなと、ほなみはホッとした。
「あのー大丈夫でしょうか?」
そして、言い辛そうにおずおずと村雨が手を上げた。
「どうしたの?」
ほなみが問うと意を決したように話し始める。
「いえ。良く見るんですけど――人気バンドが前座を務めると、それ目的でお客さんが私たちのライブを見る前に帰ってしまうんじゃないかな、と……。メタルバンドとアイドルですよ? 客層だって大分違うでしょうし……」
「ああ」
若干ニュアンスは違うかもしれないが、ほなみもニュース系サイトなどで目にしたことがあった。数々のミュージシャンが出演する音楽フェスティバルなどで、目当てのミュージシャンが出演するまでに、最前列に陣取ってまるで動かない連中。ネットではその姿から地蔵行為と、蔑称まで付けられている。
彼、彼女らの嫌われる要因は最前列を陣取る以外にももう一つあり、お目当てのアーティストの出番が終わるとそそくさと帰ってしまう点だ。次に出演するミュージシャンも周囲の客も決して見ていて気持ちのいいものではない。
「曲数問題もチケット問題も解決できる最高の手だと思うんですけど、サドンデスのライブが終わった途端、お客さんみんなが帰ってしまうんじゃないかなって……」
「今から心配してても仕方ないんじゃない? どうせ私たちなんて無名なんだし、お客さんが一人でも残っていればラッキー、くらいの気持ちでいいと思う」
「あはは……、ほなみさん本当はっきり言いますね。まあ、それもそうなんですけどね」
「うーーーーーーーーーーーーーーーーん」
浮かない顔の村雨。ゆづきは音楽フェス出演経験もある。実際に見てきた光景を思い浮かべているのか、自身のバンドの人気も把握しているのか、その指摘に悩んでいるようだ。
そうは言っても曲数問題という壁は大きい。懸念されるべき問題だとは理解していても、ノーギャラで出演してくれて、尚且つ、集客力がありそうなミュージシャンなど、他に探しようがないし、無名であるトレーネには取れる手段が元より少ない。
「良い手があるわ」
イリスが腰に手を当てて偉そうに言った。
「良かった試しがないです」
「そこ。黙ってなさい」
最早村雨はイリスに対してまるで遠慮が失くなっている。仲が良いのか悪いのか。
「ゆづきさんが最初に聴かせてくれた曲があるでしょう?」
「最初って――アレ?」
イリスの指摘にゆづきは「本気?」と問いた気な顔をする。
「あれって?」
察しは付いたがとりあえず訊いてみることにした。
「最初にゆづきさんが聴かせてくれたオリジナル曲があるでしょう? まるでアイドルっぽくないヘビメタよ」
ゆづきが五人が会ったばかりの時に、「そう言われると思ってゆづきが作ってきたの!」と聴かせてくれた曲。まるっきり激しいヘビィメタル。アイドルソングとは似ても似つかないあの曲。
「あの曲を一曲目に持ってきましょう。サドンデス目当ての客をアレで引き止める。まあ、インパクトもあるでしょ?」
「なるほど……。確かにサドンデス目当てのお客さんの興味は惹けるかもしれませんね」
本気で関心したのか村雨がしきりに頷く。
だが曲を作った張本人はさっきまでの村雨が感染ったみたいに浮かない表情だ。
「いいの? ゆづきはいいけどみんなは嫌じゃない? もともとアイドルって言って集まってもらったのにメタルだよ?」
「別に構わないわ」
「くらのも問題ありません」
「サドンデス好きだから私はむしろ嬉しいけど」
一も二もなくみんなが同意した。曲を選り好みできるような状況でもないということもあるが言わぬが花だ。
「……あは。ありがと! そうと決まれば、一曲目はサドンデスがバックバンドやるよ! ゆってもゆづきは踊っててギター弾けないから録音になっちゃうけど。あ、そだそだ。しょうこに弾いてもらえばいいや」
サドンデスのしょうこはギターボーカルである。普段はリズムギターに徹していた。
「さてと。じゃあ、このまま残りの曲をどうするか話し合いましょうか」
と、イリスが場をまとめた。
「やっても前座だから五曲がせいぜいだよ? メインはゆづきたちだもん」
「ゆづきさん。さっきのタイムスケジュール通りにいくならあと何曲必要なの?」
「うーん……でも変わらないと思うの……。十曲は欲しいし」
「じゃあ、コピーする曲をまた決めないといけないわね」
「二曲がオリジナル。八曲、コピー……」
村雨が呟く。
――へんなの。
「へんなの」
村雨の呟きに、ほなみは素直に思ったことをそのまま口にする。
「あ、ごめん。なんでもない」
「いいわ。ほなみさん。どこがへんなの?」
イリスに問い質され、仕方なしに口にする。
「……だって、私たちの場合、演奏するわけじゃないから昔の曲をただ流してそれに合わせて歌って踊るだけでしょ? 往年の名曲ってことなら盛り上がるかもしれないけど……何曲も続けば飽きない? ていうかそれってカラオケじゃないかなって。アイドルって言うよりは」
アイドルというよりは歌い手踊り手のようだと思ってしまった。もちろんそこに明確な線引など存在しないのだろうが。それでも、あの当時の人間たちのTV番組を見てしまったほなみは、アイドルとは己の持ち曲で勝負する存在だと頭のどこかで刷り込まれていた。
スターアイドルに憧れ、既存の人気グループの人気楽曲を真似して歌って、自身もそうなりたいと願い、受けたオーディションで勝ち上がって初めてプロデューサーに聴かされた自分たちのオリジナルソングに舞い上がるあの瞬間、あの表情。
今度は真似も何も無い。全てがオリジナルなんだ。参考にするものなどなくて、自分たちで楽曲を育て上げ、自分たちのモノにしていかなければならない。
そう、あの熱く、熱く、こちらまで彼女たちと想いを共有してしまうようなあの姿――。
そうだ。そこに魂が宿り、熱が生まれるのだ。
歌い手、踊り手という文化はある。
プロとして活躍する子たちだっていて、彼ら彼女らもそこにそれぞれ熱いモノを見出しているのだろう。
しかし、それは始めゆづきとほなみが目指していたアイドルなのか?
違うのではないか。そう思うと言葉は止まらなかった。
そんなことを、気づけばゆづきに向かって全て話していた。止められなかった。
「――アイドルをやる上で必要なのは魂、熱量なんでしょ?」
コピーに魂と熱量は込もっているのだろうか? 昔のアイドルの魂なら宿っていそうだが、トレーネとしてはどうだろう。そう思ってしまうのだ。
誰に言ったつもりでもない。思ったことをそのまんま口にしただけなのに、ゆづきの言葉を借りた為、ゆづきを責めているような形になってしまった。
「あっ。ごめん。時間ないこと分かってなかっ――」
「うううううううううううううううーーーーーーーーー!! もうっ! もうっ! ほんとーにほなみんはっ。ほんっと、思ったことそのまんま言ってくるよね! そんなだからもう! うううう。わかったよー!! 作るよ!! 今から!!」
ゆづきが感情が爆発し、瞳の☆マークが光る。やけくそと嬉しさが入り混じったような声音で、ゆづきはそのままほなみの胸に飛び込んできた。
「む、むう?」
なんだかよくわからないけれどゆづきは喜んでいる? ほなみは自分でも自分の言った言葉がゆづきにどういう感情の変化をもたらしたのかいまいち分かっておらず、飛び付かれても感謝すればいいんだか、謝罪すればいいんだかわからない。
「うえええ? 今からですかあ? それってわたしも振り付け考えるんですよね?」
そんなわちゃわちゃやってる二人を他所に村雨が泣き言を漏らす。
「もちのろん。よろよろ村雨ちゃん。逐一連絡するから。あの時聴かせてなかったけど、もう一曲メタル作ってたの。バンドに使いまわしちゃうか、お蔵入りかって悩んでたけど」
胸元でゆづきがもぞもぞ言った。
コピー曲ならば、元々有る振り付けを踊るだけで済むのだが、オリジナル曲の場合、一から振り付けを考えなければならない。当然村雨は曲が出来てからではないと動き出せない為、作業負担が大きい。
「じゃあ、そのメタル曲も使うってことで。冒頭に二曲も持って来るよりは散らしてサドンデスファンを離れさせないようにセットリストに組み込みましょう」
「お嬢様。セットリストとは?」
「演奏する順番のことよ」
――となると……。
「オリジナル四曲、昨日決めたコピー三曲。残り三曲……」
先程よりはだいぶ現実的な数字に思えてくる。
「あとは集客ね」
「あ! じゃあ! 早速SNSとかホームページで、トレーネのこと呼びかけとくね!」
「待ってくれないかしら」
「うん?」
「サドンデスが前座として出演することやバックバンドを務めることはギリギリまで黙っておいて欲しいのよ。どうしてかって言うと純粋にトレーネに興味を持って来てくれるお客さんを増やす為ね。サドンデスのネームをこの時点で出してしまったらそれこそさっき村雨が言っていたように一〇〇パーセント会場がサドンデスのファンってことになりかねないでしょう?」
「うーん……そうだね。わかった。でも結局ホームページは作んなきゃだよね?」
今の時代、ホームページを作ることなど簡単だ。そうなれば顔写真を載せる必要も出る。
結果的にサドンデスの八戸瀬ゆづきの存在はおおやけに出る。
「それはいいの。あなた個人のファンが集まるわけだから」
サドンデスのファンとゆづき個人のファンは違うということをイリスは言いたいのだろう。勿論、ゆづきは最近になって世代交代した新人ギターだ。一体、彼女個人のファンがどこまで付いてきてくれるか。
「チケットは何円で売るのかもう決まってるんですか?」
村雨がイリスに訊いた。
「時間も無かったから五千円って最初から決めてきたわ――そうね――五百枚でも売れればいいでしょう。そこからグッズでも買ってもらえれば借金をチャラにしてさらにプラスになる見込みもあるわ」
それじゃ足りないとは思ったが、誰も突っ込まなかった。第一世代の計算能力は一体どうなっているのだろう。いや。イリスが特別なだけか。
「じゃあイリス様? チケットの販売コードとアクセスページ、それからやっぱり手売り用の紙のチケットも欲しいかな。それをみんなに送ってもらって――……もうゼップの人からデータ貰ってたりする?」
「ううん、まだよ。わかったわ。すぐに依頼かけとく」
流石にゆづきは手慣れている。
このくらいは流石に大丈夫だろうか? イリスが何か自分から動くと言う度、ほなみは若干心配になってきている。
くらのも大変なんだろう。ひょっとして心労で壊れたわけじゃないんだろうけれど。
「さて。みんな。お客を呼び込む宛てはあるのかしら? 当然、私はあるわ! 第一世代の子たちと開発局の子たち。これだけで会場は埋まるくらいよ。まあ、そうは言っても? 会場が私のファンだけで埋まっちゃうのもみんなに悪いし? チケットノルマはみんなに平等に課しましょう」
イリスが胸を反らして自身満々に答えた。
「……イリスさんの言うことは、話半分にしておきましょう」
「ええ。収容人数が三千人なので……まあ、多めに見積もって三人から百人くらいだとして」
村雨とくらのがイリスに聞こえないようにこそこそと相談している。
「くらの? あなたネット関係詳しいでしょ? 宣伝用でホームページとか作っといて。顔写真はもう今日撮っちゃいましょう。ライブの日付とチケットページもあとで送るから。それからSNSとかもよろしくね。イリス・アイの名前は出しちゃっていいから。それと、メンバー紹介ページで私、一番上にしといてね」
「かしこまりました」
わがままなお嬢様だとほなみは思う。ノータイムで了承するくらのもくらのだが。
「じゃあ、ゆづきも個人的なSNSで宣伝しとくね。それくらいはいいよね? くらのちゃん、完成したらホームページ送って」
「はい……あの、くらのはお客様を呼び込む宛てがありません」
「同じくですー」
「私も」
くらのの言葉に村雨とほなみが続いた。くらのは生き返ったばかり。村雨は見た目は美人でもどこか変人のようだし、本人も友達は少ないと言っていた。患者に声を掛けるというわけにもいかないだろう。ほなみは無職で人付き合い事態が少ないし、友人らしい友人もゆづきくらいしか思い当たらない。
「ネットで宣伝、あとはもうビラ配りとか? リハーサル風景撮ってネットにアップしたり、まあ出来ることは色々あるでしょ。曲もさっさとアップしとかないとね」
ビラ配りとは随分アナログである。
「まあ、村雨は振り付け、くらのはネット系に徹してもらうって方向になるかしらね。役割分担として」
そうするとほなみにできるのはビラ配りぐらいしかないかもしれない。仕方ない。元のスペックの差がある。チラシのデザインなども誰かに頼まなければならない。
「……私はチラシ作るよ」
なけなしの貯金だが仕方ない。安くやってくれるところを探そう。
「いやいや。ほなみんにはもっと手っ取り早い方法があるでしょ?」
向かいにいたゆづきが突然そう言いながら立ち上がって、ほなみの肩に両手を置いた。
「え?」
――なにかあったっけ。
何も思い浮かばない。
「ほなみん。前は何やってったんだっけ?」
「教師だけど……」
「あ! そういえばこの前教師やってたって言ってましたよね! ほなみさんの教師姿、わたし、見てみたいです! 確か淫行で辞めたとかって――えっちな先生ですか? わたし、そういうの好きですよ? ひょっとして映像とかあったりします?」
「だから、それは」
相変わらず失礼な娘である。
そんな村雨に構わずゆづきがディスプレイを立ち上げていた。
「じゃじゃーん!」
「……まさか」
白地の画面には一通のメールが表示されている。見覚えのある文字列。そういえば、先日ほなみにも届いていた。迷わずゴミ箱に捨ててしまったそれ。
《同窓会のお知らせ。来る六月三十日。東京都立第一区第一中学校、第二百六十六期卒業生元一組による同窓会を開催致します。場所は料亭連里(レンリ)。参加費、時間等はこちら~》
「……これに出て宣伝してこいってこと?」
恐る恐る訊いてみる。なんでもなさそうにゆづきは答えた。
「そだよ?」
「ゆづきも行くの?」
「ゆづきは忙しくて行けない。ほなみん一人で行ってきて」
にっこりと。良い笑顔で。
「いやいやいや! 私、そもそも問題起こして教師クビになってるし! こんなの行けるわけない!」
「これ、学校主催じゃなくて、生徒主催だから関係ないよ? それからほなみんにも届いてるでしょ? その子からね? ゆづきがまだ連絡取れるなら、ちゃーんとメール読んで欲しい、って伝えてって言われたの」
「?」
ほなみはディスプレイを立ち上げ、メールソフトを起動。それからゴミ箱に詰まってるメールの山から《同窓会》の文字で検索を掛ける。一件ヒット。始めはゆづきが見せてくれたものと全く同じ文章が書いてある。それから――。
《……ほなみ先生。卒業間近にいなくなって、それからもう会えなくなってしまって本当に残念でした。あの頃の生徒はできるなら、もう一度、先生にちゃんと会っておきたいなって思っています。ご都合いかがでしょうか? お待ちしております》
気になって、メール送信者を見ればクビになる前に受け持っていたクラスの生徒。
「――……」
困惑する。
自分はそこまで良い教師では無かったはずだ。ほなみは教師をクビになってから改めて考えてみたことがある。まるで自慢話をするように、人間と暮らしてた頃の話を言いたいだけ言っていた。もちろん仕事はちゃんと熟していたつもりだ。教師などいくらでも代わりがいる。そこはちゃんとしなければと思っていた。
生徒から悩みを相談されることもあった。が、大抵は、
「なんとかなるんじゃない? 第三世代の骨董品の私がこうして生きてるんだし。私、生きてるの長いから、一緒に暮らしてた人間の死も見たし、同世代の子が事故や故障で亡くなったり、自分から機能停止させたりすることも、まあ、たくさんあったし、見てきたけど。なんとかなるよ。一年後ぐらいには今悩んでたことなんて大抵忘れてるし。後、さっきから黙って聞いてたけど、あなたの言ってるその悩みあんまり大した問題でもないよ。○○すれば解決するでしょ? 不安なら今から一緒に行ってあげようか?」
こんなのばかりだった。
真剣に考えてあげるどころか、さっさと眼の前の問題を解決したくて片付けられる物はその場で解決しようとした。感謝されることはあったが、生徒の自主性を促すなどということは全く考えていなかった。学校からの評判は――まあ、あまり良くなかった気がする。
ゆづきがほなみの肩を揺らしながら言う。
「ほなみんはさー。いっつも自分のこと過小評価してるよ。結構人気あったんだから。人間と一緒に暮らしたことがある先生って、あんまりいなかったんだよ。だから、みんなほなみんの話は聞きたがってたの。ゆづきたち人間天使にとって、人って特別な存在だから。それに、自分のことぺらぺら話す先生も珍しかったんだよ。助けてもらった子も多いし」
それは、ほなみの自己顕示欲の現れでもある。人間天使は与えられた仕事を忠実にこなそうとする子が多いのだ。無駄なことは基本しない。
同僚の教師は第五世代以降が多かった。その頃になると人間もこの世界にほぼ残っていない。確かにあの学校では珍しい存在だったかもしれない。
そこを評価されていたと思うと、嬉し恥ずかしというか、自らの痴態を評価されたようで、どうしていいかわからない。
「……その後担任になった先生だっているでしょう?」
ほなみの辞めた後に就いた教師だっていたはずだ。
「いたね。第七世代のほなみんとはまるで違う、寡黙で生徒のことには無干渉なせんせー。ま、見てもらった期間も相当短かったから今回は呼んでないみたい」
ほなみが教師をクビになったのは、卒業間近の二月。無理もあるまい。
「だとしても」
教師時代のことは置いておくとしても。
「同窓会で、教師クビになって今はアイドル目指してますって言うのはちょっと……」
想像するだけで顔から火が出そうだ。
「あはっ! それだけ聞くとなんだかイタい人みたいですね! 夢見てないで現実見ろよって言いたくなっちゃいます! あ! でも現実見たら火の車で直視出来ない状況っていう!」
「進むも地獄、退くも地獄って感じかしら? まあ、進んだ方が幾らかマシよね。それに、アイドル事態を知ってる人間天使が今いないでしょうし、考えすぎじゃない?」
村雨は失礼にも程がある発言をしながら自ら笑い、イリスの慰めとも取れない慰めが虚しく響く。追い打ちを掛けられただけのように思える。
ゆづきがほなみの肩をぐっと握る。若干痛い。
「ほなみん。強制はしないけど……生活掛かってるよ」
笑顔が怖い。
「……うう。もう……わかった」
先ほどゆづきを責めたようになったことを根に持ってるかもしれない。行くしかないようだ。
メールの内容事態は嬉しい。
けれど、同窓会は行きたくない。というより、顔を出すのには抵抗がある。
いざ行ってしまえば、当時と変わらずに話せると思うのだが、再会した時に一体何を話せばいいのかどんな顔をして行けばいいのかわからない。
――成功の前に投資は必要……と思えば……なんとか……なんとか……。
現在マイナス三二〇万二千円。
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