第二章 先生、アイドルってなあに?

 最初こそ、ほなみにも働こうという意志はあったのだ。

 しかし、今の世の中、教師になろうとする人物は徹底的に身辺調査される。何かあってからでは遅いという判断からだ。そして、どこでもそうだった。クビになった理由の検索を掛けられるとどこでも不採用だった。データとして残っているのだからどうしようもない。

 だんだんと働く意欲が失くなっていった。

 教師を辞めて二年――。なんたって、五六七歳である。今まで生きてきた分の貯金はたんまりとあった。別に今すぐ働かなくたっていいが、貯金が日に日に減っていくのを見るのは、なんとも精神によろしくない。

 ゆづきにも気を使われていた。バンドで稼いだ分のお金をほなみに差し出そうとしてきたのだ。

 断固拒否した。だが何かと理由を付けてはほなみの家に来て、食材を買い込んできて、料理を作り置きして帰って行く。

 別に人間天使は食事など取らなくとも生きられるのだが、食事という習慣が人間天使の精神機能を安定させる要素の一つとなっていた。別に壊れるわけじゃないが、あまり長期間食事を取らないでいると、各種メーターが不調を来すようになっている。より、人間に近づけようという試みらしい。第三世代から採用された。

 心底いらん機能だとほなみは思う。

 これじゃあヒモだ。

 

「アイドル……歴史」

 そうして、ベッドに寝転がりながらアイドルの歴史を紐解いていく。

 一口にアイドルといっても、色々あるんだなと思う。個人からグループ。歌がメインの人物から、テレビでバラエティ番組までこなすグループ。グループの結成からドキュメンタリー番組としてテレビがアイドルをバックアップしたり、プロデューサー色がやたらと強かったり。バーチャルアイドルなんてものまである。

 だったら、人間天使のアイドルという存在だっているのではないか?

 検索をかけた。目に付いた記事を開いてみる。

 ――人間天使によるアイドル。エンジェルリック、スピアーズ、電子アイドルず、などが挙げられる。しかし、いずれも長続きせず、電子アイドルず以降、新たな人間天使のアイドルグループが生まれることはなかった。理由としては彼女たちが完璧過ぎたことが挙げられるだろうか?

 完璧過ぎるのはつまらない。手の届くようで届かない……そんな姿がアイドルとしては理想だと僕は常々思う。人間天使に、その辺りの感覚が理解できるだろうか? ……いいや、できっこない。人間天使の時代になり、アイドル文化が廃れたのはその辺りが原因だろう。

 ――昔、人間が書いたやつかな?

 目線が人間天使ではなく人間に寄っている。いまいち参考にならない。

「うーん?」

 リンクが張ってあったエンジェルリックというアイドル映像に飛んだ。至上初の人間天使だけで構成されたアイドルグループとして売り出されたようだ。

「上手いし、曲は悪くないと思うけど」

 それからスピアーズと立て続けに見てみる。

「聴きやすいけどなあ……ゆづき?」

 ゆづきに呼びかけた。映像通信だ。すぐに反応が返ってきた。

「なに? ほなみん」

 映っていたアイドルの歴史と人間天使のアイドル動画を引っ込めて、ゆづきを呼び出した。

 ぴょこぴょこ跳ねるように歩いている。ツインテールが揺れている。

 ビルと車の通らない道路が見えた。先程話した場所からそう遠くない。

「今日はこのあとどこか行くの?」

「一旦家に戻ってギター取ってきて、それからバンドするの! 今日はレコーディング」

「ふうん」

「どうしたの」

「さっき言ってたアイドルの名前なんだっけ?」

 ゆづきの顔がぱあっと輝く。

「シャラップシャラップとマイクロ少女! ほなみん、興味持ってくれたの!?」

「ないけど……曲は悪くなかったような気がしたから」

「うんうん。わかるよ。ほなみん、素直じゃないし。これとこれ。あとついでにこれとこれ。見てみてね! それじゃまたね」

 したり顔で頷くゆづきに若干ムカっときて、何か言い返してやろうかと思ったが、ゆづきはぽんぽんとアイドルの楽曲データと映像データをほなみに送りつけると、通信を向こうから切ってしまった。

「まあいいか」

 どうでもよくなり、送ってきたデータを確認する。

 ゆづきは楽曲データや楽曲PVの他、アイドルの結成からCD発売までを追った当時のテレビ映像を一緒に送ってきた。

 とある敏腕プロデューサーがアイドルを結成するにあたり、一般公募を番組で掛けて、オーディションを行い、アイドルグループの結成から、CDデビューまでを追うというものだった。

 ――結成から追う。アイドルを知るのにはちょうどいいかもしれない。

「…………………………………………」

 寝転がっていたほなみは、いつの間にか一人部屋で正座をしながら番組に見入っていった。




「わっ!」

「ひゃん!!」

 突然、誰かに背後から抱きつかれた。首だけを巡らせて見てみれば、ゆづきがまるで微笑ましい動物でも見るかのようにしていた。

 部屋が夕陽で染まっていた。昼食も取らずに、およそ七時間ぶっ続けで映像を見ていたらしい。画面はマイクロ少女たちが念願の初ライブ果たし、メンバー全員が涙を流して観客に手を振っている場面だった。

 ほなみは千年前のテレビ映像を見て涙を流していた。

「――はっ!?」

 今さらながら気づいて必死に目元を擦った。人間天使だって感情が揺さぶられれば涙を流すように出来ている。

「よかったでしょ?」

 背後から抱き締められたまま、顔と顔を近づけ、耳元で囁かれる。

「う……そんなことは……」

「嘘だよ。ほなみん。泣いてたよ? ほら」

 ゆづきはほなみの頬に、自らの頬をくっつけ、拭った涙の跡を確かめるように頬ずりをしてきた。

「むぐ……よかった……かも」

 そのまま頭を抱かれる。首筋を嗅がれて、さらには頭の匂いまで嗅がれているのが分かる。されるがままだ。ゆづきは犬みたいにふがふが言っている。

「わかった! わかったから!」

 恥ずかしくなって手を突き出す。

 ゆづきは「ふふふ」と笑い、

「ホワイト百パー」

 と口に出すと、照明が部屋を照らした。

「わっ。せんせーせくしーだ」

「っ。着替えるから。夕飯作って」

 もう教師でも無いのに、ゆづきは時々からかうように先生呼びをしてくる。

 そういえば下着姿のままだったことを思い出してさらに恥ずかしくなる。夕陽が差し込んでる時点でわかっていたであろうに、わざと恥ずかしがらせるために照明を着けたのだ。

「はいはーい」

 そう言って、ゆづきはキッチンで買ってきた食材を使って料理をし始めた。


 ゆづきは時折こうして夕飯を作りにやって来る。ほなみもよくないとは自覚しつつ、彼女の好意に甘えて早二年が経過した。

 夕飯はチーズシチューだった。通常のシチューにこれでもかというくらいチーズを混ぜたゆづきの得意料理だ。味が濃すぎるのが傷だが、濃い味が食べたい日には重宝する。

 今日がその日だ。

「で。やる? アイドル」

 ゆづきはシチューをはふはふ言いながら食べている。

「でも……私、第三世代だし……」

「もうっ! そんなの関係ないよ!」

 シチューを口に運ぶ。濃い。そしてあっつい。

「アイドルをやる上で必要なのは魂! 熱量だよ! わたしは誰よりも輝いているんだ! って気持ちが彼女たちを誰よりも輝かせるんだよ! さっき見てたテレビでもそうだったでしょ? 誰にも負けない! あの憧れの舞台に立ちたい! その想いが視聴者にも伝わってファンとメンバー、みんなが一丸となって駆け上がっていくのがアイドルっていう存在なんだよ!」

 そう言い終わるとシチューを器ごと傾け、ぐいっと飲み干す。熱くないのだろうか。

「……でも、人間天使にアイドルの良さが伝わるとは思えない。私たちは悪魔で人間天使。未熟さより、完璧さを求められてきた存在」

 ゆづきが来るまでに見た映像だと、時代によってアイドルの在り方が違っているように見えるが、その魅力の多くはアイドルたちの未成熟さにあるとほなみは感じた。

 人間天使とは頭に「人間」と付いていようが、理想の形に造られたロボットである。街を見渡せば分かる。いわゆるブサイクがいない。美男美女ばかりだ。

 容姿を好き勝手出来る第五世代以降であろうとそれは関係ない。わざわざ醜い人間天使を作る倫理観の狂った技術者もいない。

 完璧なのが私たちなんだ。

 ――今の私は完璧とは程遠い。……いや、生まれてこの方完璧だったことなどただの一度でもあったのか。

 シチューを一口啜る。味覚記憶が刺激されて、該当の味が頭に思い浮かぶ。しかし、年々そこにタイムラグが発生している気がする。そのスピードは小数点以下でしかなく、さして気にする物でもないけれど。七年くらい前からだろうか。最近は頻度も増えた。

「……だからこそアイドルなんだよ」

「どういう?」

「さっきの映像でもそうだったでしょ? 本来ならアイドルなんて目指すべきじゃないゆづきたちだからこそアイドルになる価値があるの」

「どゆこと?」

「むー」

 ゆづきは、わかってくれないとばかりに頬を膨らませた。

「酷いこと言うからね? 嫌いにならないでね? つまりね? ほなみんみたいな、旧世代、本当ならもうスクラップになってもおかしくない世代……そんな何百年も前の第三世代が、これからアイドルとしてのスターダムを駆け上がっていくんだよ。それを見た人間天使は、そこにストーリー性を見出して、感情移入しちゃうんだよ。さっき泣いてたほなみんと一緒。常に完璧さを求められている人間天使たちだからこそ、アイドルに魅せられるんだよ!」

 そう言い終わるや、コップに注いであった水をぐいっと呷り、さらに言う。

「ね? だからやろうよ。ほなみん」

「……そう……はうまくいかないと思うけどね」

 またゆづきに押されている気がした。ゆづきにとって、ほなみのその返答は、イエスと同義だ。

「だからこそだよ!」

 ゆづきはがたんっとテーブルを叩いた。

 ――熱いなあ、このシチュー。


 タッパーにシチューの作り置きを詰めて冷蔵庫に入れておく。食洗機に器を突っ込み、三十秒で洗いから乾燥まで完了し、戸棚に器を仕舞う。そして、インスタントコーヒーを一杯入れる。ゆづきにはオレンジジュース。

「それで方向性は?」

 ダイニングテーブルから、ソファに移った二人は並んで座った。

 ひっついて来るゆづきを適当に隅へと押しやり、アイドルの歴史を画面上に表示した。ゆづきにも見やすいように、出力を上げて、ほなみのできる限界――四十インチくらいにまで、画面サイズを大きくする。ほなみが指差した先には、ユニットだったり、五人前後の少数グループ、十人以上の大所帯のグループが写真と解説付きで並んでいる。

「五人が良い」

 ゆづきはとある人間の男性五人グループを指差した。そういえば、ゆづきに一番最初に見せられたアイドルがこの男性アイドルたちだった。

「なんで?」

「あんまり多いとお客さんがゆづきたちのこと覚えてくれないでしょ?」

「だったらユニットでいいんじゃないの?」

 そう言ってほなみはその男性アイドルより、少し昔の二人組を指差す。キレイ系とカワイイ系の中間のような少女二人。一九八〇年代後期から一九九〇年代中期に掛けて活躍、と書いてある。

「うーん。バランスかなあ」

「バランス?」

「例えばだよ? ゆづきたちでもあるんだけどさ。バンドでもギターだけが飛び抜けて人気だったり、ボーカルだけが人気だったり、かと思えばドラムだけ全然人気なかったり、メンバーそれぞれファン層がびみょーにちがったり」

「ファン層が違うって?」

 そのバンドが好きなら、メンバー全員が一様に好かれているのでは?

「サドンデスなんかがそう。ボーカルのしょうこはファンみんなに人気なの。ベースのたまちゃんは最新世代の若い子たちに人気。ドラムのらんちゃんは第一世代と第三世代。ゆづきはやっぱり古参のファンからは人気ないんだけど、新規のファンが多いの」

 言ってることはわかるような、わからないような。ゆづきの例は少し理解できたが。

「まあいいや。じゃああと三人も集める気?」

「うん」

 うんて。どこから集める気なのか。

「サドンデスのみんなには言ったの? アイドルやりたいってこと」

「言ったよ? みんなやってみればって。みんな良い子たちだよね。アイドル一緒にやろうよって言っても誰も頷いてくれなかったけど」

 サドンデスのメンバーが二人以上もアイドルをし始めたら、それはもうバンドの方向転換としか思えないから断って正解だと思う。

「話は戻るけどさ。バンドでもボーカル人気で持ってるバンドってあるのね? それと同じでさ。アイドルも、一人でも人気な子がいたら、他のメンバーにも目を向けられたりするの。でもあんまり人数いちゃったら目移りしちゃうから」

 その意味でいけば、五人くらいがベストということか。なかなか考えてはいる。今から気にするようなことでも無いんじゃないか、とも思うが。

「だからさ」

 そう言って、ゆづきは引き離されていた身体をぐいっと近づけ、うるうるした瞳でほなみを見つめた。瞳の☆がゆっくりと点いたり消えたり。昼間に見た時とは光り方が違う。恐らく装着者の精神状態に合わせて光り方をオートで変えているのだろう。

「ほなみん。することないんだから暇でしょ? メンバー探ししといてよ。無理のない範囲でいいからさ」

 必殺泣き落としだ。暇という言葉がほなみの心を抉る。

「ひ、ひまなんて――」

 ゆづきは、身を捩って逃れようとするほなみの手を掴んだ。

「そろそろ働こうよ。先生」


 働こうとするのに、アイドルを目指す。そのために、まずはメンバーを探す。

 現実逃避以外のなにものでも無い気がした。

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