第一章 取り残されていく

 嘘だ。

 予定などない。

 ほなみは仕事の無い人間天使だった。大昔はほなみのような者のことをニートと呼び、社会問題として徹底的に取り沙汰されたらしい。ほなみの生まれるもっと前だ。

 そんな時代に生まれなくてよかったと思う。

 街並を見渡してみると、そこかしこにほなみと全く同じ外見をした人間天使の姿が目立つ。

 第三世代だ。人間そっくりな見た目。肩まで伸ばした黒髪ロングストレートに切れ長の瞳、濃紺の短いスカートに白のシャツ。現世代のような飾り気はなく、皆が同じ格好をしている。

 その姿を見ただけでほなみの中に妙な連帯感が生まれる。


 それまで存在していたアンドロイド、ロボット、AIの常識を覆す最初の一体が生まれたのは、およそ千二百年前――。人間が地上に跋扈して栄華を築いていた時代、辿っていけば、ほなみやゆづきのような人間天使は、全てがその存在から始まったとされる記念すべき最初の一体。

 その一体が生まれるまで、もちろん人工知能やアンドロイドはそれまでも存在していた。しかし、どうあっても完璧に人間のようにはいかない。食事、性欲、睡眠。そういった面で、それっぽくすることは可能でも、完全に人間に近づけることはできなかった。

 それをやってのけたのが遠い昔に生まれた最初の一体である。

 彼女は、食事をし、消化をした。

 食べた物を栄養に活かすことは流石に不可能だった。が、予めその食物の情報をインプットしておき(アップデート可)、実際に食すと、インプットされた情報の中から該当する味を想起させ、さらに消化させる――最も全てを消化してしまうのだが――くらいならば技術としては可能だったという。

 彼女には性欲があった。これは当時の技術でも難しいことは無かったという。

 勿論、世代毎に差はあるが。

 彼女は人間と同じように眠った。要するに電気が必要だったのだが……コンセントからの電力供給はあまりに見た目がロボット過ぎて、どう見ても寝ているというより充電してるだけじゃないかという開発者の謎のこだわりから、寝台を無接点充電が可能なように作り、彼女がそこに身体を横にすると充電できるようにしたという。

 こうした科学者の技術の結晶+謎のこだわりは今でもほなみたちに活かされている。

 彼女は人間天使と名付けられた。

 ご先祖様である。

 ネットの噂だと今もどこかに存在していると言われている。ほなみたちにとっては歴史上の偉人みたいな存在。

 その彼女――イリス・アイを模して作られたのが第一世代人間天使。

 しかし、第一世代は彼女を模したのにも関わらず、彼女のようにはならなかった。イリスを作った博士が第一世代を作る際に亡くなっていたのが最大の原因だと言われているが、理由は定かでない。イリスのような人間的な機微に溢れる情緒豊かな存在というわけではなく、似せられたのはイリスの外見と機能だけ。

 学習はするが、感情の乏しい存在。それが第一世代である。

 続いて第二世代は、イリスを踏襲しつつも、より人間的な性格を反映させようとした存在である。しかし、彼女たちは劣化が早かった。第一世代はパーツさえ代えていけばいくらでも持つが、第二世代はそもそもの素体が第一世代よりもかなり荒っぽく作られている為、持って百年ほど。現存する個体もほぼいない。

 それから生まれたのが第三世代である。一般家庭にも普及するほど安価になり(といっても当時の高級住宅並だが)、第一世代と第二世代の良いとこ取りとも言える存在で、人間のような性格をしていて、パーツ交換さえ怠らなければ長期間稼働が可能になった。こうして今でも生き残っているのがその証拠である。

 ほなみは廃棄されずに生き残っている。

 ――まさか、作った人間よりも長生きするなんて思わなかったけれど。

 現在五六七歳。メンテナンスをしつつ、なんとか生きている。

 それからどんどん人間天使は新しくなっていった。第四世代中期からは人間天使にも人間同様の権利が与えられ始めた。住民権その他諸々である。

 

 そして、第五世代が生まれた頃になって、世界中で人類種の減少が始まった。

 大きな地殻変動があった。出生率の低下がどんどん加速した。戦争があった。人間天使が増えすぎた。原因は様々だが、第五世代末期にもう人間は地上に残っていなかった。

 第六世代以降は完全に人間天使のみの技術によって、人間天使の開発が進んでいき、そのまま現在にまで至る。


開発が進んだことによって、大打撃を受けたのは、ほなみたち第三世代である。

 第一世代は、そもそも人間というより機械としての側面が強い為、機械的に行わなければならない仕事などは、彼女たちにどんどん割り当てられる。完全に機械化してしまうと問題になるような仕事だ。

 第二世代はそもそも数がいない。

 第三世代は人間的な機微に溢れると言っても、第四世代以降には機能面で著しく劣っている為、働き口が新世代に奪われていったのだ。

 もちろん世代が新しくなるに連れて、そうした側面はどこでも出てくるが、「今」「現在」その打撃をモロに喰らっているのが第三世代だ。

 つまりはほなみだ。

 そして、ほなみたち第三世代は、柔軟性が無く性格は無駄にプライドが高い。

 思考回路としては、「悪いのは世間であり、私を活かせる仕事がない社会が悪い。どうせメンテンスを怠らなければ、故障はしない。寝てさえいれば、なんとかなる」である。

 日々の睡眠さえ取って、身体の劣化さえ防げば、末永く生きられるのである。

 でもこうも思うのだ。

「このままでいいのかな」

 よくはない。

 それはわかっているが、過去、人間たちと一緒に暮らしてきて、仕事など家事以外はろくにしたことがないのが第三世代だ。だって人間と暮らしてきたから。

 労働は人間の仕事。それを癒やすのが自分たちの役目である。

「教師――はもう無理だし」

 かつてほなみは教師をしていた。もう戻ることはできないが。

 他に仕事があるのかと問われれば、簡単な仕事は第一世代が全て賄っている。

「……アイドル……ねえ」

 いつも通りの家路を辿って歩いた。


 街並みは千年前と変わった。自動車に乗る者が少なくなった。公共の交通機関がどんどん発達したおかげで、道路が減って建物が増えた。

 人工的な公園や森が増えた。森の中に街があるような街が増えた。

 元はアスファルトだった道は、今や石畳になり、街路樹が等間隔に並んでいる。小川が街のそこかしこに流れており、小さな橋がいくつも掛かっている。

 橋を六個ほど渡った場所にあるマンションの三〇四号室がほなみの部屋だった。


 部屋に入る。

 玄関でサンダルを脱ぎ、羽織っていた上着とシャツを脱ぎ、スカートを脱ぎ、下着姿になってベッドにダイブする。

「……………………アイドル、かあ……」

 うつ伏せになったまま呟く。息が苦しくなって顔を横に向けて、片目で部屋を見る。

 整理された部屋。飾り気が無い部屋。掃除は得意だ。ほこり一つ落ちていない。

「仕事かあ」

 第三世代にもうってつけの仕事があるにはある。

 家政婦、メイド、専業主婦。

「新世代に仕えるなんて絶対いやだ」

 もともとは人間に仕えていた子の多い第三世代は、家事をするのは得意なのである。開発されたばかりの頃は癒しロボット、嫁ロボットとして名を馳せていた。

 一部の第三世代は仕事が奪われて無いのなら、昔のように人間天使に仕えればいいではないか、と考えた。家事手伝いならばいくらでもできる。そのまま気に入られて、結婚をする第三世代もいるくらいだ。

「……やっぱないなあ」

 素体、性格は同じでもこれまで生きてきた経験が違う。第三世代の中にも、上手く生きられる子とそうでない子がいる。ほなみは後者だ。新世代に媚びへつらうなんて絶対に嫌だ。

 その意味ではアイドルも似たり寄ったりな気がした。

 愛想を振りまき、媚びへつらう。歌って踊る晒し者。

 ――よくは知らないけれど。

 だったら見てみようか。なんとなくそう思った。

 ほなみは仰向けになり、頭の中で「マイページ」と唱えた。すると、目の前の空間に映像がパッと浮かび上がる。現在、ネットへの共有はオフにしてある。四六時中何かに繋がっていることは極端に心的負荷が掛かる為、人間天使は自分の意志でネットへの繋がりをオンオフできるのだ。この機能は第一世代から人間天使にデフォルトで付いている。

 ほなみはネット共有をオンにした。

 すると、溜まっていたぶんのメールが届く。《今月のオススメ商品》《同窓会のお知らせ》《定期メンテナンスのお知らせ》迷わずゴミ箱へ捨てた。

 無題のメールが一通、目にとまる。送信時刻は二十二分前。送信者はゆづきだ。

《ほなみん。さっきの話なんだけどね。もう一回考えてみてよ。ゆづきはほなみんと一緒がいいな》

 思わず顔がほころぶ。

 

 八戸瀬ゆづきは、ほなみがまだ中学校の教師をしていた頃、生徒の一人であった。


 人間天使には人間と同じような教育制度……つまりは学校が有る。義務教育である。所詮、人間天使=ロボットなのだから、生きていく上で必要な知識は、生まれた時にインプットしてしまえばそれで事足りるだろうという意見はあるし、事実、教育制度が普及する前まではそうだった。ほなみが生まれた頃もそうだった。

 しかし、第六世代の頃……人間が完全に絶滅した頃に、お偉い人間天使の間で話し合いがあった。人間天使にも情操教育は必要だろう、と。そうして教育制度が設けられた。

 まあ、ようするに人間の作った制度を真似したかっただけなのだが。

 ともあれ、そんな教師という職は、プライドの高い第三世代にとってうってつけの仕事だった。

 中学生とはいえ、何百年も生きているほなみのような第三世代が、今を生きる最新の世代に教育するのである。知識を与える、悪いことをしたら叱る、これまで生きてきた人生経験に脚色を加えて話す――承認欲求がどんどん満たされていくのを感じた。

 上に立てるのである。

 このままずーっと教師として、最新の世代を教え、導いていくのも悪くない。そう思っていた矢先。

 その時に入学してきた生徒が八戸瀬ゆづきである。

 ゆづきがほなみのことを学校卒業後も尚こうして好いてくれてるのには二つの理由がある。

 その一つは人間天使全般に関わることだ。


 性癖。


 性癖という曖昧模糊としたモノを実装する時、人間天使を作成する側の人間天使は酷く思い悩んだ。

 人間天使が中心になって、人間天使の開発側にまわった第五世代以降の事である。ほなみたち第三世代にはあまり関係がない。

 人類種の末期、種の絶滅理由の実に13%を占めたというのが人間の性癖にあった。

 男が女を好きになる。

 女が男を好きになる。

 そんな常識という枠組みを人間たちは長い年月を掛けて取っ払っていった。

 男が男を好きになってもいい。女が女を好きになってもいい。

 長い歴史を掛けて築いてきた『結婚』という男女間での契約の決め事まで覆されてしまったのが良い例だろう。男と男の結婚。女と女の結婚。同性婚というシステムだって第三世代が作られる頃には当たり前になっていた。

 ゲイ、レズビアン、その他ありとあらゆるフェティシズム。人間の性癖は実に多種多様だ。

 そういう人がいても良い。

 変じゃない。みんな違って当たり前。

 特殊性癖だった物はいつしか常識となった。

 その歴史を捨て去ろうとする人間天使ではない。

 人間は神様だ。ならば人間が生み出したありとあらゆる性癖だって再現すべきだ。

 ほなみなどは心の底から阿呆かと思う。心なんて物があるかは別にして。

 しかし、本来ならば成長に合わせて自らで見出し、獲得していくそれら性癖を人間天使に求めるのは酷な話であった。

 人間天使は製造過程である程度決まってしまうのだ。

 そこで着手された手法――。

 製造過程であらゆる性癖を閉じ込めたブラックボックスを作成。そして、その中からアトランダムで無作為に選び出された性癖を人間天使一体一体に実装していく。

 第四世代以降、未だに行っている狂気の手法である。

 幸い、人類種と違って人間天使は同性間の恋愛どうこうで種の存続に関わるようなことはないが、勿論製造過程で特殊な性癖を埋め込まれた人間天使たちはたまったものではない。

 製造局――人間天使を生み出す機関――への非難は今でも止まないが、なにしろ人間の歴史と己の性癖に関する非常に微妙で厄介な問題だ。言うに言えない。

 納得できない者、耐えられなかった者、そんな人間天使向けのアフターサービスとして、近頃は性癖転換サービスなるものまで存在するくらいだ。

 儲かっている……らしい。

 ゆづきは第七世代。

 そう。ゆづきだってそうなのだ。

 ゆづきはレズビアン&匂いフェチという性癖を植え付けられている。らしい。

 ほなみが好き……らしい。

 匂いが違う……のだとか。

 それ、第三世代ならみんな一緒じゃないの? と訊いたこともあるが、どうもゆづきからすると、一人一人ちゃんと違っているらしい。

 その辺がほなみのいう個性の要因だろうか、とも思う。


 八戸瀬ゆづき。

 彼女は学校卒業後も尚ほなみを好いて、そして側にいてくれている。

 もう一つの理由――。

 それはほなみが教師を辞める切っ掛けになった出来事だ。

 このまま彼女に甘えていて良いのか、常々思っていた。

 ――……アイドルねえ……お金になるのかな。

 なにはともあれ、無職のほなみに必要なのは何よりもお金である。


 ちなみにほなみたち第三世代、またそれ以前の世代は、性癖についてかーなり適当に作られている。

 ほなみなど、エロければ感情メーターが触れる、くらいのものである。


 困ったことにゆづきに引っ付かれると感情メーターが触れてしまうほなみだった。

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