トレーネ!
水乃戸あみ
はじめに
はじめに
三日月(みかづき)ほなみは最初、彼女の言っていることの意味がわからなかった。
「アイドルやってみたい。やろうよほなみん」
偶像(アイドル)? はて。
いつだって唐突な子だが、今日のその言葉はいつにもまして意味不明だった。偶像をやりたい……そんなわけのわからない告白もなかなか無いだろう。
偶像って。
偶像そのものだろうに。
――まあ、そういう意味じゃないんだろうけど。
アイドル。聞いたことはあるような気がする。喉元まで出かかっている。忘れているということは、自分の人生においてさほど重要な意味を持っていない物のはずだ。
――なんだっけ。アイドルって。
ほなみがすっと手をかざすと、目の前にディスプレイが浮かび上がった。何も無い虚空が淡く光っている。簡素でシンプルな第三世代の初期デザイン。ディスプレイ枠などは特にイジっておらず、またほなみもその手のことには興味がない。
ゴテゴテしいのは嫌いだ。
大手検索サイトを表示。向こう側が透けて見えている。
キーボードを介さずに意識下で「アイドル」という単語を思い浮かべて検索窓に入力。ワードに反応し、画面には幾つかの情報がヒット。
画面をスライドさせ、それっぽい情報を見つけてタップ。
――アイドル。歌って踊って笑ってあらゆるメディアに乗り、愛想を振りまき、ファンから金銭を得るグループ、または個人。
――ああ。人間たちが夢中になっていたアレか。
ほなみが生まれた頃はまだ存在していたような気がする。
黒いライダースジャケットを着て、シルバーのアクセサリーをジャラジャラと着けたツインテールの小さな少女が膝を抱えて、ベンチに座るほなみの反応を伺っている。
八戸瀬(はちとせ)ゆづきは、うるうるとした瞳でこちらを見上げている。虹彩には☆(ほし)マークの模様が入っている。気になってじっと見つめていると、涙が一筋流れ、それからは止まらなかった。
「その眼球新しいやつ?」
「うん。カナリヤ工房のうるるⅥ(シックス)」
涙声で答える。カナリヤ工房、知らないメーカーだ。
「壊れてるんじゃない? それ」
ゆづきはごしごしと涙を拭ったが、それでも瞳は涙を抱えている。ほなみは今にも決壊しそうなダムを思い浮かべた。
「☆の模様がかわいいからずっとずっと欲しくって。お金貯めて買ったの。前のより見えるよ? でも。夜寝てるときでも、涙出てくるから。代えたいの。いつも枕びしょびしょ。前の眼球はリサイクル。もう出しちゃったから」
「どこで買ったの?」
「眼球倶楽部」
「よりによって……」
眼球倶楽部――市の外れにある眼球専門の小さな中古屋である。ほなみは検索ワードを「アイドル」から「眼球倶楽部 東京」へと変える。ヒット。大手グループには属さず個人で経営している中古店。従業員は第六世代の人間天使(にんげんてんし)と、オーナーである第三世代の人間天使の二人。店舗レビューを見ると、評判は悪く、曰く「粗悪品が多い」「高額な割にメンテを怠っている」といった意見が目立つ。しかし中には、「掘り出し物が多い」「他では扱えない物が売っている」といった意見も少数ながらあった。
扱えないものとはつまり、今ゆづきが付けているような、検査を受けていない品のことだろう。大方個人の眼球技師が横流しした品が流れ流れて、眼球倶楽部に並んだのではないだろうか。ゆづきが言っていた商品名で検索したのに、一件もヒットしなかったのが良い証拠だ。
ほなみも同じ市内なので、中古の眼球専門店ということだけは知っていた。
現世代人間天使の人体パーツの交換への抵抗の無さは受け入れがたい。新品ならまだ理解できるが、中古を人体に取り込むのだけは理解できないし、したくない。
「ほなみんも今度一緒に行く?」
「……私はいいかな」
「じゃあ、アイドル。やる?」
「それもいいかな」
「えー!? なんでー!?」
「逆になんでアイドル?」
そこで一瞬ゆづきは言葉に詰まった。しかしすぐに気を取り直す。
「かわいいし、楽しいし、お金稼げる。みんな笑顔。ゆづきの懐も笑顔」
「お金が目的?」
「うっ!」
ゆづきは胸元を抑えた。膝を抱えて顔を伏せてこちらを見上げるわざとらしい仕草。
「泣いてる」
見上げた頬には涙が伝っていた。なにも悪いことをしていないのに、こっちが悪いことをした気になってくる。なるほど。これを作った眼球技師の意図が読めてきた。これは泣き落とし用の武器だ。ゆづきみたいな保護欲をくすぐる子が使えば、並の人間天使が何かを頼まれれば、思わず「はい」と頷いてしまうような瞳だ。☆マークだけはアホっぽいが。
ほなみは少し考えてから言葉を紡ぐ。
「人間天使がアイドルやるのって変じゃない?」
「なんで?」
泣きながら小首を傾げる。かわいい。
なんでって、そりゃあ――。
「だって私たち量産品だよ? 顔も身体も一緒なのに。世代差があるってだけ。そりゃあ、ゆづきみたいな新世代はいいかもしれないけど。私みたいな旧世代は――」
「えー? ゆづきはともかく、こうやってパーツ変えてる子は他にもたくさんいるし、一人一人みんな違うよ? ほなみんだって」
「そう?」
――まあ、ゆづきたちのような第五世代以降は、全員顔も形も違うけど。
第一から第四世代は世代毎にデザインの違いはあるものの、みんな同じ顔と身体の作りをしている。
第一世代はみんな同じ顔で同じ背格好をしているし、ほなみたち第三世代同士だってみんな双子のように瓜二つだ。
確かに、人間天使の開発と時代が進むに連れて、一人一人の人間天使が自らのアイデンティティを求め、他ではない自分を探し、手っ取り早く自分を変えられるパーツ交換に手を付けていった。
生きていく中で、それぞれが違った経験を積み、人間天使ごとに自我を形成し、違った性格のオンリーワンへとなっていくのだろう。なるほど素晴らしい。
しかし、所詮は量産型のアンドロイドである。
特に、ほなみのような第三世代は、自我形成にあまり興味が無かった。
探せば着飾っている子もいるが、ほなみはそうじゃない。
ほなみは第三世代人間天使。ほなみよりさらに昔に作られた第一世代のような、そもそも意志が薄弱な骨董品よりは考える力――意志が強いものの、それでも現世代のようにアイデンディティに思い悩むほど人間臭くはなれない。
アイドルへの憧れは無いし、そこに違った自分を見出すこともない。
まずは、ゆづきがどうしてその思考に至ったのかを尋ねる必要があるだろうか。
「なんで突然アイドルをしたいと思ったの? 何かあった?」
ゆづきが好みそうな楽しそうなことならば、他にいくらでもあると言うのに。
「人間みたいになりたいから。そしたらね? 見つけたの。これ」
蹲っているのに飽きたのか、ほなみが座っている木製のベンチに腰掛ける。ぐっと体を寄せてきた。彼女の体温が伝わってくる。
そして、ネットから引っ張ってきた動画情報をほなみに向かって飛ばしてきた。
人型天使が世界の中心となった現代では、昔のように、外部端末を用いてネットへアクセスするといったことはしない。ほなみたち自身――人間天使が端末として機能している。
切っていたネット共有をオン。視覚聴覚情報を動画とリンク。その際にリンクを百パーセントにしないように気をつける。百パーセントにしてしまうと、視覚聴覚情報が完全に動画のみになってしまう為、周囲の外部情報が完全に遮断されてしまうのだ。映画のように動画にのめり込みたいのならば別に問題はないのだが、今はその時じゃない。六〇パーセントくらいにしておけば、周囲の音や情報もちゃんと入ってくる。だからそうした。
動画は、この国――日本の昔の動画だった。画質が荒い。
中年の日本人男性五人が、笑顔で観客に手を振り歌って踊っている。観客は彼らに熱狂しているが、歌も踊りもほなみにも理解できるくらいに下手だった。しょっちゅう音が外れている人物がいるし、明らかに踊りがぎこちない人物がいる。アップテンポな曲だ。歌詞の内容は、書いた人物は何を思ってこれを書いたのかと疑いたくなるような、前後の繋がりがない擬音と感情表現だけにまみれたまとまりのない歌詞だ。
思ったことをそのまま口にした。
「下手」
「そんなことはわかってるの!! そうじゃなくって!! なんかよくないかな!? なんかゆづき達には、無いハーモニーがあるよね!?」
ハーモニーとは。
和声、和音、調和の意。
果たしてこれにそれらの言葉の意味は当てはまっているのだろうか。
まあ、和音だとは思うが、調和が取れているのかは甚だ疑問である。
「じゃ、次」
そう言って次の動画を飛ばしてきた。
今度は女の子四人のグループだった。先ほどの動画よりもさらに時代が古い。アスペクト比が四:三になっている。今度は十代の少女たちだ。馬鹿みたいな格好で、阿呆みたいな歌を歌っている。りんごとあひるがどうとか言っている。そもそも歌というより、台詞がメインのようなわけのわからない曲だった。これなら男性グループの方がマシだった。一人は超音波のような声で歌い、一人は完全に音程を外し、一人は歌詞が飛ぶ。歌が上手い子が一人だけいるが、踊りは下手だった。ある意味調和は取れているのか。先ほどの動画はテレビ映像だったが、これはライブ映像だ。中年男性が十代の少女に熱狂している姿は異様だった。曲が曲だし、どこに熱狂する要素があるのか。
ほなみは動画を終了させた。
ゆづきはきらきらした瞳で感想を求めている。瞳の☆マークが光を帯び、本当にきらきらしている。この瞳を作った眼球技師は精神に異常を来たしていると思う。そして眩しい。この眼球のせいで変なフィルターが掛かっているとしか思えない。
「こっちは子供向け?」
「そのへんはわかんないけど」
期待した感想じゃなかったのか肩を落とす。光も消える。
本当に疑問だったので言ってみた。
「もっと上手い子、いっぱいいるよ?」
「そうだけど! そうじゃないの! 確かにゆづきもね? 自分の曲とか好きだよ? でもね? なんか違うの! これとは違うの!」
ゆづきは、腕をぶんぶん振り回して必死に訴えくる。そりゃあ違うというか、そもそもジャンルからして違うだろう。
人間が絶滅し、人間天使がこの地上の覇者へと取って代わったこの時代において、なにも人間の文化が全て無くなったわけじゃない。そもそもほなみたち人間天使は、人間を模倣して作られているのだ。世代が進むごとに姿かたちに若干の変化が見られたとはいえ、大枠からは外れていない。
その中で人間が築いてきた文化は、この時代にもちゃんと根付いている。そして、それを人間天使たちが独自に解釈し、進化させてきたのだ。
そのことをほなみたち人間天使は誇りに思っているし、これからだってその想いは変わらないだろう。人間という種は人間天使にとって特別なのだ。
その中でアイドル文化は廃れた。
ゆづきが見せてきた動画の時代から言うと、より欧米に近づいたというのだろうか? 歌や踊りは実力主義の世界で、このように歌や踊りが不得手な者は、そもそもその職業を目指さない。自分の性能、技能を完全に理解しているから。
ソロボーカリスト、バンド、ユニット、グループ……存在はしている。が、どの人間天使もそうなるべくして、生まれたような存在だし、実際にそう作られている。
だからこそ、彼らはスター足り得る特別製なのだ。
もちろん、作られた人間天使の意志で、歌や踊りをやらないという選択肢はあると思うが、堅実な人間天使ならば己の技能と特性を活かす選択を取るだろう。
決して、ゆづきのように、己の技能と特性を理解せずに明後日の方向に突っ走って行くようなことを人間天使はしない。
「……でも、いくらなんでもゆづきのやってる曲と違い過ぎない?」
「んー。本質はかわんないと思う」
どこが? 首を傾げて、瞳でそう問い返すも、ゆづきはこちらを見ずにうんうん頷いている。
八戸瀬ゆづきはメタラーだった。四人編成のメタルバンド「サドンデス」のギターを務め、作曲から編曲までを行う超技巧派ギタリスト。サドンデスの音楽ジャンルは、コッテコテのヘビィメタル。重低音、速い曲。メロディはキャッチーなものが多いが、ゆづきの聞かせてくれたようなきゃぴきゃぴした曲とは似て非なるものだと思う。
ゆづきは元々サドンデスの後任ギタリストとして開発された特殊仕様の人型天使だった。前任者のギタリストが経年劣化を理由に、脱退を世間に発表し、開発に着手されたのがゆづきである。見た目からギターの腕前まで、完全に前任者を模倣して作られているが、性格まではどうにも似せることができなかったようだ。
よくあることなのだ。
模倣して作成を試み、モデルにしている人間天使が歩んできた人生経験をそのまま模倣した素体に載せても、開発された人間天使がその経験を独自に解釈し、求められていた人間天使像とはまるで違う方向にすっ飛んでいくという現象は。
通称、最新世代の明後日現象。
最近社会問題になっている。
そんなに他にはない自分とやらが大事なのだろうか。そんな物いくら探したってどこにもないというのに。
――いや。追い越されることが前提の人間天使特有の不安感がそうさせているのか。
「ファンが納得しないんじゃない?」
起こり得そうな問題を挙げてみた。ゆづき自身が良くっても、サドンデスのファンがアイドルをしているゆづきを見てどう思うか?
八戸瀬ゆづきはファンから愛されている。最初こそ突然のメンバー交代にファンの戸惑いやバッシングは、多少なりあったものの、前任者と遜色無いギターと、前任者とは正反対の明るい性格の彼女をファンは少しずつ受け入れていった。
「納得ってなに?」
「それは――」
ほなみの方が言葉に詰まった。もし、ほなみがゆづきのファンで、ゆづきがアイドルを始めたと聞いたらどう思うか? ――実際なんとも思わないかもしれない。
サドンデスの活動に支障を来さなければ、別に本人が何をやっていようが、楽しんでもらえれば別にいいかとも思う。もちろん寛容なファンが居てこそだと思う。世代が古い人間天使は頭の固いのも多い。現にほなみがそうである。
「……わかった。べつにいいんじゃない? アイドルをしようがなにしようが」
「でしょでしょ!? だったら――!!」
「私はやらない」
「えー!? なんでー!?」
身を乗り出してきたゆづきの表情が歓喜のそれから一気に不満顔へと変化する。
「……とにかくやらない」
理由にもなっていない理由を告げ、今日はこの後予定があると言って別れた。
「今日、お夕飯作りに行くからねー!」
と、ゆづきは手を振り、去りゆくほなみに向かって叫んでいた。
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