神を送る

 枝元にそう言われて、恵壱は俯いて考え込む。

 確かに、こんなにかわいい子を一人で帰らせるのは、少し気が引けた。

 ちらりと未唯を見ると、こちらをじっと見つめていた未唯と目が合った。

 すると未唯は、嬉しそうに微笑んできた。


「あ、やっと、目が合ったね」

「!!」


 それに恵壱はたじろぐ。


「私は、恵壱くんに送ってもらえたら嬉しいよ。やっぱり夜は少し怖いし。あ、他の人達が嫌とかそういう意味じゃなくてね」

「分かってるよ~、解良ちゃん」

「酒飲んでないのお前だけなんだから、適任はお前しかいねえだろ」

「せやせや~。ほんで帰りに追加で酒うてきてくれ。まだまだ飲み足りんわ」

 

 周りがそう口々に恵壱に言う。

 もう、断ることはできない雰囲気だった。


「お・く・れ! お・く・れ!」

「『D・V・D! D・V・D!』みたいに言わないで下さいよ!!」


 立ち上がってヤケクソのように叫ぶ。


「分かりました、分かりましたよ!! じゃあ、行ってきます!」

「安心しろ、お前のいない間に、部屋の中を隅々まで探してやる!」

「!! やめて下さい!」


 大手の同人誌に混じって、あの宵見よいみ きらら先生の本がに積まれているとバレたら、死にたくなる。

 なんでここに、こんな下手な本が? と思われるのが嫌なのではない。

 『D‐1.EXE同人誌紹介サイト』を開いていながら、一番のお気に入りの本を紹介しない自分を、突きつけられるのが嫌なのだ。

 いや、この人たちは自分が『D‐1.EXE同人誌紹介サイト』の管理人とは知らないはずだから、問題はないのだが。

 これは、恵壱自身の心の中の問題だ。

 今まで、下手でもなんでも、これはと思ったものは紹介してきた。

 同人作家から自分の書いた本を紹介してほしいというDMだって、幾度も受けてきた。

 こんなのは、サイト管理人として失格だと、自分でも思っている。


 だが、という気持ちを持ってしまったのだ。

 そんなことは初めてで、それをどう消化すればいいのか、あれからもう一ヶ月以上経つのに、未だに分からない。


「いいな~、私も探したい」

「絶対嫌だ!!」

「そっか」


 その声の相手が誰か気づいた時にはもう遅く、未唯に勢いのまま強い口調で言ってしまった。

 すぐに謝ろうとしたが、未唯はなぜかニコニコしている。


「あ、ご、ごめん……」

「ふふっ。謝らないでよ。普通に話せるのって嬉しいんだなって、思ったのに」


 その表情にドキリとしながら、恵壱はまた眼を伏せた。

 そのまま、座ってダラダラしている他のメンバーに再度釘をさす。

 

「と、とにかく家探しはやめて下さいよ!」

「分かってるよ。いくら俺達でもそこまで鬼畜にはなれない」

「残りの酒を、みんなで分け合いながら大人しくしてるさぁ」


 全員がうんうんと頷いて、二人を見送った。


 イマイチ信用できなかったが、アパートから出て、住宅街の中を二人はてくてくと駅に向かって歩く。

 とっぷりと夜に浸かった風が、生暖かく体に纏わりついてくる。

 昼よりはマシだが、まだまだ夜も暑すぎる。

 出ている三日月も、ぼやぼやとこの熱気でうねっているように見えた。


「えと、亀浜駅の方向かってるけど、家はどの辺なの?」

「あ、私もびっくりしたんだけど、恵壱くんの部屋から五分くらいのとこ」

「そう、なんだ」


 それなら、案外早くこの生き地獄のような環境から解放されるのだなと、恵壱はほっとした。


「ねえ、恵壱くん、ここの公園に入ろう」

「え……?」


 横を歩いていた未唯は、すぐ傍にあった公園を指差して、恵壱を見上げた。

 やっと、未唯をちゃんと見れる程度に慣れた恵壱は、こうしてみると未唯との身長差は結構あるのだなと、ふと気付いた。

 未唯は150センチ前後だろうか。恵壱は176センチだ。

 未唯は恵壱の返事を待たず、ふらふらと歩いて公園へと入っていく。

 恵壱はこの公園を通るのが近道なのかもしれないと考えて、それについて行く。

 だが、その恵壱の意に反して適当なベンチに座ると、未唯は爆弾を落とした。


「少しだけ、二人で話がしたいんだ」

「」

「あっ、座って、落ち着いて。ゆっくり深呼吸」

「はっ、……すぅ、はあ……すぅ……はぁ」


 未唯にそう言われ、ベンチに座って深呼吸をした。

 なるほど、深呼吸をすると体の強張りはある程度強制的に解れる。

 今度から、女性と接する前にはそうしようと決めた。


「……江田さんに、言われたから?」

「あはは、違うよ。私が恵壱くんと仲良くなりたいって思ってるから。仲良くなるには話をしないと、ね? 恵壱くんだけが知ってる、私の秘密の話も」

「??? ……今日会ったばかりの解良さんの秘密なんて、俺が知ってる訳ないだろ?」


 恵壱は顔を傾げる。

 

「ううん、絶対に知ってるよ。宵見よいみ きららって名前。もしくは、『なゆゆはいっぱいい~っぱいご奉仕します♡』」

「!!??!? え、なんで……解良さんが宵見先生を知ってるんだ……? まさか……」


 恵壱は、ごくりと喉を鳴らす。


「俺の同人誌棚を、俺がトイレに行ってる時に覗いた!?」

「あはっ! あはははは!」

 

 その返答に、未唯は思わず吹き出してしまった。

 笑い続ける未唯の姿を、恵壱は焦りと怪訝さが混じった表情で見つめる。


「残念、ハズレ。みんないるのに、そんなことしてないよ」

「じゃ、じゃあ宵見先生の知り合い」

「それも違う」

「あの本を買った時、近くにいた、とか」

「あっ! すごい!! うん、いい感じ!」

「……!?」


 恵壱はじっと未唯を見る。


(こういう時は、ちゃんとこっちを見れるんだ……)

 

 未唯は、その視線を受けて恵壱をじっと見返す。

 少しだけ吹いている風が、恵壱の黒い髪を揺らした。

 そのうちに、どうやら恵壱の中でも何かぼんやりと定まってきたらしい。その表情の変化を未唯は見逃さず、もう一押しだと気付いて続ける。


「あの時は、眼鏡を掛けてたけど、案外眼鏡って気づかれないものなんだね。芸能人が眼鏡を掛けてカモフラージュする気持ちも、分かったかも……」

「いや、まさか嘘だろ。そんなわけ……ない、よな……?」


 眼を大きく見開いて、なぜか、恵壱は後ずさる。


「ううん。。私、宵見 星です」

「神本人!?」

「……神?」


 思いがけない恵壱の返答に、未唯が首を傾げた。

 はっと口を押えて、恵壱はキョロキョロと眼を忙しなく動かす。

 

 その挙動不審な姿が、を彷彿とさせて、また未唯の笑いのツボを的確に突いた。



―――――――――――――――――――

一軍棚とは

何度も読み返しやすい場所に設置してある本棚。二軍棚、三軍棚とある。

しかし、この場合は同人誌の為、ギリギリ取りやすい場所に隠してある本棚を指す。

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