第二百八話 貴重なシーンを感じ取った件
「チッ……正面かよ」
東雲は舌打ちをしながらヘルメットを脱いだ。ベンチに戻った時、東雲と上杉監督は目があった。上杉監督は無言で東雲を見つめていた。
「んだよ、狙いは悪くなかっただろ」
上杉監督は何も喋らなかった。
「……とりあえず次の回も完璧に抑えてやんよ」
「千河君、話していた通りです。申し訳ないですがアップをして下さい」
東雲がグラブを手にした瞬間、上杉監督は守に指示を出した。
「はい、すぐ作ります!!」
守は、それはもうウキウキでストレッチを開始した。今日は投げさせない、とお預けを食らっていた投げたがりのピッチャーにおいて、試合に出られる可能性がある指示ほど喜ばしいものはないのである。
「予定では次の回からです。駄覇君が出来上がるまでの間ですが、よろしくお願いします」
「ち……ちょっと待てよ」
東雲はその指示に待ったをかけた。
「何なんだよ、俺のピッチングになんの不満があるんだよ!!」
「ピッチングに不満はないですよ」
上杉監督は、ようやく東雲の方を向いた。
「ただ、これはトーナメントです。チームで調子の上がりかかっている相手ピッチャーをジックリ攻めたい時に、勝手なことをされると困ります」
「……俺だってアイツから打つ為にだな……」
「駄覇君のスタートを見て、そう考えますか?」
「ぐっ……」
東雲自身、駄覇のスタートは見えていた。赤坂はクイックモーションで投げていたが、完璧なスタートであった。恐らく駄覇の足とスライディング技術ならセーフをもぎ取れる筈であった。
「……悪かったよ」
東雲は小さい声ながらも、ハッキリと謝罪の言葉を口にした。それを聞いた上杉監督はにこりと笑った。
「千河君、申し訳ありません。やはりもう少し待ってください」
上杉監督は守に指示の中断を伝えた。守は少し残念そうにしながらも、すぐにベンチに腰掛けた。
東雲がマウンドに向かってから、上杉監督は守の方に顔を向けた。
「先程は助かりました」
「いえ、そんなそんな。あのバカが謝るなんて貴重なシーンを直視できなかったのが残念ですけど」
守は笑いながら答えていた。
「東雲君にはもっと長く投げてもらいたいです。ただ余りに個人プレイをする様でしたら見切りをつけなくてはなりませんからね」
上杉監督は、演技だったとはいえ、東雲の態度次第では本当に降板を考えていた様だ。
「ま、私はいつでも投げれますから。いつでも声をかけて下さい」
守も、まだこの試合で投げることを諦めてはいない様子であった。
三回表 終了
明来 二対ゼロ 蛭逗
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